第25話 明日へ備える
夕焼けが、アストリアの街並みを茜色に染めていた。
願いの塔から戻ったグランは、静かに星塔の旅団の扉を開ける。
「おかえりなさいませ。」
迎えたのはミリアだった。
柔らかな笑みを浮かべていたが、その視線はすぐにグランの腕へ向く。
「また怪我をされましたね。」
「かすり傷です。」
「その”かすり傷”を放っておくと、次の戦いで動きが鈍ります。」
優しい口調のまま、ミリアは包帯を取り出した。
「こちらへどうぞ。」
グランは素直に椅子へ腰を下ろす。
包帯をほどくと、腕や肩には細かな切り傷がいくつも残っていた。
消毒液が傷口へ染みる。
思わず顔をしかめるグランを見て、ミリアは少しだけ笑う。
「痛みを我慢するのは立派ですが、治療を我慢する必要はありませんよ。」
「……はい。」
手際よく新しい包帯が巻かれていく。
「今日はポーションも使われましたね。」
「一本使いました。」
「残りは一本です。」
グランは静かに頷く。
ポーションは安くない。
怪我をすればするほど、今日稼いだ報酬は減っていく。
「惜しまず使うことも大切ですが、怪我を減らすことはもっと大切です。」
「はい。ありがとうございます。」
ミリアは満足そうに微笑むと、部屋を後にした。
静かな部屋へ戻ると、グランは荷物を机の上へ並べる。
鉄の剣。
父・ルークの形見である狩猟ナイフ。
革袋。
水筒。
包帯。
残り一本のポーション。
そして、革袋へ入った銅貨。
父は狩りから戻るたび、必ず道具を手入れしていた。
『狩りは獲物を仕留めて終わりじゃない。家へ帰るまでが狩りだ。』
その言葉は、今もグランの中で生き続けている。
布で鉄の剣をゆっくり磨く。
刃に付いた血を落とし、刃こぼれを確かめる。
柄に緩みはない。
鞘の内側も掃除する。
次に狩猟ナイフ。
革袋の紐。
水筒の栓。
使えるものは、いつでも使えるように整える。
それが命を守る。
最後に革袋から銅貨を取り出した。
机へ静かに並べる。
今日、命を懸けて得た報酬。
その一枚一枚には、自分が流した汗と血が詰まっている。
グランは指先で銅貨を動かしながら計算する。
今日使ったポーションを補充する必要がある。
包帯も買い足さなければならない。
食事代も残しておく必要がある。
思ったほど手元には残らない。
「……冒険者って、お金が掛かるんだな。」
狩りをしていた頃とは違う。
魔物を倒せば終わりではない。
武器も道具も、自分の身体も維持しなければ、明日は戦えない。
「ちゃんと考えてるじゃないか。」
入口から声がした。
レイナだった。
腕を組み、机の上を眺めている。
「父に教わりました。」
「狩人だったんだっけ。」
「はい。」
レイナは机へ近づき、磨き終えた鉄の剣を手に取る。
刃を確認し、小さく頷いた。
「十分だ。」
短く言って剣を返す。
「武器。」
「道具。」
「金。」
「全部、命を繋ぐためのものだ。」
グランは黙って耳を傾ける。
「塔で生き残る奴は、強い奴だけじゃない。」
「毎日こういうことを、当たり前に続けられる奴だ。」
レイナは扉へ向かう。
その途中、足を止めた。
「初日よりは動けるようになった。」
振り返らないまま続ける。
「……でも、まだ他の新人には及ばない。」
「それは、お前が一番分かってるはずだ。」
「はい。」
「だから焦るな。」
「一歩ずつ積み重ねろ。」
それだけ言い残し、レイナは部屋を出て行った。
部屋には静かな時間だけが流れる。
グランは銅貨を革袋へ戻し、道具を元の場所へしまっていく。
鉄の剣を鞘へ納める。
狩猟ナイフを腰へ戻す。
革袋を背負い、水筒を掛ける。
忘れ物がないか、もう一度だけ確かめる。
最後に、胸元で揺れる銀色のペンダントへそっと触れた。
幼い頃から身につけている、大切な形見。
無意識のうちに指先へ力が入る。
「……父さん、母さん。」
静かな声は、誰にも届かない。
窓の外では、夜の帳の中に願いの塔が静かにそびえ立っていた。
その頂は、まだ遠い。
だからこそ、焦る必要はない。
明日も塔へ向かう。
そのために武器を整え、道具を整え、自分を整える。
今日より少しだけ前へ。
その積み重ねだけを信じて、グランは静かに灯りを消した。




