第10話:ブレードランナー
陸軍省の飛空艇の話をした後、老人はすっかり口を閉ざしてしまった。
オレもそれ以上は聞かなかった。
鋼鉄の飛行船は何事もなかったかのように帝都の空へ消えていく。
その巨体が落とした影だけが、いつまでも荷馬車の上に残っているようだった。
荷馬車はただトコトコと、ゆっくりと街道を進んでゆく。
どれくらい進んだのだろうか、やがて草原の向こうから、巨大な煉瓦造りの城壁がせり上がるように現れた。
「これじゃまるで要塞だ……」
来るものを威嚇するトゲのように、高層ビルと煙突が突き出した様は異様であり、威容であった。
長い煉瓦の壁の高い位置に、幾つものクレーンが首を並べて整列している。
見るとさっきオレたちを追い越した硬式飛行船が係留されている。
「さっきの飛行船だ……なんでまた、あんなところに係留されてるんだろう」
あの高さでは、どう考えても人が乗り降りできる構造になっていない。
荷馬車の上で、飛行船を観察していると、クレーンが蒸気を吹き上げて動き始めた。
デカい構造物がうなりを上げて動き出すというのは、純粋にかっこいい。
鋼鉄の飛行船を係留したクレーンは、その巨体をゆっくり牽引し、大きなビルの中に収めてしまった。
なんという大胆なシステムであろうか。
オレは興奮を覚えながら、次々とクレーンが飛行船をキャッチしていくのを眺めていた。
「転生者さんや、ああいうのは珍しいかね」
久しぶりに老人が口を開いた。
オレはなんと言ったらいいか、少し考えてから「はい」と本音で答えた。
「そうだな。あんなバカでかい鉄の塊を、帝都はすっかり旅客システムに組み込んじまったんだからなぁ……」
老人の口調は、どこか誇らしそうでもあった。リスペクトと言い換えても良いかもしれない。
「今見えてる壁な、ありゃ全部建物なんだ」
「えっ……?!」
オレは絶句して、その壁を見上げた。
「帝都中央大鉄空臨港駅。“中央鉄空”とも呼ぶがの。あれ全部が駅だ。そりゃ飛行船がデカいから駅もデカくなる。気になったなら後で行ってみると良い」
「ただの駅ですよね」
飛行船が発着する空港兼巨大駅。
まぁ確かに大きくはなるだろう。
品川駅と羽田空港が合体したようなものだろうか?
そう思うと少し興味が湧いた。
「まぁそうじゃな……そうなんじゃが、あの駅には駅の中を移動するためだけの鉄道が走っとるよ。流石に屋内じゃから、電気で動いとるが……
帝都というのはつくづく足し算しか知らん連中の集まりだと思い知らされるわい」
荷馬車は中央鉄空駅の中を通る道に差し掛かった。
巨大な建物の中を、道路や鉄道が貫いているのだ。
空港を横切るならトンネルを掘る必要があるが、この駅ははるか高層に飛行船の発着場を設けることで、建物自体を橋梁構造のようにしているらしかった。
引き算の美学ならぬ、足し算の美学という言葉があるなら、まさにこのことなのであろう。
鉄空駅では、細身のスーツを着こなしたビジネスマンや、身なりの良い婦人。その間を縫うように、幾重にも積み上がったトランクをラックに積んで、ポーターたちが忙しなく走り回っているのが見えた。
空港と新幹線駅と、ホテルが合体したような風景だった。
荷馬車が駅の長い通路を抜けると、街の風景が一変する。
石とレンガが織りなす高層芸術。
整備された街路樹と行き交う大勢の人々。
そこは活気あふれる、大都会であった。
オレの知るどんな街にも似ていない、鉄とレンガと、真鍮と石、それらが折り重なるカオス。
それでいてある種の美学に則ったような美しさがある。
老人が手綱を引くと、馬は屋台と市場がひしめく通りへと歩みを進めた。
「それじゃぁ、ワシはこれから市場へいくで、この辺でお別れじゃ……転生者さんも達者でな」
そう言って差し出された手を握り返す。温かく分厚い労働の手であった。
「転生者さんや。帝都は便利な街じゃが、とにかく人が多い。困ったらまず飯を食いなさい」
「はい、そうします」
「腹が減ると人はロクなことを考えん」
それと……
と、老人は付け加えた。
「この街はなんでも呑み込んで大きくなった街じゃ、転生者さんはくれぐれも呑み込まれんようにな」
老人に礼を告げると、荷馬車はゆっくりと市場へと消えていった。
帝都テートシティ。
それはあまりにも巨大だが、そこを行き交う人々の全てがそれぞれの考えと今日の予定があり、それぞれに家庭があるのだ。俯瞰で見ればただの人混みで、オレはそれを成す一点にすぎないのだ。
そう思うと身震いがした。
とはいえ……
「腹が減ってはイクサができぬ」
オレは人混みをかき分けて、竜のネオンが点滅する屋台へ歩みを進めた。
あいにくというべきか、幸運と捉えるべきか、その店はかなりの繁盛店らしく、狭い通りを挟んで待つように促された。
屋台から立ち上る食事の湯気。
建物の配管から漏れ出る湯気。
マンホールの隙間から漏れて出る役目を終えた湯気。
この街は、どこにいっても湯気だらけ蒸気だらけ。
どこにいってもWi-Fiが飛んでいた元いた世界も、インフラという意味では似通ったものなのかもしれない。
しばらく待つと、屋台のオヤジが手招きをする。
「空きました、空きました。いらっしゃい、いらっしゃい。さあどうぞ。何にしましょうか」
よく考えればオレはものすごく腹が減っている。
バイトの帰りに事故にあい、そのまま白い空間で目を覚まし、長い時間をかけてこの帝都に来たのだ。
「じゃぁコレを……4つで」
「2つで十分ですよ」
オヤジは頑としてゆずらない。
しかしオレは早く空腹を満たしてしまいたかったのだ。
「いや、4つで」
「2つで十分ですよ」
オレの腹具合をなぜオヤジに決められなければならないのだ?
「じゃぁ、うどんも」
「いや、なんで増やすんですか……」
カウンター越しに置かれたのは、不思議な料理だった。
背に腹は変えられない。
オレは大口でそれを頬張った。
頬張った後にふとイヤな予感がした。
そういえば……どうやって支払えば良いのだろうか?
そっと尻のポケットに手を伸ばすが、何もない。
スマホもサイフもないのだ。
冷や汗が出る。
絶体絶命のピンチである。
いや、絶命はしているのではあるが……
その時、
オレは不意に肩を叩かれ、振り向くと、背後からジト目の少女がオレを睨みつけていた。
「なんですか……?」
オレが口を開くと、ジト目の少女は、何事かしゃべった。
街の喧騒もあり、何を言っているのかわからない。
ふと目の前の屋台のオヤジに目配せをすると、こう言った。
「あなたを逮捕すると言っています」




