第3話:転生先は蒸気の帝都
真っ白な空間で、オレは上下左右もわからず、落ちているのか、昇っているのかさえ分からなかった。
手を伸ばしても手の先さえわからない、そんな感覚。
しかし恐怖は無かった。
あたたかな日差しと、青々とした牧草の匂い。
そして……
ひねり出したての馬糞の匂い。
「あぁぁぁっ! くっっっっさっっっっっ!」
オレの嗅覚細胞を死滅させるほどの悪臭にオレは目を覚ました。
目の前には巨大な馬糞。
「うわあああぁぁぁぁぁっ!」
思わずオレは飛び起きた。
「あれま、野垂れ死にの無縁さんかと思ったわい。すまねぇなうちのウマっ子が」
荷馬車を引く老人が、のんびりした口調で馭者台の上から謝った。
「あっ……いや、大丈夫ですので。全然全然大丈夫ですので」
オレは老人に尋ねる。
「あの……ここはどこなんですか?」
自分でも怪しさ満点の質問であったが、老人はにこやかに答えた。
「ここはコーガイ村の外れだ。お前さん、道で行き倒れてたもんで……何か深い事情でもあるんじゃろ?」
なるほど。
広々とした草原と、砂利道に荷馬車。
どこを取っても現代日本とは似ても似つかぬ世界。
これは……間違いなく異世界に辿り着いたのではないだろうか。
「ワシは、これから街の方、テートシティの市場に行って、野菜を売りに行くところじゃ。
良かったら乗っていかんか? さっきのウマっ子の詫びじゃよ」
オレは老人の善意で荷馬車の空きスペースに乗せてもらうことにした。
トコトコと走る荷馬車の上で青い空を眺めていると、なんだかこの異世界も悪くない気がしてくる。
それにしても、オレの貰った【図書カード】って、何なんだろうか。
魔法の類や、すごいパワーとか、そういう戦いに役に立ちそうにもない。
だからといって、ネットスーパーでお買い物ができたり、鋭い鑑定スキルが付与されたわけでもなさそうだ。
【図書カード】を取り出してみると、たちまち視界に図書館の端末画面が広がった。
「うおっ!」
手を動かすと、端末画面が操作できるようだ。
「これはもしや」
既視感のある端末画面。
「これ……大学の図書館だ」
ふとオレは読みかけの本を思い出し、
試しに「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」と入力してみた――
「おぉ、ディックだ……マジで読めるな」
パラパラとページをめくる。
なるほど……この【図書カード】というのは、図書館の蔵書にアクセスできるスキルという訳だな。
「うーん……」
オレはのんびりと思案を巡らせた。
蔵書にアクセスできるというのは、すごいのだろうか?
いわゆる“図書館スキル”であるが、蔵書の膨大な知識が全てインプットされる類のものではなさそうだ。
ふと視界の隅に目をやると、図書館レベル1の表記が見て取れた。
このスキル。レベルが設定されているらしい。
もしかしたら、この異世界の大魔法図書館にある秘密の書庫にアクセスできるようになるのかもしれない。
そう考えるとちょっとワクワクしてきたではないか。
あのいかにもお役所仕事という感じの黒ずくめ少女から貰った、ハズレスキルかと思ったが、これは使いようかも知れない。
オレは二マリとほくそ笑んだ。
いつか異世界最高の知識を得てやる。
「まぁ……さしずめ、今は暇つぶし用って感じのスキルだな……」
トコトコと荷馬車は歩みを進めてゆく。
しばらく『電気羊』を読み進めていると、急に手元が暗くなってしまった。
「んっ! んんっ?! 雨雲か……
あっ!
ひっ……飛行船だっっっ!」
オレと荷馬車の老人をかすめるかのように、巨大な硬式飛行船が鋼板の鈍い輝きをきらめかせ、ゆうゆうとテートシティの方面へ飛んでゆくのが見えた。
「……えっと……オレの思ってる異世界じゃ……ない?」
荷馬車がテートシティに近づくにつれ、天を覆い隠さんばかりの摩天楼や、頭上を行き来する懸垂式モノレール、巨大な歯車が噛み合った時計台などなど……
街のいたるところから蒸気が吹き出し、流線型の蒸気機関車が巨大ターミナルに入線してゆく。
「旅の人……いや、転生者さんかの。ほれ、テートシティはまもなくじゃよ」
老人の指差す方向には、天を衝く摩天楼群が広がっていた。
「マジかよ……?!」
思わずオレは立ち上がった。
テートシティ。
そこには、オレの知るどんな異世界にも存在しない光景が広がっていた。




