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endless  作者: 藤沢藤秋
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 何度めのゆめだったか、数えてはいけない。


「はやくいかないと、間に合わないよ」

 さいごの、ないよ、のところは、涙でぬれてかすれていて、うまく聞こえなかった。鼓膜にすりつけるような声、彼女の声はもともとハスキーなほうなので、それがさらにましている。かなしみをぬりたくったような声と、いまにも決壊しそうな彼女の目元を、私はぼんやりと見つめている。彼女は私にひとつのはなしをする。これから私がやろうとしていること、それは私の今後をくらがりへとみちびくものだ、それは大きな後悔だ、それは祖父を許さないということだ。

 私と彼女は祖父によってつくりあげられた、いわばひとつの作品だった。

 かつて私は、しあわせというのは私という人間のかたちをしていると信じて疑わなかった。五体満足で、やさしい両親のもとに生まれた。けして裕福とはいかなかったが、まずしくもなかった。しかしある日かなしい事故で私は両親を失う。雨の日だった。知人の家へと遊びに行く途中の山道で、カーブにまがりきれず、すべって車はまっさかさまに落ちて行った。それは私のこれから、しあわせな家族の絵を完成させる最中のことだった。当時十にもみたない年齢だったかと思う。私は祖父にひきとられ、身寄りのない者同士、つかずはなれず、衝突と寄り添いあうのをくりかえして私と祖父はながい年月をふたりで生きてきた。やがてそれなりの年齢になった私に、祖父は知人の娘だと、彼女を紹介した。私たちはすぐにそれなりの関係を築いた。それなりの時間を経、結婚し、平和でおだやかな生活を営んで、きっとそれからこどもを生み、その生活をいつくしみ、愛し、そしてそれを生涯守っていくのだと―――祖父は望んでいただろう。しかしそれは現実ではなくゆめだった。おとぎばなしだったのだ。

 私は知ってしまった。

「それでいいの」

 語尾がほんのすこし、荒々しくなっている。そのこえは息とおなじくらいのちいささだったのに、調子はちっとも弱弱しくなんかない。やさしい彼女は、私のためにおこってくれているのだ。私がこれからしてしまうことに対して、そしてそれは私自身が私自身をころしてしまうだろうということについて、彼女はおそらく私よりもよく知っているのかもしれない。しかしどのみち私はいつか自分自身で息の根をとめるだろう。

 ―――ああ。私は答えた。ああ、それでいいんだよ。

 ぱちん、という乾いた音が、どこか遠くで聞こえたような気がした。しかしそれは私のずいぶん間近で起こっている出来事だ。ほほが熱かった。じんじんと、静かに拷問のような痛みがそこからやってくる。痛みをもったのは、私のほほだけではないから、私は何も言わなかった。彼女のしろい手が、あかくなっている。ああ、赤くなっている。絵の具のしゅいろを、水でほんのすこしうすめたような色が、彼女のしろいてのひらに全体に染みている。

 ばか。小さな声が言った。彼女はずるずるとくずれおちた。きっとそのしたは大雨だろう。彼女のとうめいな涙が、ふるふると静かに降っている。いつかの雨の日を思い出す。あれは私の記憶か、それとも、

 まぶたを閉じれば、くらやみが訪れる。それもちょっぴりほのぐらいだけだ、明かりのせいで、真っ暗闇なんてここにはひとつもないのだ。蛍光灯が、部屋全体をてらしている。外はあまり明るくない。さきほどから雲がでてきていて、まだ午前なのに明かりをつけなくては室内がくらい。私はこういう日が、苦手だ。なんだかはらはらする。ちいさなころ、両親が亡くなった知らせを聞いたのは、祖父の家でひとり遊びをしていたときだった。お手玉をもらって、どうやって遊べばいいのかわからなくて、手持無沙汰にしていたのだ。祖父は別室で仕事をしていたかと思う。家に帰ればミニカーや絵本など、見知ったおもちゃがたくさんあるし、こどもにあたえるのならばそこらへんが妥当かと思うのだが、祖父はそういうものを一切あたえてくれなかった。だから私は、そのときお手玉のやわらかい感触を、ただなんとなく相手にして遊んでいた。はっきり言ってしまえば退屈だった。そのとき近くにあった電話がなった。祖父が面倒そうに書斎からでてきて、受話器をとった。そのとき、私は窓の外を見ていた。あの日のそらにそっくりである。あかるいはずなのに、くらい。雨がふったあとのそらは、青が見えなくて、くろみをおびた雲がすべてを隠してしまうように思えて怖かった。いまでもすこしだけ、苦手だ。

