第52話
金曜日の午後。
昼のピークを過ぎ、少しだけ人口密度の下がった大学のカフェテリアに、正人から呼び出された。
丸テーブルに、正人を筆頭としたクラスの男子数名が、ニヤニヤとだらしない笑みを浮かべて待っていた。
「一日早いけど、誕生日おめでと〜う! 祥ちゃ〜ん!」
耳をつんざくような馬鹿でかい声とともに、ドサッとテーブルの中央に紙袋が置かれた。
何事かとこちらを振り返る周囲に、僕は軽く頭を下げる。
「……おい、『祥ちゃん』はやめろ。……でも、サンキュ」
美絵が僕を呼ぶときの特別な響きを、こいつらのむさ苦しい声で再生されるとなんだか腹が立つが、お礼はしっかりと伝えておく。
苦笑いしながら袋の中を覗き込むと、スニーカーが入っているような長方形の箱が見えた。
「何これ? 靴?」
手を伸ばしかけると、正人にバシッと手の甲を叩かれ遮られた。
「あっ、コラ! 開けてからのお楽しみ〜。開ける時は、家で一人で開けてね!」
正人がパチンと大げさにウインクをする。
他の男子たちも、肩を揺らして含み笑いをしている。
「……なんだ?」
訝しげに目を細めると、奴らは悪戯っ子のような顔を見せた。
僕は小さくため息をつき、「とりあえず、ありがとな」とその袋を持ち帰った。
◇
あと数日で、十一月も終わる。
すっかり冬らしい風を肩に受けながら、足早に帰宅した。
外気と同じくらいに冷え切っていた六畳の自室。
古い暖房は、電源を入れるとウィーン……と大きめの音が鳴る。
コートを脱いだ後、僕はラグマットの上に座り込み、正人たちから貰った紙袋を引き寄せ、中から大きめの箱を取り出す。
しかし、持ち上げた瞬間に違和感を覚えた。
(……軽い)
スニーカー特有の、あのずっしりとしたゴム底の重みがない。
まるで空箱のような軽さだ。
不思議に思いながら蓋を開けると、中には透明なプチプチの緩衝材が、分厚く丸められていた。
何重にも巻かれたそれをバリバリと剥がしていく。
やがて現れたのは――手のひらに収まるほどの、黒くて小さな四角い箱。
そのパッケージに印刷された文字とロゴを見て、数秒間フリーズしたあと、顔から火が出るほど熱くなるのを感じた。
「…………あいつら」
思わず天を仰ぎ、呆れたような、情けないようなため息を天井に向けて吐き出した。
中に入っていたのは、大人の男のエチケットとして必要な『あれ』だった。
たしかに、正人に以前、美絵との進捗をそれとなく聞かれたときに「まだ全然そういう雰囲気じゃない」と濁したことがあった。
あのお節介な盛り上げ役は、僕の背中を半ば強制的に押すつもりでこれをよこしたのだろう。
手の中の小さな箱を見つめる。
正直なところ――たしかに「そろそろ……」と思う気持ちが、ないわけではない。
付き合い始めてから約二か月。
お互いの部屋に上がることも増え、触れ合う時間も長くなった。
彼女の細い肩や、シャンプーの甘い香り、無防備に向けられる笑顔に、理性の糸がちぎれそうになることは、幾度となくあった。
けれどやはり、僕にとって美絵は、たとえ恋人になったとはいえ、中学時代から見つめ続けてきた『聖域』のような存在だ。
少しでも乱暴に扱って傷つけたくない。嫌われたくない。
その気持ちが強すぎて、どうしても最後の一歩を踏み出すタイミングを見失っていた。
僕自身はまったくの未経験であるわけだが、美絵も、初めてだよな……?
彼女の初彼(兼、元彼)は、美絵が中学のときに手を繋いでいたあの男だと、(勝手に)認識している。
いくらなんでも中学生なら、さすがに、そこまではしていないはずだ。
(……いや、でも相手は高校生のようだった。もしかしたら……?)
ほんの少し想像しただけで、真っ黒でドロドロとした嫉妬が胃の奥から湧き上がり、狂いそうなほど胸を掻き毟りたくなる。
(……ダメだ、考えるな)
ブンブンと首を振り、その最悪の想像を頭から無理やり追い出した。
いまだに、彼女に過去の話を切り出したり、探りを入れたりすることすら、怖くてできないでいるのだから。
「……ふー」
息を吐き出し、その小さな箱をタンスの引き出しの奥へ、まるで見なかったことにするかのように押し込んだ。
暖房の効き始めた部屋の中で、変な汗をかいていたことに気がついた。
そして、壁にかかった時計を見上げる。
時刻は、十八時ちょうど。
今日は美絵のバイトが二十一時までの遅番だ。
終わり次第迎えに行き、そのままこの部屋へ連れてくる予定になっている。
明日の僕の誕生日は奇跡的に土曜日で、お互いバイトもないため、一日一緒に過ごす約束をしている。
けれど、彼女はそれだけでは足りないと言わんばかりに、『前夜祭もやりたい』と声を弾ませていた。
休み前だから、今夜は時間を気にせず、遅くまで二人きりで過ごすのだ。
(……もちろん、終電までにはちゃんと家に送るつもりだけど)
頭の中で何度もシミュレーションを繰り返す。
純粋に楽しい時間を過ごして、『じゃあ、また明日』と安全に彼女を帰す。
それが一番いい。……うん、それが正解だ。
そう自分に言い聞かせるのに、引き出しの奥にしまった『あの箱』の存在が、脳の片隅にチラついている。
(落ち着け……俺)
焦燥感を誤魔化すように、リモコンを手に取ってテレビの電源を入れた。
画面には夕方のニュース番組が映し出され、キャスターが明日の寒波について真面目な顔で語っている。
しかし、その声はただ右耳から左耳へと抜けていくだけで、一文字たりとも頭には入ってこなかった。
ズン、ズンと速く打ち続ける自分の心音が、耳の奥でやけにうるさく響いていた。




