第40話
「俺も、好き。……すごく、好き」
真剣な、少し低くて掠れた声。
その言葉が私を包み込んだ瞬間、今まで感じたことのないような、甘くて温かい喜びで全身が満たされていくのを感じた。
もし、たとえ両思いだとしても、私のほうが彼を何倍も好きだろうと、なんとなく思っていた。
でも、最後に付け加えられた『すごく好き』という言葉。
その響きと、私を見る眼差しに、もしかしたら彼も、私が思っている以上に私のことを好きでいてくれているのかもしれないと、心が風船のように舞い上がっていく。
「……本当に?」
「……うん」
「本当の、本当に?」
念を押すように聞くと、彼は顔を赤くしたまま、恥ずかしそうに視線を彷徨わせて、小さく頷いた。
「……うん」
彼の返事が、私の冷えた指先を溶かしていく。
ずっと聞きたかった、あの夜の答え合わせを、今ならできる気がした。
「……好きだから、この前……抱きしめたの?」
少し目をそらしながら尋ねると、祥くんは「うっ」と小さく呻いた。
「それは……まあ、大体合ってる。好きで、可愛くて、つい……みたいな。……ほんと、すみませんでした」
消え入りそうな声で白状し、項垂れる彼。
いつもは大人っぽくて余裕があるのに、今の彼は中学生の男の子みたいに不器用で、それがたまらなく愛おしく感じた。
お互いの気持ちを知って、恥ずかしくて、嬉しくて。
言葉にするのがもったいなくて、私たちはお互いの足元を見つめたまま、しばらく無言で秋の裏庭に突っ立っていた。
やがて、彼が「……ふう」と小さく息を吐いて口を開く。
「……今日は、申し訳ないけど、戻らずに帰るか」
彼は私の顔――おそらく涙でグシャグシャになっているはずの泣き跡――をチラリと見て、そう提案してくれた。
サークルの作業を抜け出して帰る口実を作ってくれる、彼なりの優しい気遣いだ。
「……うん。ありがとう」
私が頷くと、彼は「先輩に適当にお詫びして、荷物取ってくるから。ここで待ってて」と言い、颯爽と講義棟の方へ走っていった。
一人残された裏庭。
さっきまであんなに冷たく見えていた世界が、嘘みたいに輝いている。
落ち葉が風に舞う音も、遠くから聞こえる学生たちの笑い声も、すべてが祝福してくれているようにキラキラして聞こえた。
◇
「……お待たせ」
数分後、二つのカバンを肩にかけた彼が、少し息を切らして戻ってきた。
私を見つけて微笑むその顔は、これまでの「優しい同級生」のものとは違う、ちょっとした甘さと独占欲を含んでいるように見えて、また胸がドキリと鳴った。
彼の住むアパートは大学から徒歩圏内なので、電車に乗る必要はない。
それなのに彼は、当然のように私の歩幅に合わせて駅まで歩き、同じ電車に乗ってくれた。
(また、送ってくれるんだ……)
心がポカポカと陽だまりのように温かい。
揺れる車内。
横に並んで座る間、お互い何から話したらいいかわからず、二人ともずっと黙ったままだった。
けれど、沈黙がちっとも気にならない。
ただ隣に体温を感じられるだけで、幸せのキャパシティがいっぱいになっていた。
私の最寄り駅で降り、改札を抜ける。
秋の夕暮れの風が吹き込んだ時、彼がそっと包み込むように、私の右手を握った。
少し驚いたけれど、私もずっとそうしたかったから。
ただ嬉しくて、温かいその大きな手を、ぎゅっと握り返した。
◇
電車が彼女の最寄り駅に着くまでの間。
僕は頭の中で言葉を探し続けていたが、結局気の利いたことは何も言えなかった。
中学時代からずっと、手の届かない場所で輝いていた彼女。
今、僕の左に、僕を好きだと言った彼女がいることが、どうしても現実味を持たない。
……中学の時からずっと好きだったこと。
そんなことも、今伝えるべきなのか?
