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第54話

「いいよ、開けて」


 美絵の弾んだ声に促され、僕はゆっくりと瞼を持ち上げた。


 視界に飛び込んできた光景に、思わず絶句する。


「ジャジャーン! 前夜祭、スタート〜!」


 そこにいたのは――ど派手なプラスチック製の星形サングラスをかけ、首には銀色のモールを巻き付けている美絵。

 頭にはやけに尖ったキラキラのパーティー帽まで乗せている。

 手には、赤い千鳥格子柄のトランプが握られていた。


「百均って、本当に何でもあるんだね。楽しくなっちゃって、いっぱい買っちゃった」


 ただただ僕を楽しませようと、一生懸命ふざけてくれている。

 その姿が、そして自分だけに向けられた無邪気な笑顔が、どうしようもなく愛おしくて。


「……なんだよ、それ」


 小さく吹き出しながら、たまらず彼女を腕の中に閉じ込めた。


「わっ」と驚いたような声とともに、美絵の首に巻かれたモールからカサカサッという安っぽい音がした。


「祥ちゃんのもあるからね」


 するりと腕から抜け出した彼女は、僕にもお揃いのサングラスと帽子、モールを強引に装着し、極めつけに『主役は俺!』と書かれたゴールドの襷も肩にかけてきた。

 鏡を見るまでもなく、今の僕は相当賑やかな見た目になっているだろう。


 けれど、自分の仕業に満足げに笑う美絵を目の前にすると、そんなことはどうでもよくなった。


 ◇


 二人でローテーブルを囲み、懐かしいトランプゲームを片っ端からやった。

 美絵が買ってきてくれたポップコーンの塩気と板チョコの甘さを、交互に口へ運ぶ。


「ババ抜きなんて、何年ぶりだろ」


「ね。七並べも、性格出るよね。祥ちゃん、全然カード出さないよね……」


 他愛ない会話や、頬を膨らませる顔が、どんな贅沢な時間よりも輝いて感じられる。



 笑い合いながら、トランプを回収している時だった。


「祥ちゃん、十八歳最後の日だね。十九歳の抱負は?」


 美絵が自分の膝に顎を乗せながら、マイクを向けるような仕草で尋ねてきた。


『抱負』。

 僕は手を止め、少し考えてみる。


 正直に言えば、今の僕は、これ以上望むものがないほど満たされている。

 美絵が、僕を好きで、隣で笑ってくれている。

 この幸せを、一秒でも長く守り抜くこと。それがすべてだった。


「……そうだなあ。将来の道が、もう少しはっきり見えてきたらいいかな」


 なんとか捻り出して答える。


「治療か、教育……だよね?」


 以前、少し話したことがあった。


「うん。スポーツを教えるのも好きだけど、怪我をした人を支えるのも、自分の経験が活かせるかなって」


「すごいな、祥ちゃんは。私は……まだ、将来やりたいことなんて全然見つかってないよ」


 彼女は、少しだけ焦ったように笑った。



 本当は、もっと深いところにある本音がある。


 やりたいことを職業にできたらいい。

 それは建前じゃないけれど、僕の頑張る理由の根本には、いつも彼女がいる。


 美絵と一緒にいたい。幸せにしたい。

 だから、その隣にいても恥ずかしくないような、しっかりした男になりたい。


 けれど、その言葉はまるでプロポーズのようで……口にするのは、まだ早すぎる気がして、そっと飲み込んだ。


 ◇


 最後のババ抜きは、白熱した心理戦になった。

 残り二枚。僕の指が、美絵の持っている左側のカードにかかると、その眉がぴくりと動いた。


(あ、こっちがジョーカーか……?)


 確信を持って右側のカードに手を移すと、今度は「あ……」と声を漏らし、目に見えて不安そうな、捨てられた子犬のような顔をして僕を見上げてくる。

 そのあまりの可愛さに、僕の冷静な判断力は一瞬で霧散した。


「……いや、やっぱりこっち」


 結局、最初にかかっていた左側のカードを引き抜くと――。

 そこには、不敵に笑うジョーカーの姿があった。


「あー! 私の勝ち!」


 美絵はソファにごろんと転がって、子供みたいに手足をバタバタさせて喜んだ。



 ひとしきり盛り上がったあと、僕もソファに腰掛けて大きく伸びをした。


 ふと壁の時計に目をやると、十一時を回っていた。

 楽しい時間は、残酷なほど早く過ぎる。


(そろそろ、か……)


 彼女を見ると、時計を見た僕の視線に気づいたのか、先ほどまでの楽しげな表情が、目に見えて強張っている。

 僕は、「あ……」と小さく息を呑んだ。


(送っていくね、と帰りの準備を促すべきか。それとも……)


 迷って言葉に詰まった空気を切り裂くように――。

 美絵が、勢いよく僕の胸に抱きついてきた。


「…………私……」


 顔を埋めたまま、絞り出すような声で続ける。



「私……プレゼント、持ってきてて。0時になる瞬間に……渡したい」



 0時。その時間はもう、終電はない。

 つまり、美絵が今ここで口にしたのは――そういう意味だ。


 僕の鼓動が、急激に速度を上げる。


「……それって……明日まで、一緒にいたいってこと?」


 なるべくそっと、噛み締めるように確認した。

 腕の中の小さな頭が、こくり、と深く頷く。


「……うん。でも……それだけじゃなくて……」


 途切れ途切れに、けれど一生懸命に紡がれた言葉。



「私……祥ちゃんとなら、何も怖くないから……」



 どれほどの勇気を持ってそれを口にしたか、少し震えている肩が物語っていた。


「…………」


 黙ったまま、美絵の細い背中に手を回した。


 大切にしたいから。傷つけたくないから。

 そう思って守ってきた『安全な距離』を、彼女が自ら踏み越えてくれた。


 胸元に耳を寄せている彼女に、きっと僕の心音は丸聞こえだ。

 せめて、火照る顔を落ち着かせようと、静かに大きく深呼吸をした。


「……じゃあ……今日はこのまま……一緒にいよっか」


 僕の答えを聞いた彼女は、ゆっくりと顔を上げた。

 微かに揺れる瞳を、まっすぐに僕へと向ける。

 そこには、僕を信じ切っている、一人の女の子としての強い決意が宿っていた。


「…………うん」


 もう一度、今度は先ほどよりもずっと強く、慈しむように抱きしめると、彼女の心音も伝わってきた。


 静寂の中で重なった二つの想いが、お互いの体温を通じて激しく共鳴していた。

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