第20話 願いの塔への準備
翌朝。
食堂へ入ると、エルドはいつもの席で温かい紅茶を飲んでいた。
ミリアは朝食を並べ、レイナは腕を組みながら窓の外を眺めている。
穏やかな朝だった。
食事を終えると、エルドが湯飲みを静かに置いた。
「グラン。」
「はい。」
「明日から、お前さんも願いの塔へ挑むことになる。」
その言葉に、グランの胸が高鳴る。
「じゃが、今日はまだ塔へは入らん。」
「今日は準備の日じゃ。」
「塔で命を落とす者は、魔物に負けた者だけではない。」
「準備が足りず、帰って来られなかった者も大勢おる。」
グランは真剣な表情で頷いた。
エルドは穏やかな笑みを浮かべ、レイナへ視線を向ける。
「レイナ。」
「ああ。」
「悪いが、今日はグランに付き合ってやってくれんか。」
「塔へ入る前に知っておいた方がええことを、教えてやってほしい。」
レイナは肩をすくめる。
「仕方ないね。」
「任せな。」
エルドは嬉しそうに頷いた。
「ありがとう。」
「レイナがおれば安心じゃ。」
ミリアも微笑む。
「気を付けて行ってらっしゃい。」
「はい。」
二人は旅団を後にした。
朝のアストリアは、多くの冒険者で賑わっていた。
武器を手入れする者。
装備を買い替える者。
仲間と地図を広げる者。
誰もが塔へ挑むための準備をしている。
「みんな準備してるんですね。」
グランが呟く。
レイナは前を向いたまま答えた。
「当然だ。」
「塔は強い奴が生き残る場所じゃない。」
「準備した奴が生き残る。」
最初に訪れたのは防具店だった。
店内には革鎧や胸当て、盾が整然と並んでいる。
革鎧の手入れをしていた店主が顔を上げた。
「おや、レイナじゃないか。」
「久しぶり。」
店主はグランへ目を向ける。
「……その坊主は?」
「うちの新入り。」
一瞬、店主の手が止まった。
「……新入り?」
「ああ。」
店主は驚いたように目を丸くする。
「驚いたな。」
「星塔の旅団が新人を迎えるなんて。」
「そんな日が来るとは思わなかった。」
レイナは苦笑した。
「私もそう思ったよ。」
「決めたのは、じいさん。」
「エルドさんが?」
店主は静かに笑う。
「そうか。」
「エルドさんが認めたなら、きっと理由があるんだろう。」
そう言うと、店主はグランへ手を差し出した。
「装備を見せてみな。」
店主は鉄の剣を抜き、刃を確かめる。
「悪くない。」
「毎日手入れしてるな?」
「はい。」
革鎧も縫い目や金具を丁寧に確認する。
「これも問題ない。」
「まだ十分使える。」
グランは胸を撫で下ろした。
店主は剣を返しながら笑う。
「高い武器が命を守るわけじゃない。」
「手入れを怠る奴に、武器は応えてくれねぇ。」
グランは静かに剣を受け取った。
次に向かったのは道具屋だった。
レイナは迷いなく必要な物を選んでいく。
回復薬。
包帯。
ロープ。
火打石。
保存食。
グランは値札を見て思わず苦笑した。
「……結構、高いですね。」
レイナも苦笑する。
「命の値段だよ。」
グランは少し迷う。
「回復薬は一本でも……。」
「駄目。」
レイナは迷わず二本目を籠へ入れた。
「一本で済む怪我なら運がいい。」
続いて包帯を二つ手に取る。
「怪我は一か所とは限らない。」
少しだけ視線を落とした。
「……昔。」
「回復薬を一本しか持たなかった馬鹿がいた。」
「二本あれば助かったかもしれない。」
「だから私は二本持つ。」
グランは何も聞かなかった。
レイナの表情を見れば、それで十分だった。
買い物を終えると、二人は人気のない広場へ向かう。
「荷袋を背負って。」
グランは荷袋を背負う。
「剣を抜いてみな。」
剣を抜く。
「少し遅いね。」
レイナはロープの位置を直し、水袋を腰へ移した。
「もう一回。」
グランは再び剣を抜く。
先ほどより速い。
「うん、それならいい。」
「道具は持つだけじゃ意味がない。」
「必要な時に、すぐ取り出せなきゃ意味がないからね。」
帰り道。
二人は願いの塔の正門前を通った。
笑いながら塔へ向かう冒険者。
緊張した表情で門をくぐる新人たち。
その横を、担架が静かに運ばれていく。
全身を包帯で巻かれた男。
片腕を失った獣人。
泣き崩れる仲間。
誰も騒がない。
それが、この場所の日常だった。
グランは思わず立ち止まる。
レイナは静かに言う。
「ちゃんと見ておきな。」
「あれがお前の未来になるかもしれない。」
グランは言葉を失った。
夢を叶える塔。
その夢の裏側には、命を懸ける現実があった。
「怖いかい?」
「……はい。」
「それでいい。」
「怖さを忘れた奴から死ぬ。」
二人はしばらく塔を見上げていた。
夕暮れ。
旅団へ戻ると、エルドが二人を迎えた。
「おかえり。」
「準備はできたかの?」
「はい。」
エルドは嬉しそうに微笑む。
「それなら安心じゃ。」
「明日はいよいよ願いの塔じゃな。」
「焦らず、お前さんらしく挑めばええ。」
その言葉に、グランは力強く頷いた。
窓の向こうには、夕日に染まる願いの塔。
明日。
自分は、あの塔へ足を踏み入れる。
胸の鼓動は速い。
それでも、その一歩を踏み出したいという思いは、もう恐怖を超えていた。