いや、今日想いが通じ合ったばかりなのに、六年越しの片思いを打ち明けるなんて、重すぎて引かれるかもしれない。
とりあえず今はやめておこう……。
そんな葛藤をしながら、彼女の最寄駅の改札を出た。
夕焼けの沈みかけた群青色の空の下、オレンジ色の街灯に照らされる彼女の横顔があまりにも非現実的で美しい。
これは僕の都合のいい夢じゃないかと確かめたくて。いや、ただ単に彼女に触れたくて、僕は歩きながらそっと彼女の手を握った。
(……握ってもよかったかな)
不安になったが、彼女は少し驚きながらも、すぐに小さな指を絡ませて、しっかりと握り返してくれた。
その確かな力強さが、これが夢ではない現実だと教えてくれる。
僕は幸せすぎて、今日死んでしまうんじゃないかと本気で震えた。
◇
マンションの前に着き、ようやく二人で向き合う。
幸福な余韻に浸っていたが、ハッと気がついた。
一番大事なことを、まだ自分の口からはっきりと伝えていない。
僕は彼女の手を離し、居住まいを正して、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「あの……」
声が裏返らないよう、丹田に力を込める。
「……俺の、彼女になってほしいです」
少しの間の後。
彼女は、今日一番の、最高に可愛い笑顔を咲かせて言った。
「……はい。彼女になりたいです」
その言葉を聞いた瞬間、理性のタガが吹き飛んだ。
思わず、一週間前と同じこの街灯の下で、また彼女の細い身体を両腕で引き寄せて、強く抱きしめてしまった。
あの時と違うのは、彼女が驚いて固まるのではなく、嬉しそうに小さな腕を僕の背中にまわし、ぎゅっと抱きしめ返してくれたこと。
そして、柔らかい頬を僕の胸元にすり寄せてくれたこと。
「…………っ」
心臓が爆発してしまうかもしれない。
彼女の髪の香りに包まれながら、僕は世界中の誰よりも幸せだと確信していた。
しばらくその温もりを分かち合った後、名残惜しくも身体を離す。
「……ねえ、祥くん」
僕を見上げる彼女が、少しだけ頬を染めて言った。
「……彼氏になったし、部屋でお茶、誘ってもいいの?」
「えっ!?」
その破壊力抜群の提案に、僕は肩をビクッと跳ねさせた。
大好きな彼女の部屋。二人きり。
脳内で警報が鳴り響く。
「ま、まあ……彼氏なら、一般的にはいいのかもしれないけど……」
僕は視線を泳がせながら、必死に自分を自制した。
「今日は、その……遠慮しとこうかな、と」
一週間前、嫉妬に狂って自制できずに抱きしめてしまった自分を、僕は全く信用していない。
ましてや今は、想いが通じ合った直後だ。
彼女への愛おしい気持ちが溢れすぎていて、理性を保てる自信が皆無だった。
「……そっか。わかった」
少し残念そうに微笑む彼女の頭に、ごめん、という気持ちで軽く手を乗せる。
「じゃあ、また明日。大学で」
「うん。……大好き、祥ちゃん」
最後に放たれたその甘い声にクラッとして、やっぱり部屋にお邪魔しなくてよかった……と胸を撫で下ろす。
後ろ髪を強く引かれながら、僕はなんとか踵を返して帰路についた。
◇
駅へ向かう夜道。
秋の空気が、火照った顔を心地よく冷ましていく。
ポケットに突っ込んだ右手には、まだ彼女の手の感触が鮮明に残っていた。
(……本当に、夢じゃないんだよな……)
もしタイムマシンがあって、グラウンドで泥だらけになって彼女を遠くから見つめていた中学生の俺に、今のこの状況を伝えたとしたら。
あいつは絶対に、信じてくれないだろうな。
一人で歩きながら、僕は思わず声に出して笑ってしまった。




