↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
36/48

第37話 孤戦(前編)

 重々しい音を響かせながら、五層階層主の間への石扉がゆっくりと開いていく。


 隙間から流れ込んできた空気は、どこかひんやりとしていた。


 グランは無意識にメイスを握り直す。


 隣には緊張した表情の新人冒険者たち。


 誰も言葉を発しない。


 武器を握る音と、浅くなった呼吸だけが静かに重なっていた。


 ホブゴブリン。


 五層の階層主。


 通常なら二人以上で挑むことが推奨される相手だ。


「行こう」


 誰かが小さく呟き、一歩を踏み出す。


 グランもその背を追った。


 石畳を踏み越えた、その瞬間だった。


 世界が歪んだ。


「――っ!?」


 視界が白く弾ける。


 身体が上下も左右も分からない空間へ放り込まれる。


 耳鳴り。


 胃が浮き上がるような感覚。


 思わず目を閉じる。


 次の瞬間。


 ふわり、と草を踏む柔らかな感触が足裏へ伝わった。


 グランは反射的に身を沈め、丸盾を構える。


 風が吹く。


 青草の匂い。


 どこまでも青い空。


 目の前には草原が広がっていた。


「……みんな?」


 返事はない。


 振り返る。


 石扉はない。


 石壁も通路もない。


 見渡す限り草原だけだった。


 胸の奥がざわつく。


(一人……なのか?)


 喉がひどく渇く。


 その静寂を裂くように。


 ギィ……


 鉄を引きずる重い音が響いた。


 反射的に視線を向ける。


 草を踏み分け、一体の魔物がゆっくりと姿を現した。


 緑色の皮膚。


 ゴブリンより一回り大きな身体。


 隆起した筋肉。


 肩へ担がれた巨大な鉄の両手剣。


 剣先が地面を削るたび、乾いた音が草原へ響く。


 黄色い瞳が、じっとグランを見つめていた。


 その目には獣の荒々しさだけではない。


 戦い慣れた者だけが持つ冷静さが宿っている。


「……ホブゴブリン」


 思わず息を呑む。


 ただ立っているだけなのに、身体が勝手に後ずさろうとする。


 手のひらが汗で湿る。


 心臓が肋骨を叩くように激しく鳴った。


 ホブゴブリンはゆっくりと両手剣を肩から下ろす。


 剣先が草を押し潰した。


 その口元がわずかに歪む。


「ギィ……」


 獲物を見つけた笑みだった。


(逃げられない)


 ここにはレイナもいない。


 ミリアもいない。


 助けてくれる者は誰もいない。


 いるのは自分と、この魔物だけ。


 グランは大きく息を吸う。


 震える指先を握り込み、恐怖を押し殺した。


 ホブゴブリンの肩がわずかに沈む。


 レイナの厳しい声が脳裏に蘇る。


『武器を見るな。肩と腰を見ろ』


 グランの視線が剣先から外れる。


 肩。


 腰。


 重心。


 次の瞬間。


 ホブゴブリンが地面を爆ぜさせた。


「速い!」


 巨体が信じられない速度で迫る。


 距離が一瞬で消えた。


 両手剣が頭上高く振り上げられる。


 空気が悲鳴を上げる。


 振り下ろされる。


 グランは丸盾を前へ押し出した。


 轟音。


 激突した瞬間、腕が痺れた。


「ぐっ!!」


 衝撃が肩を貫き、全身が軋む。


 足が草を抉りながら大きく後退した。


 重い。


 受け止めただけで腕が千切れそうだった。


 だが。


 ホブゴブリンは止まらない。


 剣を引き戻す動きがあまりにも滑らかだった。


 そのまま腰を回転させる。


 横薙ぎ。


 風が爆ぜた。


 グランは身体を沈める。


 刃が鼻先を掠め、数本の黒髪が宙へ舞う。


 直後。


 剣は地面を薙ぎ払った。


 土と草が爆発する。


 視界が茶色く染まる。


(見えない――!)


 その一瞬だった。


 砂煙の向こうからホブゴブリンの姿が消えた。


「しまっ――」


 背筋に冷たいものが走る。


 ほぼ反射だった。


 グランは盾を背後へ振り向ける。


 直後。


 凄まじい衝撃が盾へ叩き込まれた。


 ガァァンッ!!


 身体が宙へ弾き飛ばされる。


 何度も草原を転がり、土と草を巻き上げた。


 肺の空気が一気に吐き出される。


「かはっ……!」


 息ができない。


 それでも歯を食いしばり、立ち上がる。


 視線の先では、ホブゴブリンが再び両手剣を肩へ担ぎ、獲物を値踏みするように静かに笑っていた。


 ――まだ、本気ではない。


 その事実が、グランの背中に冷たい汗を流した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。