第43話 問題児の魔法使い②
白い煙が、ギルドの奥からゆっくりと流れてきた。
焦げた木の匂い。
熱を帯びた空気。
煙は床を這うように広がり、磨き上げられた石床を白く霞ませていく。
受付に並んでいた冒険者たちは、慣れたように半歩だけ距離を取った。
「またかよ……」
「今日は何を壊した?」
「朝から勘弁してくれ」
誰も驚いてはいない。
呆れたような声ばかりが聞こえる。
それは、一度や二度の出来事ではないことを物語っていた。
煙の向こうから、軽い足音が響く。
「だから、大丈夫だって言ったじゃない」
少女の声だった。
妙に明るく、自信に満ちた声。
その声を聞いた瞬間、受付の職員が深くため息をついた。
「大丈夫ではありません」
「ちゃんと狙った場所に撃ったわよ?」
「問題はそこではありません」
煙の中から、一人の少女が姿を現した。
肩まで伸びた淡い青色の髪。
煤で汚れた頬。
焦げ跡の残る黒いローブ。
その手には、長年使い込まれた一本の杖が握られている。
少女は頬についた煤を袖で乱暴に拭うと、何事もなかったように杖を肩へ担いだ。
――シファ・サイクロード。
《夜猫の帳》に所属する若い魔法使いだった。
堂々と胸を張り、周囲の視線を真正面から受け止める。
しかし、その場にいた冒険者たちは笑いながらも、一歩だけ距離を置いていた。
誰も隣へ行かない。
誰も話しかけない。
笑っている。
呆れている。
それでも、その輪へ迎え入れようとする者はいなかった。
シファは、その空気に慣れているようだった。
いや――慣れてしまっているようだった。
ギルド職員が、黒焦げになった訓練用魔導具を持ち上げる。
「シファ。また訓練用魔導具を壊しましたね」
「壊したんじゃないわ」
「では、これは何です?」
職員が目の前へ差し出した魔導具は、黒く焦げ、半分が砕け散っていた。
「耐久力が足りなかっただけ」
「魔導具のせいにしないでください」
「ちゃんと初級+しか使ってないわよ?」
その一言に、近くの冒険者が苦笑する。
「初級+で、あの威力かよ……」
「魔力量だけは本物なんだよな」
「魔法だけ見りゃ、大したもんなんだけどな」
賞賛の声は、そこで止まる。
そして、決まって同じ言葉が続いた。
「でも、一緒には組みたくない」
「ああ」
「命がいくつあっても足りない」
「またパーティーをクビになったって聞いたぞ」
「今回で何回目だ?」
シファの指先に、わずかに力が入る。
グランの視線は、自然とその手に止まった。
細い指だった。
だが、その付け根には硬い豆ができている。
何度も杖を握り、何度も魔法を放ってきた者の手だった。
努力を知らない人の手ではない。
グランは自分の掌を見下ろす。
メイスを握るようになってできた豆。
盾で擦れた指。
形は違う。
けれど、少しだけ似ていると思った。
ギルド職員は静かに口を開く。
「シファ。お前に魔法の才能があることは、誰も否定していない」
「分かってる」
「だが、塔は一人で登る場所じゃない」
シファは黙ったまま、視線を逸らさない。
「仲間より先に飛び出す」
「仲間が危険だと言っても撃つ」
「自分なら制御できると信じて疑わない」
「それでは、誰も安心して背中を預けられない」
ギルドの空気が静まり返る。
職員は少しだけ声を落とした。
「本当に仲間を見ているなら、何度もパーティーをクビになったりはしない」
その一言だけが、重く響いた。
シファは何か言い返そうと口を開く。
だが、言葉は出てこない。
やがて小さく息を吐き、顔を背ける。
「……合わなかっただけよ」
強がるような声だった。
その横顔だけは、ほんの少しだけ寂しそうに見えた。
グランは目を離せなかった。
誰にも選ばれない苦しさ。
努力だけでは埋められない壁。
それは、自分も知っている痛みだった。
シファは杖を肩に担ぎ直すと、何事もなかったように受付へ歩き出した。
誰も呼び止めない。
誰も声を掛けない。
先ほどまでざわついていたギルドが、その背中だけを避けるように静まり返る。
受付で羽ペンを走らせる音だけが、やけに大きく響いていた。
ギルド職員が小さくため息をつく。
「魔法の才能はあるんだけどな……あの性格じゃあな」
誰も否定しなかった。
グランだけが、シファを見つめていた。
煤で汚れたローブ。
使い込まれた杖。
努力の跡が刻まれた手。
そして、胸を張っているのに、どこか孤独に見える背中。
気づけば、グランの足は一歩前へ出ていた。
石床に、小さく靴音が響く。
「お、おい……」
「まさか」
「話しかける気か?」
ざわめきが広がる。
ギルド中の視線が、一人の少年へ集まる。
シファがゆっくりと振り向いた。
その瞳には警戒と、どこか諦めにも似た色が浮かんでいた。
グランは彼女の前で足を止める。
喉が乾く。
それでも視線は逸らさなかった。
「あの……」




