第42話 問題児の魔法使い①
ギルドの朝は、いつも騒がしい。
石床を踏む靴音。
掲示板の前で交わされる低い声。
受付へ流れていく冒険者たちの列。
革鎧の擦れる匂いに、磨かれた金属の冷たい光。剥がされたばかりの依頼書からは、まだ乾ききらないインクの匂いがかすかに残っていた。
その中で、グランは掲示板の前に立っていた。
腰に下げたFランクの認識票が、歩くたびに小さく揺れる。
昨日、ようやく手にした証。
昨夜、星塔の旅団で祝ってもらった温もりは、まだ胸の奥に残っている。
けれど、その温もりとは裏腹に、目の前の現実は冷たかった。
グランの視線は、一枚の募集票で止まる。
六層以降経験者歓迎。
前衛募集。
スキル持ち優遇。
その文字だけが、やけに濃く見えた。
グランは自分の手を見る。
剣を握ってきた手。
今は、メイスを握り始めた手。
盾の縁で擦れた指先。潰れかけた豆。薄く残る包帯の跡。
努力の跡はある。
けれど、掲示板の前では、それは何の証明にもならなかった。
「……行こう」
小さく呟き、グランは近くにいた三人組へ歩み寄った。
革鎧の男。
槍を持つ女。
短剣を腰に差した小柄な少年。
立ち位置を見る限り、男が前に出て、女が横を押さえ、少年が隙を突く形だろう。三人の距離は近い。何度か塔へ入っている者たちの間合いだった。
「あの。僕もパーティーを探していて。よければ――」
「スキルは?」
革鎧の男が、即座に聞いた。
グランは息を止める。
もう、何度も答えてきた言葉だった。
「ありません」
男の目から、すっと熱が消えた。
「悪いな。うちは無理だ」
「……そうですか」
「前衛は足りてる。スキルなしを庇う余裕はない。塔じゃ一回のミスで終わるからな」
乱暴な言葉ではなかった。
むしろ正しかった。
男の指は、腰の剣帯を無意識に掴んでいた。爪の先が白い。恐れているのは、グランではない。自分の仲間を失うことなのだと、グランにも分かった。
「ありがとうございました」
グランは頭を下げる。
背を向けたあと、女の小さな声が耳に届いた。
「感じは悪くないんだけどね」
「感じで魔物は倒せねえよ」
グランは足を止めなかった。
次の二人組にも声を掛けた。
「悪い、もう決まってる」
そう言って、相手は目を逸らした。
別の冒険者は、グランの装備を見るなり首を横に振った。
「メイスと盾か。盾役にしては細いな。経験は?」
「五層までです」
「教官付きだろ?」
「はい」
「じゃあ無理だ。こっちは命を預ける相手を探してる」
また、断られた。
次は、少し年上の女冒険者だった。
グランの話を最後まで聞いてくれた。
聞いたうえで、申し訳なさそうに笑った。
「ごめんね。頑張ってるのは分かるけど、今の私たちじゃ守りきれない」
「守られるつもりはありません」
「そういう意味じゃないの。……でも、分かるでしょ?」
グランは、少しだけ唇を結んだ。
分かってしまった。
だから、頷くしかなかった。
「はい」
四組目は、何も言わなかった。
スキルがないと伝えた瞬間、無言で首を横に振られた。
五組目は、励ますように肩を叩いた。
「若いんだ。焦るな。まずはもっと腕を上げろ」
悪意はない。
見下しているわけでもない。
むしろ、親切だった。
それでも、胸の奥に沈むものは軽くならなかった。
断る側にも事情がある。
命を預ける相手を選ぶのは当然だ。
塔は遊び場ではない。
誰かの優しさだけで生き残れる場所ではない。
その現実は、痛いほど知っている。
ギルド内の空気は、朝の冷たさを失っていた。
人の熱。
汗。
革。
金属。
焼きたてのパンを包んだ紙袋を持つ冒険者の匂いまで混じって、喉の奥が少し乾く。
グランは壁際に立ち、軽く息を吐いた。
レイナの声が、頭の中で蘇る。
塔はお前の事情なんざ見ちゃくれない。
その通りだと思った。
塔は、グランがスキルを持たないことを哀れまない。
努力したことを褒めてもくれない。
家族を失った痛みも、新しい場所で前へ進もうとしていることも、何一つ考慮してはくれない。
階層があり。
魔物がいて。
判断を誤れば、死ぬ。
それだけだ。
グランはもう一度、掲示板へ戻った。
指先で募集票の端を追う。
そこには、どこにも自分の居場所がないように見えた。
けれど。
探さなければ、見つからない。
グランは折れかけた気持ちを胸の奥で押さえ込み、顔を上げた。
「……まだ探してるのか?」
受付の方から声が掛かった。
振り向くと、昨日も対応してくれたギルド職員が苦笑いを浮かべていた。
呆れではない。
少しだけ、気遣うような色がある。
「はい」
「まあ、すぐには難しいだろうな。Fランクになったばかりで、しかもスキルなしだ。悪い意味じゃない。皆、自分の命を預ける相手を探してる」
グランは静かに頷いた。
「お前の場合、真面目なのは伝わるんだがな。塔で必要なのは、真面目さだけじゃない」
「はい」
職員は頬を掻きながら、少し声を落とした。
「前衛なら、せめて武器技術が安定してるか、何か一つ売りが欲しい。盾役としても、まだ経験が浅い。五層の階層主を越えたとはいえ、今までは教官役が安全を見ていたんだろ?」
グランの脳裏に、レイナとミリア、エルドの姿が浮かぶ。
いつも誰かがいた。
危険の芽を見逃さず、最悪になる前に止めてくれていた。
自分一人の力で越えてきたわけではない。
「はい。僕だけの力ではありません」
「そこを分かってるのは悪くない」
職員は、わずかに目を細めた。
「焦るな。探し続ければ、合う相手が見つかることもある」
慰めなのか、助言なのか。
今のグランには分からなかった。
ただ、ここで立ち止まる理由にはならない。
「もう少し、声を掛けてみます」
「ああ。無理に急ぐなよ」
「はい」
グランが頷いた、その時だった。
ギルドの奥から、鈍い音が響いた。
爆発ではない。
けれど、空気を内側から殴りつけるような音だった。
続いて、白い煙が廊下の奥から噴き出す。
受付に並んでいた冒険者たちが、一斉に顔をしかめた。
「またかよ」
「勘弁してくれ……」
「今日は何をやらかしたんだ?」
ざわめきの質が変わる。
驚きではない。
慣れた者のため息。
諦めた者の沈黙。
グランは煙の向こうを見た。
煙の奥から聞こえてきたのは、慌てる職員の声ではなかった。
「だから大丈夫だって言ってるでしょ!」
妙に明るく、自信に満ちた少女の声。
ギルド職員が額に手を当てる。
「……あいつか」
白い煙の中から、小さな人影がゆっくりと姿を現した。
その瞬間、ギルド中の空気が一斉に変わる。
誰かが、諦めたように呟いた。
「……またシファだ」




