空白の5年間ーーーーー
2042年の日本競馬はサイレンススタートやゼンノロイカバード、シルバーグレイト、シーザリオンなどの引退で3歳勢に有力な馬もいないことから、昨年のダービー馬のフラッシュフォワードと皐月賞馬のエスエムオペラオーに期待が集まっていた。
しかしフラッシュフォワードは凱旋門賞からの久しぶりのレースとなったG2中山記念で勝利こそするものの自慢の末脚の切れ味には物足りなさを感じる半馬身差の辛勝だった。
代わりにエスエムオペラオーが孤軍奮闘!
昨年の皐月賞から勝ちきれないレースを続け、騎手を変えろという声が出ていたが、小和田は結果を残した。
京都記念から始動し阪神大賞典、天皇賞春勝利と連勝街道に入る。そして皐月賞以来のフラッシュフォワードとエスエムオペラオーの再戦で注目された宝塚記念だが、ここでも最後に追い上げるフラッシュフォワードを半馬身退けてエスエムオペラオーが勝利した。
そしてレース終盤の最後の追い込みでゴール直前に明らかに不自然な動きを見せたフラッシュフォワードはレース後に屈腱炎の発症と本馬の引退を同時に発表した。
4歳になり中山記念1着、ドバイシーマクラシック2着、宝塚記念2着と善戦はしたものの3歳時のような末脚を見せられなかったことから、斤量の影響やら成長力がなかったのかなどと言われていたが、本馬は実は凱旋門賞後に脚を痛めて長期の休養、年明けも慎重に調教して立て直しを測っている最中だった。
一八調教師はつねづね言っていた。
フラッシュフォワードの馬体が完成するのは恐らく5歳になった時だろうと…
そして引退発表後はこの馬の完成された姿を見せられなかったことに強く責任を感じていると発言している。
フラッシュフォワードの引退によって主役はエスエムオペラオーの1頭となり、同馬は秋の大レースも全勝しこの年は8戦して無敗、G1を5つ制する偉業を成し遂げた。
しかし3歳クラシックは牡牝共にアブソルート産駒にやられ続け、ダービーすらもアブソルート産駒の牡馬のナイトメア勝利されてしまう。
さらに翌年は5歳になったエスエムオペラオーはその馬たちに対抗する力が残っておらず、5歳時はG1を勝利できず年末の有馬記念で引退し種牡馬となった。
2042年から2045年の4年間は日本のダービーをアブソルート産駒に勝利されるという屈辱、その他のG1レースも大半をアブソルート産駒に勝利され、G1レースはアブソルート産駒の運動会とまで呼ばれる始末となっていた…
そして日本馬が日本国内外問わず、アブソルート産駒に対抗できていた2041年から5年後の2046年!
2頭の競走馬の血が再び世界に挑戦を開始しようとしていたーーー。
【次回第2章開始】




