第20話:狂犬と大型犬
オレはねじ込まれた財布を睨みながら、
【図書カード】の画面と見比べる。
穴の空いた紙の束。
几帳面に整列した無数の孔。
これがもし本当にコンピューターの記憶媒体なんだとしたら、この帝都にはあのスチームパンク小説で読んだ蒸気計算機が存在している可能性がある。
巨大な硬式飛行船、流線型の弾丸機関車、蒸気で動く時計塔……そしてお掃除ロボット。
そこに”コンピューター”まで加わると……
確かにこのテートシティほどの巨大都市、とても手計算で作れるような街ではない。
蒸気で動くコンピューターのようなものがあると考える方が自然だ。
それにしても……
あのスリ犯の目的がわからない。
オレの財布の現金が目的であったのはわかる。
そして、得体の知れない【図書カード】に用がなかったのもわかる。
問題は、このねじ込まれた財布の方だ。厚みもある。
パンチカードがぎっしりと詰まったものを、なぜオレに託したのか?
その時、治安維持局の小さな蒸気警ら車が赤色灯を焚いて、通りをこちらに向かってくるのが見えた。
「あっ……!」
オレは手元のパンチカード入りの財布を後手に持ち、思わず路地裏へと身を隠した。
「ふぅ……」
妙な緊張感から解放されたような気分だった。
普通に考えれば、オレはスリの被害者であるわけで、治安維持局にこそ、このことの顛末を話すのが筋であっただろう。
しかし、誰のものかわからない財布を持っているという意識が、ついオレをそうさせたのだ。
漏れ出た蒸気が覇気なく路面を濡らし、結露の雫が首筋に垂れる細い路地で、オレは後ろめたさと共に息を潜めた。
治安維持局の赤色灯が、配管の鏡面に反射してオレを一定間隔で照らし出す。
その時だった。
「止まれぃ。動くなよ」
叫ぶわけでなく、しかし威圧的な声が背後からかけられる。
「えーか、ゆっくり手を挙げて、振り返れ。ゆっくりじゃ」
硬質な響きのある声がオレの行動を縛る。
オレは、パンチカードの入った財布を手にしたまま、手を挙げ……言われるがまま、ゆっくりと振り返った。
「はぁ、またお前か……やれんのぉ」
小さな身体に、治安維持局の物々しい制服。
ユカリンだった。
相変わらず口調が怖い。
「お前よぉ、今、何を隠しょーるんなら?」
ユカリンはオレを射るように見据えた。
「隠した……ってわけじゃないっすけど」
オレは、相手がユカリンだと思って少し気持ちが楽になった。
「あの……オレ、さっきスリに遭っちゃって、それでお金は取られちゃって……そう! これ! この変な財布を押し付けられたんです」
オレは身振り手振りを使って、必死に訴えた。
「なんじゃわりゃ、何かばちたれとんなら?」
しかしユカリンのジト目が見開かれることはなく、オレの状況説明に一切の聞き耳を持たなかった。
右手は既にホルスターに添えられていた。
いつでも抜ける位置。
冗談や脅しではない。
小柄な身体は微動だにしない。
だが、その目だけは獲物を見据える肉食獣のように鋭かった。
「その持っとるもんを、はぁたちまち渡せ」
抑制の効いた声色ではあったが、彼女からは狐狼の血を彷彿とさせる迫力があった。
「こ……これ、ですか?」
探り探り言葉を紡ぎながら、オレは逡巡した。
これはオレのものではない。
スリ犯が押し付けてきたロクでもないもののはずだ。
そう……おそらく“ロクでもないもの”なのだ。
そんなロクでもないものを所持していたとして、目の前の少女はどうするだろうか。
無実からでも有を生みかねない目つきをしている。
では、この手元のパンチカードがヤバいものだったら?
「お、お金じゃなさそうですよ」
「……まぁ金の方が微罪じゃろの」
嗚呼……この世界でも寿命を全うしそうです。神様。
そこへ、別の周期で光る赤色灯が視界の端に見えた。
べシンっとドアが閉められる音がして、バタバタと足音が近づいてくる。
一難去らずにもう一難。
荷馬車の老人が言っていた、足し算しか知らない連中という言葉が思い起こされる。
「あちゃー……」
大通りからの光で逆光になった相当長身の人物は、現場に着くなり確かにそう言った。
かなり実感のこもった、あちゃーである。
「それは……うちのヤマですけぇ。勝手に手ぇ出さんといてくださいよ、先輩」
男のオレがはるか見上げるほどの長身の少女。
せいぜい150cm程度のユカリンと比べると際立ってデカい。
「ふん……オオトモか。ホテル風情がなんなら?」
ユカリンは実に不機嫌そうに、ノッポのオオトモを見上げた。
「治安維持局に出て来られちゃ、いけんのです。その人、まだ何もしとらんでしょう?」
オオトモが長い腕を振り回して、精一杯伝えようとする。
「何がいけん言いよるんか? オオトモよぉ、ワタシの所属を忘れたわけじゃなかまーが?」
「……………………」
気圧されたのか、痛いところをつかれたのか。オオトモが推し黙る。
「ただの治安維持局じゃありゃぁせんでの」
「…………異界来訪者監理室。です」
「ほおじゃろが、オオトモよ。
したら、ワタシがそいつを、どないにしようが、こがいにしようが、問題はないわいな」
ユカリンは片笑いを作って、オレに向き直った。
「しかし……しかしですね先輩。異界来訪者監理室は、どっちかゆーたら、悪魔とか、魔法使いとか、そういう市民生活に障るような、異界の脅威やないですか?」
オオトモが反論するが、オレ的には色々と気になる点が多い。
「そいつが持っとるんが、市民生活を脅かすシロモンじゃないと、誰が証明できるんなら?!」
「そ、それは……」
オオトモの視線がオレの手元に注がれる。
「えっと……ほら、お金じゃないっす。よ」
オレは財布の中にあるパンチカードの束をオオトモに見せた。
ユカリンとオオトモの顔が一斉に曇る。
「あちゃー……むしろお金であって欲しかったっすね。
すみません、ご同行願えますか?」
オオトモが大きな手で顔を覆いながら嘆いた。
「オオトモよ。こりゃ見過ごせんわいの……ついて行かせてもらうけぇの」




