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第19話 決意

 朝の陽光が、アストリアの街をゆっくりと照らし始めていた。


 昨夜の静けさとは違い、街は少しずつ目を覚ましていく。


 店を開く商人。


 荷車を引く人々。


 冒険者たちは朝食を片手に、それぞれの目的地へ向かっていた。


 その中を、グランは静かに歩いていた。


 足取りはゆっくりだった。


 急ぐ理由はない。


 昨夜、老人から聞いた言葉を、一つひとつ噛みしめるように歩いていた。


『残された者が歩くんじゃ』


『死んだ者の分まで』


『願った者の分まで』


 気付けば、腰の狩猟ナイフに手を添えていた。


 父、ルークの形見。


 幼い頃から何度も見てきたナイフだった。


 森へ入る時も。


 狩りへ行く時も。


 父はいつも、このナイフを腰に差していた。


 もう父はいない。


 それでも、この温もりだけは今も残っている。


 今度は鞄へ手を伸ばす。


 中には一冊の本。


 『蒼き剣士の冒険譚』


 八歳の誕生日。


 母が贈ってくれた、大切な本だった。


 冒険者という夢を教えてくれた本。


 何度も読み返した。


 擦り切れても手放せなかった。


 失ったものは戻らない。


 父も。


 母も。


 もう二度と会うことは出来ない。


 それでも。


 二人が自分に残してくれたものは、今もここにある。


 グランは足を止めた。


 朝日に照らされた願いの塔を見上げる。


 その姿は変わらない。


 高く。


 遠く。


 今も誰も辿り着いたことのない頂が、空の彼方に消えている。


「僕は……」


 静かに呟く。


「自分がどこまで行けるのか知りたい」


 それは旅に出た時から変わらない願いだった。


 だが。


 それだけではない。


 老人の言葉を聞いて、気付いた。


 自分は一人で歩いているのではない。


 父が命を懸けて守ってくれた。


 母が夢を託して送り出してくれた。


 だから今、自分はここに立っている。


「父さん」


「母さん」


 グランは小さく笑った。


「僕は前を向いて歩くよ」


「どこまで行けるのか」


「最後まで確かめてみる」


 その言葉は、誰かに聞かせるものではない。


 自分自身への約束だった。


 風が吹く。


 背中を押すような、穏やかな風だった。


 グランは再び歩き出した。


 やがて、星塔の旅団へ辿り着く。


 古びた門を開けると、庭先で花に水をやっていたミリアが振り返った。


「あら、おはようございます、グランさん」


「おはようございます」


「エルド様でしたら書斎にいらっしゃいますよ」


 まるで待っていたかのようだった。


 グランは軽く頭を下げる。


「ありがとうございます」


 屋敷へ入り、静かな廊下を進む。


 書斎の前で立ち止まると、一度だけ深呼吸をした。


 そして扉を叩く。


「エルドさん。グランです」


「入れ」


 いつもの穏やかな声だった。


 扉を開ける。


 エルドは窓際の椅子に腰掛け、朝の光を浴びながら本を読んでいた。


「おはようございます」


「おはよう。何かあったかのう」


 グランは部屋の中央まで歩き、まっすぐエルドを見た。


「お話があります」


 その表情を見て、エルドは静かに本を閉じた。


「聞こう」


 少しだけ沈黙が流れる。


 グランは昨夜の出来事を思い返していた。


 老人との出会い。


 交わした言葉。


 そして、自分の中で生まれた答え。


「昨日、街で一人の老人に会いました」


 エルドは何も言わず耳を傾ける。


「その人に聞かれたんです」


「何のために塔へ登るのか、と」


「僕は、自分がどこまで行けるのか知りたいと答えました」


「その気持ちは、今も変わりません」


 グランは一度息を吸う。


「でも」


「それだけじゃありませんでした」


 灰色の瞳が、まっすぐエルドを見つめる。


「父も」


「母も」


「もういません」


「それでも」


「二人が残してくれたものは、今も僕の中にあります」


「だから僕は」


「逃げません」


「どんなに苦しくても」


「どんなに時間が掛かっても」


「自分で選んだこの道を、最後まで歩きます」


 静かな部屋に、言葉だけが響いた。


 エルドは目を閉じる。


 しばらく何も言わなかった。


 やがて、小さく頷く。


「……そうか」


 その一言には、不思議と重みがあった。


 ゆっくりと立ち上がり、グランの前まで歩く。


「顔つきが変わったのう」


 グランは黙って耳を傾ける。


「昨日のお前さんは、ただ塔へ登りたいと思っておった」


「じゃが今は違う」


「自分の意思で、その道を選んだ者の顔をしておる」


 エルドは穏やかに笑った。


「それでよい」


「誰かに歩かされる道は、長くは続かん」


「自分で選んだからこそ、人は苦しくても歩き続けられる」


 グランは静かに頷いた。


「はい」


「わしはまだ、お前さんを認めた訳ではない」


 その言葉に、グランの表情が引き締まる。


「じゃが」


「今日のお前さんの覚悟は、確かに受け取った」


「これから先も、その想いを忘れるでない」


「はい」


 迷いのない返事だった。


 エルドは満足そうに頷く。


「それで十分じゃ」


 窓の外では、朝日に照らされた願いの塔が静かにそびえ立っていた。


 その頂は、まだ遥か遠い。


 だが。


 グランの心はもう、迷ってはいなかった。

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