4 姉かえる
がらがらと軽快な音を立てて荷車をひく
すっかり遅くなってしまった。
あの子は寂しがってないだろうか?
少し心配になってしまい、帰る足も自然と速くなる。
宿屋への野菜の納品の後、ついでに厨房を手伝ってくれないかと仕事を頼まれた。
よほど困っていたのか半日で1万ゼニーと平均の日給以上の給金をいわれ、二つ返事で引き受けた。
祭りの最中で、いつもよりお客さんがおおいのだろう、てんてこまいの厨房での半日はあっという間だった。
少しの肉体強化のギフトを使える私は、女でも役にたったようで、また是非にと髭でほぼ顔が見えない宿屋の主人に言われ、ただその時は今日のような給金はだせないとも伝えられたが、正直な雇い主はこちらもありがたいので、その時はお願いします、と答えて宿屋を後にした。
もらったお金で、なにか買っていこうかとも思ったが、お祭りの時期だ、すべての値段は高くなっている。
その思い付きは一瞬で頭から離れた。
夕暮れの道を急ぎながらあの子のことを考える。
昨日の、あの子は少し変だったんじゃないだろうか。
違和感を感じた。
たとえば、そう、私が肉体強化のギフトをもっているのを知っているのに、顔に物がぶつかった場所を冷やそうとしてきた。
ちょっと力を入れれば鋼のようになる皮膚を、おもしろがって触っていたこともあったのに。
忘れてしまっているのかな。
まるで、私があれしきのことで傷つけられたとでもいうかのように。
あんなに泣いて。
あの子が声を出して泣くほどの感情をだしたのは、両親が亡くなってからはじめてだ。
知らせを受け、いそいで病室に行った私を待ち受けていたのは、泣くこともなく、ぽかんとした目で天井を見つめベットに横たわっていた、あの子。
弟は無事だと言われていたけれど、その姿を見た私は
無事じゃない。
弟は人形になってしまった。と思ったのだった。
両親と一緒に、事故を起こした馬車にのっていたあの子は、その時、なにがあったかをいまだ口にしない。
野山を駆けまわていた足は、まるで鉛にでもなったかのようになり、ほうっておいたら一日中ベッドの住人になっていた。
あれから、全て変わってしまった。
両親の店はなくなり、笑顔で話していた人たちはその裏で、私たちの財産をむしりとっていく。
嘆いている時間はなかった。
生きていくのだ。
泣くのは後だ。
冷静になれ、感情で動くなと自分で決めた。
私は、15歳で入っていた高等学校をすぐに辞め、守りを固めた。
学校の先生の助けもあり、借金を付けられそうになっていたことも回避され、なんとか町外れの小屋に住めることになった。
小さな畑をつくり、得意の裁縫の内職を引き受け、一年後の保証はないけれど、なんとか暮らせている。
少し余裕がでてきた時、言葉を教えるついでに本をあの子に読んで聞かせたことがある。
最初よりは、反応があったけれど、静かな家に反響するのが自分の声なだけなことに、無言の部屋よりも孤独を感じ、文字を読めているのが分かってからはやめた。
その代わり、天気の良い時は、外にでて、あの子と二人、地面にねっころがり、いろいろな話をした。
空を渡っている鳥の話、高く買ってもらえる獣の素材や薬草の話。
魔獣の話は怖がらせるかもと言わなかったけど。
今、思えば、私が覚えたばかりのことを話したくて話す。一方的な行動だったろう。
「お姉ちゃんはねー。お姉ちゃんはねー」とあの子の耳に入った言葉で一番、多かったからか、姉ちゃんと、また、私を呼べるようになっってきて。
時々は街へ買い物に連れて行ったり、出店で飴を買ってあげたら、ほのかに笑うようになって。
だんだんと戻ってきているんだ。
昨日も、両手に強く力が入っているのをかんじた。
でも、と思う。
また、悲しみからの始まりだったら、どうしよう。
忘れたままの方がいいんじゃないかしら。
悲しみなんて、つらいことなんて何にもない世界で生きていた方がいいんじゃないかしら。
少し、歩みが遅くなる。
そして、今まで何度も祈っていた言葉をつぶやく。
「あの子が、元気になりますように。あの子が、笑ってられますように。」
家族連ればかりの、お祭りの気にあてられ、心細くなったのかもしれない。
そう、昨日は、アルミリア様が、いらっしゃる日だった。
いつも通りに、井戸から、朝いちばんに汲んだ水をお供えするだけの、お祈りしかできなかったけれど。
願いを、きいてくださったのかもしれない。
いろんな気持ちをふり払うように、顔をあげた。
もうすぐ、着く。
いつもの屋根が見えてくる。
まわりの雑木林の方が、頼りがいを感じさせるほどの、つぎはぎだらけの家。
灰色のレンガを焼いた瓦の屋根は、そろそろ本格的に修理しなければ……
目に映ったものが理解できなくて、強くまばたきをした。
あの子が、屋根に上ってこっちに手を振っている。
そう、屋根に上って、落ちちゃうんじゃないかと心配するほど大きく手をふっている。
なんで屋根に?という思いと、あの子が元気だわ、という思いがひしめき合う。
「ねえちゃーん」
と私を呼ぶ声が届く。
「おかえりー」
夕暮れのオレンジ色のやわらかい光では、細かいところなんて見えないはずなのに、分かる。
あの子の目が、ほっぺが曲線を作り、口は並びの良い歯が少しだけ見え、きれいな形になる、あの子の笑顔が。
「落ちないでよー」
私も、声をはって返事をする。
あははは、声を出して笑っている自分におどろく。
あははは、あの子、屋根になんか登っちゃってるわ。
ただいま。小さく言う。
ただいま。
あの子が戻ってきたのだ。
この濡れている頬に気づかれていませんように。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
私の全身を巡る激情が、体から飛び出して今まで祈っていた全てのものに届けばいいのに。
足は、自然に速くなる。
目をそらしたら、今見ている物が消えてしまうんじゃないかって思って。
一点に目を凝らす。
そして、その隣に、なぜかきれいに干されている毛皮と、ルートのまわりを飛び回る鳥が、目に入り、私は考えるのをやめ、今までで一番のスピードで荷車をひっぱった。




