第27話 老賢者の問い
星塔の旅団へ加入してから二十日。
グランは毎日のように願いの塔へ通っていた。
舞台は変わらない。
一階。
どこまでも続く草原。
吹き抜ける風。
草むらに潜むホーンラビット。
群れで行動するゴブリン。
初心者向けと呼ばれる階層。
それでも、グランにとっては油断できる場所ではなかった。
スキルを持つ冒険者なら、数分で終える戦い。
グランは一体ずつ。
確実に。
慎重に剣を振るう。
魔物の動きを見て。
間合いを測り。
呼吸を整える。
狩人として父から教わった感覚が、少しずつ塔でも活き始めていた。
討伐できる魔物の数も増えた。
傷を負う回数も減った。
劇的な成長ではない。
それでも。
昨日より今日。
今日より明日。
確かに前へ進んでいた。
夕暮れ。
討伐を終えたグランは星塔の旅団へ戻る。
レイナはギルドから受けた依頼で数日間留守にしている。
ミリアも街へ買い物に出掛けていた。
静かなクランハウスには、古時計の音だけが響いていた。
「帰ったか」
穏やかな声に振り向く。
窓際の椅子で、エルドが紅茶を飲んでいた。
「お疲れ様です」
「少し付き合え」
「はい」
グランは向かいへ腰を下ろす。
二人はしばらく何も話さなかった。
窓の外では、夕日に照らされた願いの塔が静かに空へ伸びている。
やがてエルドが口を開いた。
「塔はどうじゃ」
短い問いだった。
グランは塔を見つめる。
「……まだ遠いです」
「そうか」
「一階でも苦戦します。」
「周りの冒険者は簡単に倒していくのに、僕はまだ時間が掛かります」
エルドは静かに頷いた。
「では聞こう。」
「お前さんは二十日前より弱くなったか?」
グランは少しだけ考える。
「……いいえ」
「何が変わった」
また考える。
すぐには答えが出ない。
ようやく口を開いた。
「最初ほど……慌てなくなりました。」
「魔物の動きを見る余裕が少しだけあります。」
「怖いですけど……」
そこで言葉が止まる。
「怖いまま戦えます。」
エルドの口元がわずかに緩んだ。
「そうか。」
それだけだった。
だが、その一言には満足が滲んでいた。
老人は紅茶を置く。
「歩き方が変わったの。」
グランは首を傾げる。
「歩き方……ですか?」
「最初のお前さんは、塔へ向かう者の歩き方じゃった。」
エルドは静かにグランを見る。
「今は、塔から帰ってくる者の歩き方をしておる。」
思わず自分の足元を見る。
そんなことは考えたこともなかった。
「人は自分の変化には気付きにくい。」
「毎日見ておる者の方が、よく分かるものじゃ。」
胸の奥が少しだけ熱くなる。
二十日。
積み重ねてきた時間は、無駄ではなかった。
エルドは再び願いの塔へ目を向けた。
「急ぐ者は多い。」
「早く強くなりたい。」
「早く上へ行きたい。」
「皆、そう願う。」
静かな声が続く。
「じゃが、塔は急ぐ者を好まん。」
グランも塔を見上げる。
空を貫く白い塔。
頂は夕焼けの向こうへ消えていた。
「一歩ずつ登る者だけが、最後まで歩ける。」
それ以上、エルドは何も語らなかった。
言葉はもう十分だった。
グランは静かに立ち上がる。
「ありがとうございました。」
深く頭を下げる。
エルドは微笑み、小さく手を振った。
「明日も行くのじゃろう。」
「はい。」
「ならば今日はゆっくり休め。」
「強くなる者は、休むことも覚える。」
「はい。」
短く答え、グランは自室へ向かった。
窓の外。
願いの塔は今日も静かに空へ伸びている。
その頂は、まだ見えない。
けれど。
グランはもう、ただ見上げるだけの少年ではなかった。
一歩ずつ。
昨日の自分を越えながら、頂へ向かって歩き始めていた。




