第50話
十一月も中旬に入り、窓ガラスの向こう側には冬の輪郭がはっきりと浮かび始めている。
けれど、締め切った六畳のワンルームは、エアコンの温風と、先ほどまでつついていた水炊き鍋の蒸気がほんのりと残っていて、柔らかい空気で満たされている。
二人で食器の片付けを終えてテレビに目をやると、ちょうどニュースに切り替わったところだった。
「あ! これ、先週行ったところだね」
そこには青と白のLEDライトが無数に煌めく並木道が映し出されており、私はマグカップを両手で包み込んだまま声を上げた。
「本当だ。テレビで見ても綺麗だな、やっぱり」
私のベッドを背もたれにして床に座る祥ちゃんの隣で、肩を並べて画面を見つめる。
後期から教員免許の課程も履修し始めた彼は、講義にサークル、少年野球のコーチにファミレスのバイトと、とにかく目が回るほど忙しい。
私も講義とカフェのバイトでバタバタしていて、外デートといえば、お互いの隙間時間を縫って近場をふらっと歩くくらいのものだった。
「なんか私たち、ロマンチックっていうより、完全に子供みたいにはしゃいじゃったよね」
「いや、だって東京のイルミネーションのスケール、地元とは桁違いすぎてビビったし」
「ふふふ。たしかに祥ちゃん、いつもよりテンション高かったよね」
「マジか。恥ずかし……」
照れている顔を誤魔化そうと、マグカップで口を隠しながらコーヒーを啜る彼を見て、クスクスと笑う。
ふわっと立ち上る湯気と、すぐ隣から伝わってくる体温。
外の木枯らしが嘘のように、このあたたかい時間がずっと続けばいいのにと、心の底から願ってしまう。
しかし、華やかなイルミネーションの中継が終わり、シリアスな雰囲気の冬のドラマが始まりを告げたとき。
ふと、祥ちゃんが腕時計に視線を落とした。
「……あ、もうこんな時間か」
彼は腰を浮かせ、短く息を吐く。
「そろそろ帰るね」
その一言で、部屋の空気が急に冷え込んだような錯覚に陥った。
心臓の奥が、ヒュッと音を立てて萎む。
頭ではわかっている。明日も彼には一限から必修の授業がある。
それなのに時間を割いて来てくれること自体、有り難いのだ。
「……うん」
けれど、声のトーンは自分でも嫌になるくらい露骨に落ちてしまうのがわかった。
狭い玄関で、彼がウールのコートに袖を通し、スニーカーの踵をトントンと鳴らす。
私は壁に背中を預け、その準備が終わっていくのを、ただ黙って見つめていた。
いつも、この時間がどうしようもなく寂しい。
重たい空気を察したのか、靴紐を結び終えた祥ちゃんが、困ったように少しだけ眉尻を下げて微笑んだ。
「明日、授業あるよな?」
彼の手が伸びてきて、頭をポンと優しく撫でる。
「昼、一緒に食べよっか」
機嫌を取るような、優しくて甘い声。
それでも、私の心を曇らせるものは拭いきれず、俯いたまま「……うん」と小さく頷くことしかできなかった。
扉の隙間から漏れ入る、外の冷たい空気を感じる。
それから守るように、私の頬をあたたかくて大きな手のひらが包み込む。
見上げると、至近距離に祥ちゃんの顔があった。
少し伏せられたまつ毛の奥にある瞳と視線が絡む。
音のない触れるだけのキスが、唇に落とされた。
最近、家でバイバイするときは毎回、こうしてくれる。
けれど、彼の耳元はうっすらと赤く染まっていて。
こうして恋人を甘やかすような振る舞いには、まだ慣れていない恥じらいが伝わってくる。
頬から手が離れると、途端にそこだけ冬の夜風に晒されたようにスースーと冷たく感じた。
「……じゃあ、おやすみ」
「うん……気をつけてね。おやすみ」
なんとかそう絞り出すと、彼はもう一度優しく微笑んで、重たい鉄の扉を開けた。
そして、バタンッ、という無機質な音を残してドアが閉まり、祥ちゃんの気配はだんだん遠ざかっていった。
鍵のサムターンを回したあと、そのままベッドまで歩き、バタッと仰向けに倒れ込む。
しんと静まり返った部屋。
テレビからは、ドラマの登場人物たちの真剣なやり取りが、ただ虚しく響き渡っている。
一人になった途端、部屋が急激に広くなったように感じた。
(……寂しい)
最近、この時間が、本当に苦手。
付き合う前は、一人で部屋にいるのが当たり前だったのに。
付き合ったら、強くなれると思っていた。
好きな人が自分を好きなんていう奇跡が起きているんだから、寂しさなんて簡単に跳ね除けられるはずだって。
それなのに、現実は真逆だ。
付き合う前より、うんと寂しい。
一人の時間が、以前よりもずっと長く、重く感じるようになってしまった。
自分が、弱くなっている気がする。
この気持ちをわかってほしくて、『やっぱりまだ一緒にいる』って言ってほしくて、つい彼を困らせるような態度をしてしまう。
傍らにあったクッションを抱え込み、顔を埋める。
(祥ちゃんは、寂しくないのかな?)
帰り際、あんなにあたたかい微笑みを見せた彼。
私ばっかりが好きで、私ばっかりが寂しくて、執着しているのかな……。
(……いや、そういうことじゃないよね)
赤らんだ耳と、私を気遣う声や手のひらを思い出し、すぐにその考えを打ち消す。
彼はちゃんと、お互いの生活と、二人の関係を、両立させようとしているだけだ。
「私はやっぱり、子供だなあ……」
ぽつりとこぼした呟きは、広い空間に吸い込まれてあっけなく消えた。
抱きしめたクッションには、ほんのりと彼の香りが残っていて、また少しだけ弱気になってしまうのだった。




