スクワット三回目
リオン王子は思わず頭を抱えたくなった。
(どこの貴族の娘に筋肉馬鹿の令嬢がいるというんだ!!)
蜂蜜色のようなブロンドに、サファイアのように輝く紺碧の瞳。非常に麗しく、紛うことなくやんごとない身分の彼、プロセイン王国が第一王子、『リオン・ドゥ・プロセイン』。彼の“婚約者”『エレーナ・アントロワーズ』は美しい娘だった。彼が八歳の頃、同年代の貴族のご令嬢たちを集めて、王妃主催のお茶会を王宮で催したことがあった。そのいわば将来の“王太子妃”選びのお見合いパーティーのような場所でも、ひときわ美しく目を引く存在であった。
(……すごい綺麗な子……まるで月の妖精だな……)
素直にそう思ったのを覚えている。自分と同い年で、公爵に次ぐ侯爵家。政略のパワーバランス的にも無難な彼女に白羽の矢が立った。
そして改めてアントロワーズ侯爵家を訪ねて、お見合いという形になった。家族と共に出迎えてくれるエレーナ嬢はあの日と変わらず美しい。光の加減によって淡く光り、濃紫に輝く見事な銀髪。瞳の色も鮮やかな菫色。八歳にしては色香をさえ感じさせる、引き締まった瑞々しい身体。程よくついた“筋肉”ーー……。
(……ん……?“筋肉”……?)
よく見ると年頃の貴族の令嬢とは思えない筋肉のつき方をしている。決して不自然な程ムキムキではないのだが、腕の上腕の盛り上がりとかがこう……令嬢の細腕じゃナイ感がハンパない。
(もしかして、“脱いだらすごい”んじゃ……)
別の意味で。一通りアントロワーズ侯爵と夫人と話を済ませ、二人きりになった所で、気になった王子は彼女に聞いてみることにした。
「エレーナ嬢はこう……何か体を動かすのが好きだったりするのかな……?」
かなり婉曲だが、遠回しに『ええ筋肉でんな、身体鍛えてまっか?』と聞いてみた王子。するとエレーナ嬢の瞳が、ぱあぁっ!と輝いた。
「分かるのですか?殿下。嬉しいな!実は今日も朝五百回くらい“スクワット”をやってまして」
「“スクワット”?」
「足腰を鍛える運動です!今日は顔合わせがあるからと、少なめで……いつもは千回ぐらいは朝飯前なのですが……」
「千回」
スクワットの話をする彼女は非常にいきいきしていた。明らかに先ほどより瞳の輝きが違う。
(ああ、これは近衛隊にいるタイプと同じ人種のやつだ……)
王子は瞬時に理解した。自分の婚約者は“脳筋”だと。筋肉至上主義のアイツらと同じ匂いがする。思わず遠い目をした王子に構わずエレーナはぎらぎら、じゃなかった、きらきらした瞳で王子に話しかける。
「殿下は何かトレーニングとかされていますか?」
「“とれーにんぐ”?」
「はい、筋肉の訓練、略して“筋トレ”です」
「いや、特には……だがまあ、そうだな……簡単な剣術などはたまに近衛隊に教わったりはしている……」
身体を動かすのは嫌いではない。むしろ好きなほうだ。だけど、どうしても守られるほうが圧倒的に多いので、そこまで本格的に鍛えるということは必要ではないのだ。その時間は政治の勉強のほうに割り振られる。それでも割と引き締まった身体を維持できているのは男ゆえか。エレーナはリオンの答えにがっかりすることもなく、軽く頷いて見せた。
「剣も良いですね、わたしも一度近衛隊の練習風景を見てみたいものです」
どこか憧れのような表情で微笑む彼女からは、そして願わくば手合わせをしたい、そんな心の声が聞こえてくるようだった。
(これは筋金入りの“脳筋令嬢”のようだな……)
リオンは複雑な思いで溢れそうになる溜め息を隠す。決して嫌ではない。自分の結婚相手は政略的に選ばれるものだと幼い時から理解していた。数多いる貴族の令嬢の中から、王国にとって一番バランスの良いアントロワーズ家のエレーナ嬢が選ばれただけだ。また、もし彼女がダメになっても、年頃の貴族の娘はまだたくさんいる。見目麗しい令嬢も少なくない。ただ美しいだけではいけない。知識と教養を兼ね備えた王太子妃、将来的には王妃になれる人物でなくては。その辺りは王子と婚約が決まると、王太子妃教育がなされるので取り立てて心配は無いのだが。彼女にももうすぐその教育が始まると思うが……大丈夫だろうか……。
「……好きなら一度見に来ると良いよ。騎士団長にも伝えておこう」
「良いのですか!?ありがとうございます!!」
花も綻ぶような笑顔で笑った彼女。
(こうしていると本当に可愛いのだがな……)
花の妖精、否、少しキツめに見えるその容姿はまるで月の妖精。その可憐で凛とした美しさを持つ白肌の下にゴリゴリの筋肉マッチョを隠し持っているとは誰も思うまい。リオンは我が婚約者殿との次のデートは、きっと騎士団と近衛隊の合同御前試合の見学だろうな、とひっそりと溜め息をこぼしたのであった……。