第18話 噴水の老人③
願いの塔は夜空に聳えていた。
高く。
遠く。
まるで手を伸ばしても届かない夢のように。
グランと老人は並んで座ったまま。
しばらく塔を見上げていた。
どれほどの時間が過ぎたのだろう。
噴水の水音だけが静かに響いている。
やがて。
老人がぽつりと呟いた。
「お前さんは」
「何のために塔へ登るんじゃ?」
グランは少し考えた。
答えは決まっている。
けれど。
上手く言葉に出来なかった。
それでも。
正直に答える。
「自分がどこまで行けるのか知りたいんです」
老人は静かに頷く。
「そうか」
それだけだった。
否定もしない。
笑いもしない。
ただ受け止める。
しばらくして。
老人が言った。
「良い願いじゃな」
グランは少し驚いた。
初めてだった。
自分の願いを。
良いと言ってくれた人は。
無スキル。
前例の無い存在。
何も持たない自分。
そんな自分の願いを。
老人は否定しなかった。
「わしの仲間にもおった」
老人は塔を見つめる。
「似たような事を言う奴がな」
グランは耳を傾ける。
「自分がどこまで行けるのか知りたい」
「それが口癖じゃった」
老人は少しだけ笑った。
懐かしそうに。
そして寂しそうに。
「最後まで変わらんかった」
夜風が吹く。
「死ぬその時までな」
グランは何も言わなかった。
言えなかった。
老人の言葉には。
今も消えない痛みが滲んでいたからだ。
「残された者は辛い」
老人が言う。
静かな声だった。
「死んだ者はそこで終わりじゃ」
「じゃが」
「残された者は生き続ける」
グランは顔を上げる。
老人は塔を見ていた。
「後悔も」
「悲しみも」
「全部抱えたままな」
その言葉に。
グランは父を思い出した。
魔物襲撃の夜。
血に染まった父。
最後に聞いた声。
――グラン……
――お母さんを頼む。
胸の奥が少しだけ痛んだ。
忘れた事は一度もない。
忘れられるはずもなかった。
気付けば。
腰の狩猟ナイフへ手を添えていた。
父の形見。
森へ入る時も。
狩りへ行く時も。
父はいつもこのナイフを持っていた。
もう父はいない。
それでも。
このナイフだけは今もここにある。
そして。
もう片方の手は自然と鞄へ向かった。
中には一冊の本が入っている。
『蒼き剣士の冒険譚』
八歳の誕生日。
母が贈ってくれた本だった。
何度も読んだ。
擦り切れるほど読んだ。
冒険者への憧れ。
夢の始まり。
今でも大切に持ち歩いている。
父の形見。
母の形見。
気付けば。
二つとも今も自分の傍にある。
失ったものは戻らない。
もう声を聞く事も出来ない。
もう笑顔を見る事も出来ない。
それでも。
父が教えてくれた事は残っている。
母が与えてくれた夢も残っている。
「大切なものか?」
グランは頷く。
腰のナイフへ手を添える。
「父の形見です」
それから。
鞄を軽く抱えた。
「こっちは母の」
老人は静かに頷いた。
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
聞く必要が無かった。
失った者同士には。
言葉にしなくても分かるものがあった。
夜風が吹く。
老人は静かに言った。
「人は死ぬ」
「皆いつか死ぬ」
広場の灯りが揺れる。
「じゃが」
「本当に全てが消える訳ではない」
グランは老人を見る。
「生きた証は残る」
「想いも残る」
「願いも残る」
老人は小さく笑った。
「だから」
「残された者が歩くんじゃ」
その言葉は。
どこかエルドの言葉にも似ていた。
「死んだ者の分まで」
「願った者の分まで」
「生きるんじゃ」
グランは塔を見上げる。
高く。
遠い場所。
答えはまだ見つからない。
エルドの試験も終わっていない。
それでも。
老人の言葉は胸に残っていた。
願いは消えるのだろうか。
それとも。
形を変えて残り続けるのだろうか。
まだ分からない。
だが。
今はそれで良かった。
噴水の水音が響く。
夜風が吹く。
グランはもう一度だけ。
願いの塔を見上げた。




