表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
endless  作者: 藤沢藤秋
PR
1/3

0

 その写真は祖父の書斎にあった。

 生前はひどく厳格で、孫である自分にもけして甘えを見せない人間だった。やまいにかかって、もう余命幾ばくもないときでさえも、姿勢がくずれることはなく、年をとってほんのすこし細くなっただろうからだは、それのおかげか頼りないかんじをひとかけもあたえなかった。酒を喰らい過ぎることもなかったし、たばこもしなかったし、夜九時には眠って、朝五時に起きる、という生活習慣を、死ぬ当日くらいまでくりかえしていたほどのきっちりした人間だ。だから、書斎には厳重な鍵がかかっていて、安易に人間がはいることはできなかったし、親族だってその書斎にはいったことがあるのは数えるほどだ。その祖父が亡くなって書斎の処理をまかされたのは、こともあろうに長男である父親ではなく自分で、遺言状で書斎についての話がでてきたとき、えらく面食らったのを覚えている。

 書斎は厳格だった祖父らしく、きっちりとしており、本棚の本はすべて分類され乱れることはなく、机の上や引き出しもはしのはしからすべてが整われていた。死んでまでもこの威厳があるというのは、なんというか、生前自分が悪事をはたらいてしかられたときのことや、いたずらでお仕置きされたこと、そんなろくでもない記憶ばかりで、恥ずかしいような、なつかしいような、こわいような、さまざまな感慨がわきおこってくる。

 そしてその書斎には、ひとつの小さな写真いれがあり、鍵の掛かっている一段目の引き出しの、底をぬいたところに鎮座しているのだった。

 その写真というのは、その祖父の若かりし頃のさまざまの記憶がきりとられたものだ。自分が見たこともないようなあどけなさの残る祖父の笑顔というのは、なんだか知ってはいけないものを知ってしまった気恥ずかしさなんかがある。その何枚もつづく祖父の若いころの写真のあとは、風景や、学生時代の行事かなにかで撮ったのだろう仲間との写真、そんなものがつづくばかりで、それならば本棚にもいくつか並ぶアルバムにいれればいいのにと思ったこともあった。本棚のアルバムにも、祖父の若いころの写真はいくつもある。そのなかにあるのと、何が違うのだろう、何度も見つめては、こまかい発見をくりかえし、そうしてようやく気付く。ああそうか、この写真のならびに、かならず写っている人間がいる。

 それは黒髪の男だった。

 中性的な顔立ちだ。こぎれいな顔をしている。一見して女にも間違いそうなところだが、服装やからだつきで、どうにか男性だとわかる。やわらかな雰囲気、物腰のやさしそうな、おだやかなかんじがする。きっとこの男を、祖父はなにかしらの好意でもって扱っていたに違いない。しかし、祖父とその男は、あまり仲がよさそうには見えなかった。いや、というか、祖父はともかくその男が祖父を認識していたかどうか、よくわからない。

 なぜなら、たとえば、仲間内で撮った写真のなか、おだやかないなかの風景、パーティー会場の、そのどれもの写真のなか、彼はひとり、いつも写真のすみにいる。だとするなら、偶然撮ったもののなかにまぎれているのかと思えば、ひきだしのなかによけておく理由なんて、この写真にはない。それも、鍵をかけた引出しの、底にいれておくという厳重さもいらないはずである。本棚のアルバムに堂々張ってあっても、見た人間はその男のことを気づきもしないだろう。

 この写真は一体、なんの意味があるのだろう。この男は、一体、なんなのだろう。

 何度もこの書斎にあしをはこんでいるあたり、この男に自分も魅入られていくような気がしている。



……



 まさかシャッターをおした瞬間に、男がはいりこんでくるとは思っていなかった。

 私はカメラをさげて、下からでてきた写真を見る。ポロライドの写真は、画像がうかびあがるにはもうすこし時間がかかる。

 男は、なにも気づいていなかったらしく、平然と向こう側をあるいていく。私にも、カメラにも気づいていないようだった。季節はもうすでに秋、しきつめられた枯葉のじゅうたんを静謐な男の足運びがふみしめていく。ぱり、ぱり、遠のいて行くたびに音は小さくなり、やがてその姿とともに消え去っていた。それを見送っている間に、写真は浮かび上がる。きりとられた風景の、そのすみに、あの男がすこしみじかい黒髪をなびかせて歩いて行っているのが映っていた。

 ゆったりと、写真はさらに輪郭をはっきりさせる。

 その足の運びは、やっぱりきれいだ。姿勢もしっかりしていて、表情もひきしまっている。あの男はやはりうつくしい。そのからだの細い線も、男らしさからかけはなれている。けして西洋でよく見る、ダビデ象なんかの彫刻のようなうつくしさはない。しかしその線引きは、いらないものをすべてなぎはらったような、きよらかなうつくしさがある。

 私にはけして、得ることのできないその清廉さを、私はいま、あの男というかたちでほしいと思っている。それは日に日に増していき、きっとこれはなにかしら名前のすでについている感情なのだろう。しかし私にはとうていわからない。そして、その名前がこの感情を支配したとして、わたしはけしてその名前をつかうことはないだろう。

 あの男の通って行った枯葉の道をまた眼はたどる。

 そういえば、いちど、あの男に羨まれたことがあった。

 ―――あなたの睛は、エメラルドですね。

 あの男の、たったいちどだけかわしただけの声がよみがえる。

 わたしは真黒だからいけない、色がないから―――かなしげにくりかえしたその言葉に、私はあの日、何と声をかけてよかったのか。

 いまだにその答えを出せずにいる。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