「どうだろうね」

 私は言った。

 彼女はきっと顔をあげただろう。けれども私は、窓の外から顔をはずせなかった。この記憶は、いったい、だれのものだろうか。私のものだろうか、それとも、違う人間のものをもちあわせているということが、ほんとうにあるのだろうか。

 私はにげるすべをしらない。このめぐりあわせから。この糸からは。

 だって、そうさせたのは、まちがいなく―――


***


 たゆたっている。

 うみはいつまでもひろがりを見せて、終息というものを知らない。だから不安になる。あまりにも大きすぎて、それがどこまであるのか、どこまで続いてどこにつくのか、私はものというものをよく知らない。なのに身を預けるとなんとなくやすらかになるような気がする。私は大きなものや、広いところが、だから、すこし苦手だった。

 そこに来たのは友人の紹介だった。どこかの会社のご令嬢との大恋愛に失敗して、大きな痛手を負った友人につきそい、私はうみべのそいつの別荘に来ていた。いなかの、ちいさなうみべにある町だったが、海水浴を目的に人は多くいた。午前ひるになるときゃあきゃあと女性やこどもの、無垢なこえが聞こえてくる。かもめやうみねこのすずやかなこえもする。うみのおだやかな波のこえもする。町じゅうこえにあふれていて、飽きることがない。夜になればまた、静かに聞こえてくるうみのかなしみをおびたこえも、午前の喧騒を忘れさせてくれてことさらよかった。それが嫌なことがあった日であればあるほど、いやされるような気がした。

 私を連れてきた友人は失恋を忘れたのか、さっそく海水浴客の娘と慕いあい、いつの間にか逢瀬に忙しくなっていた。私はひとり、情緒のないやつ、と友人の節操のなさにあきれながらも、ちゃっかり夏を楽しんでいた。

 そんなころだった。

 夜中のことだ。友人がひそやかであるようで、実はそうでもない、恋人との逢瀬を見送ったあと、私は眠れなくて蒲団からおきあがった。熱帯夜でもないのに、なぜかからだじゅうに熱がはいつくばっているようで、居心地が悪かったのだ。窓をあけておいたら、そとからすずしげなうみのこえが聞こえてくる。それはまるで私をてまねきしているかのようだった。たとえるなら、母の手がおいでおいでをしているのに似ている。こころぼそくて、なみだがとまらない、そんなちいさなころのかなしみをいやすあの手のように思えた。

 私はすぐにつっかけをはいたあと、海岸へとくりだした。そとはおもいのほかすずしく、死んだようなうみのみがそこに横たわっている。すなはまは午前のあのにぎやかなこえもすべて忘れてしまったかのように、ただだんまりをきめこんでいた。なんだか私の知らないような、けれどよく知っているようにも思えるような景色がひろがっていて、なんとなく切なくなって、すなはまを蹴った。なみうちぎわまでやってきて、夜空にもうとけこんでしまった地平線を懐かしく思った。あれはいつ見えるようになるのだろうか、星と月あかりだけの、心もとないひかりでは、なんにも見えやしない。

 ざざん、なみのこえがひときわ大きくなった、かと思ったときだ。

 私は見つけた。色を失ったうみにぷかりと浮かぶしろいものを。

(あれは、)

 すらりとのびた四肢。それはうつくしい死体だった。暗闇の中でもひかりをたたえている、午前の世界ではおそらく黄金の髪。まぶたは閉じられているが、ふちどるまつげすらもひかりをたたえている。肌はきめ細かく、どこからどこまでも白かった。きずひとつない、完全な死体だった。……うつくしい、それだけでほうとためいきがでた。

 私はざぶざぶと得体のしれないいろをしたうみにつかり、その死体に近寄った。なみができて死体は遠くなったりしながらも、私はようやく近づいて、その顔をのぞく。

 そのとき、まぶたが開いた。

 なぜだか、くらやみなのに、私はその睛の色を知った。

(ああ、)

 これこそが、ひかりだ。

 これこそが宝石と呼ぶにふさわしい。

 それはエメラルドのはめられた死体だった。




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