第39話 孤戦(後編)
風が止んだ。
草原を包む静寂の中、グランとホブゴブリンは互いを見据えたまま動かない。
グランの肩は激しく上下していた。
ポーションで傷は塞がった。
だが、身体の奥に溜まった疲労は消えない。
盾を握る腕は重く、メイスを握る手は汗で滑る。
それでも視線だけは揺るがなかった。
見るのは剣ではない。
肩。
腰。
足。
ホブゴブリンが左前腕をゆっくりと握り直す。
痺れを振り払うように腕を回し、鉄の両手剣を構えた。
黄色い瞳が細くなる。
「グルルル……」
低い唸り声。
地面を踏み締めた瞬間、草が弾け飛んだ。
巨体が一直線に迫る。
大剣が袈裟懸けに振り下ろされる。
グランは盾を斜めに滑らせた。
ギィィンッ!!
甲高い音とともに刃が逸れる。
衝撃は腕を痺れさせたが、身体は止まらない。
ホブゴブリンはすぐさま手首を返した。
横薙ぎ。
空気が裂ける。
グランは身を沈める。
鼻先を刃が掠め、風圧で頬が切れた。
熱い血が一筋流れる。
そのまま懐へ飛び込む。
メイスを振るう。
鉄球が低く唸った。
しかし。
ホブゴブリンは剣の腹で受け流す。
激しい火花。
返す勢いのまま柄尻を突き出した。
鈍い衝撃が胸へめり込む。
「……っ!」
息が詰まる。
足がもつれる。
そこへ再び大剣が振り上げられた。
(違う)
グランの瞳が鋭く細まる。
肩が動いていない。
腰も回っていない。
振り下ろしではない。
フェイント。
レイナとの打ち込み。
ミリアとの反復。
身体が先に答えを出していた。
グランは半歩だけ前へ滑る。
大剣が軌道を変え、横薙ぎとなって背中を掠めた。
服が裂ける。
だが、届かない。
互いの肩が触れ合うほどの距離。
ホブゴブリンの瞳がわずかに揺れた。
盾を押し込む。
巨体がぐらりと傾く。
右足を踏み締める。
腰を落とす。
全身を捻る。
メイスが弧を描いた。
ドゴォッ!!
鈍く重い衝撃が草原へ響く。
鉄球が左膝を打ち砕いた。
「ギィィッ!!」
ホブゴブリンが片膝をつく。
それでも倒れない。
大剣を杖代わりに突き立て、唸りながら立ち上がる。
両腕へ力が籠もる。
最後の一撃。
大剣が大きく振り上げられた。
大気が震え、草が押し倒される。
グランは動かない。
肩が沈む。
腰が回る。
来る。
その瞬間だけを待つ。
刃が落ちる。
グランは半歩だけ踏み込んだ。
盾を斜めへ滑らせる。
ギャリィィン!!
刃が大きく逸れた。
勢いを失えなかった大剣は、そのまま地面へ深々と突き刺さる。
一瞬。
ホブゴブリンの動きが止まった。
その一瞬で十分だった。
グランは静かに息を吐く。
右足が大地を踏み締める。
腰が回る。
肩が走る。
肘が伸びる。
積み重ねてきた時間が、そのまま一撃へ変わる。
メイスが唸った。
ドゴォンッ!!
鉄球がホブゴブリンの顎を真正面から打ち抜く。
骨を砕く鈍い手応えが両腕へ返る。
巨体がゆっくりとのけ反った。
黄色い瞳から、静かに力が抜けていく。
握られていた大剣が手を離れ、重い音を立てて草原へ横たわった。
やがてホブゴブリンの身体は崩れ落ちる。
轟音。
大地が小さく震えた。
その巨体は淡い光へ変わり、無数の粒子となって風へ溶けていく。
あとには、一つの魔晶石だけが残されていた。
グランは肩で息をしながら、その場へ静かに膝をつく。
震える手で魔晶石を拾い上げた。
その瞬間だった。
眩い光が掌から溢れ出す。
「……っ」
草原が揺れた。
空が硝子のように軋み、無数の亀裂が広がる。
世界が白い光へ飲み込まれていく。
最後に映ったのは、光に包まれた草原だった。
そして、グランの意識は静かに闇へ沈んだ。




