第3話 街道の夜
フェルン村を出て二日目。
グランは一人、街道を歩いていた。
荷物は最小限だった。
着替えが一組。
保存食が少し。
そして、大切な冒険譚の本。
腰には木剣。
父の形見である狩猟用の短剣。
首には銀色のペンダント。
それだけだった。
空が赤く染まり始める。
日が沈む前に休める場所を見つけなければならない。
やがて街道沿いに小さな休憩所が見えてきた。
旅人や商人が利用する簡素な建物だった。
グランは扉を押し開ける。
中には数人の旅人がいた。
商人。
荷運び。
そして四人の冒険者。
二人の人間。
一人のドワーフ。
一人の小人族。
全員が使い込まれた武器を携えていた。
グランは空いている席へ腰を下ろす。
鞄から干し肉を取り出した。
夕食だった。
「見ろよ」
小人族が笑う。
「木剣だぞ」
ドワーフが鼻を鳴らした。
「子供の冒険ごっこか?」
四人の視線がグランへ向く。
木剣。
薄い旅装。
少ない荷物。
どう見ても頼りなかった。
「坊主」
人間の男が声を掛ける。
「迷子か?」
「違う」
「じゃあ家出か」
「違う」
小人族が吹き出した。
「本当に愛想がねぇな」
グランは黙って干し肉を齧る。
その様子を見ていた人間の男が、ふと眉をひそめた。
灰色の瞳。
黒髪。
無愛想な返事。
記憶の奥に引っ掛かる。
数年前。
小さな村。
毎日木剣を振っていた少年。
「あ……」
男が呟く。
「フェルン村の坊主か?」
グランは顔を上げた。
見覚えがあった。
五年前。
村へ立ち寄った冒険者。
初めて剣を教えてくれた男。
「……覚えてる」
男は苦笑した。
「本当にあの坊主か」
ドワーフが首を傾げる。
「知り合いか?」
「ああ」
男は頷く。
「昔、少しだけ剣を教えた」
視線が木剣へ落ちる。
傷だらけだった。
握りは擦り切れ。
何度も補修した跡が残っている。
男は小さく息を吐いた。
「まだ使ってたのか」
「うん」
短い返事。
けれど。
その木剣が全てを物語っていた。
五年間。
この少年がどれだけ剣を振り続けてきたのか。
男には何となく分かった。
「それで」
男は椅子に深く腰掛ける。
「どこへ行く」
「願いの塔」
今度は誰も笑わなかった。
男はしばらくグランを見つめる。
「本気か」
「本気」
即答だった。
男は頭を掻いた。
昔から変わらない。
一度決めたら動かない。
そういう少年だった。
「坊主」
低い声だった。
「そんな装備で塔へ行っても死にに行くだけだ」
休憩所が静かになる。
「帰れ」
男は続けた。
「フェルン村へ帰れ」
グランは黙って聞いていた。
「猟師でも続けてろ」
「お前の親父さんみたいにな」
男は視線を落とす。
「その方がお前のためだ」
その言葉に嘘はなかった。
馬鹿にしているわけでもない。
追い返したいわけでもない。
本気で止めていた。
願いの塔がどんな場所か知っているから。
夢だけでは辿り着けないことを知っているから。
そして。
夢を追った先で失ったものがあるから。
だから止めた。
本気で。
グランはしばらく黙っていた。
焚き火の火が揺れる。
帰る。
フェルン村へ。
父と母が眠る村へ。
それが正しいのかもしれない。
生きるだけなら。
きっと。
その方がずっと正しい。
けれど。
グランは首を横に振った。
「僕は」
言葉にするのは苦手だった。
上手い理由も言えない。
立派な言葉も出てこない。
それでも。
「行きたい」
静かな声だった。
けれど。
揺らぐことはなかった。
男はしばらく何も言わない。
やがて。
小さく笑った。
「そうか」
呆れたような声だった。
けれどどこか懐かしそうだった。
昔の自分を見ているような顔だった。
夜が更ける。
そして朝が来る。
東の空が白み始めていた。
グランは荷物を手に取る。
誰も引き止めなかった。
引き止めても無駄だと分かったからだ。
グランは扉を開く。
朝日が街道を照らしている。
風が吹いた。
首元のペンダントが小さく揺れる。
少年は前を向く。
そして。
街道の先へ歩き出した。




