第13話 星塔の旅団①
「ああ」
間の抜けた返事をする。
大きな欠伸を一つ。
それから椅子へ座り直した。
「そうだったな」
まるで今思い出したかのように。
老人はそう呟いた。
そして。
グランへ向かって手を差し出す。
「資料を見せてくれんかの」
「はい」
グランは受験資料を差し出した。
老人は受け取ろうとして――
手を滑らせた。
資料が床へ落ちる。
「あ」
間の抜けた声だった。
「……」
「すまんの」
老人はのんびりと資料を拾い上げる。
そして資料へ目を通した。
「グラン・ウォーカー」
「はい」
「無スキルか」
「はい」
老人は資料を机へ置く。
驚く様子は無い。
馬鹿にする様子も無い。
ただ事実として受け止めていた。
それが少し不思議だった。
「そういえば言っとらんかったな」
老人はぽつりと呟く。
そして自分の胸を親指で指した。
「儂がこの旅団の長じゃ」
「星塔の旅団グランドマスター、エルド」
そこで少し肩を竦める。
「まあ見ての通り、ただの爺さんじゃがな」
グランは少し目を見開いた。
受付係だと思っていた。
その反応を見て。
エルドは満足そうに笑う。
「びっくりしたじゃろ?」
「少し」
「うむうむ」
嬉しそうに頷く。
「儂も最初はそう思った」
「……?」
「なんで団長が受付しとるんじゃろうってな」
グランは返答に困った。
エルドは真顔で言う。
「人手不足じゃ」
妙な説得力があった。
その時だった。
グランの視線が後ろの旗へ向く。
色は薄れ。
布の端はほつれている。
長い年月を感じさせる旗だった。
だが。
中央の紋章は今も残っている。
天へ伸びる一本の塔。
その頂に輝く小さな星。
まるで遥か高みへ。
手を伸ばし続ける者のような紋章だった。
「その旗が気になるかの?」
エルドが尋ねる。
「少し」
グランは頷いた。
エルドは旗を見上げる。
「昔の仲間達と考えた旗じゃ」
どこか懐かしそうな声だった。
「何度も描き直してな」
「気付けば朝になっておった」
そう言って笑う。
「馬鹿みたいじゃろ?」
グランは首を横に振った。
「いい旗だと思います」
エルドは少しだけ目を細めた。
「そうか」
その一言だけだった。
だが。
どこか嬉しそうだった。
やがて。
エルドは椅子へ深く腰掛ける。
そして。
初めて真面目な目を向けた。
「一つ聞く」
グランも自然と姿勢を正す。
「なぜ願いの塔を目指す?」
静かな声だった。
だが。
今日受けたどの質問より重かった。
グランは少し考える。
そして答えた。
「頂へ行きたいからです」
エルドは何も言わなかった。
ただ。
静かにグランを見つめている。
続きを待っているようだった。
グランは小さく息を吐く。
そして。
無意識に背中の鞄へ手を添えた。
中には一冊の古い本が入っている。
母が何度も読んでくれた冒険譚。
村を出る時。
持ってきた大切な宝物だった。
「子供の頃」
グランは静かに語り始める。
「母がその本を読んでくれました」
「願いの塔の話でした」
暖炉の火が揺れる夜。
母の優しい声。
今でも覚えている。
「頂には願いがあるって」
「どんな願いでも叶うって」
グランは続ける。
「だから最初は信じていました」
「父と母にもう一度会いたいって」
少しだけ目を伏せる。
だが。
すぐに顔を上げた。
「でも」
「二人はそんな事を望まないと思うんです」
エルドは黙って聞いている。
「だから今は違います」
グランは真っ直ぐ前を見る。
「本当に願いがあるのか知りたい」
「本当に誰も辿り着けないのか知りたい」
そして。
拳を握る。
「自分がどこまで行けるのか知りたい」
静かな声だった。
だが。
そこには確かな熱があった。
「才能が無くても」
「スキルが無くても」
「何も持っていなくても」
「それでも頂へ辿り着けるのか」
グランの視線は旗の星へ向く。
「知りたいんです」
その言葉に迷いは無かった。
「だから」
グランはエルドを見る。
「願いの塔へ行きたいんです」
沈黙が落ちた。
ホールにはもうほとんど人が残っていない。
夕陽だけが静かに差し込んでいた。
やがて。
エルドは窓の外へ目を向ける。
「願いか」
ぽつりと呟く。
「人は皆」
「願いを抱いて生きておる」
静かな声だった。
「金が欲しい者」
「名誉が欲しい者」
「失った者を取り戻したい者」
「復讐したい者」
「守りたい者」
そして。
どこか遠くを見る。
「儂も昔は色々願った」
「叶った願いもあった」
「叶わなかった願いもあった」
小さく笑う。
「じゃがな」
そこで言葉を切る。
「願いは人を前へ進ませる」
「だが時には人を縛る」
夕陽に照らされた横顔は。
どこか寂しそうだった。
「叶った願いより」
「叶わなかった願いの方が」
「人を強くする事もある」
グランは黙って聞いていた。
「だから儂は」
エルドはゆっくりと言う。
「願いを抱いて歩いた道の方が好きじゃ」
その言葉には。
長い人生を歩いた者だけが持つ重みがあった。
やがて。
エルドは資料へ目を落とす。
「戦闘試験D」
「適性試験C」
「無スキル」
淡々と読み上げる。
「弱いのう」
「はい」
グランは否定しない。
「かなり弱い」
「はい」
「今のままじゃ塔の下層でも死ぬ」
「そう思います」
エルドはしばらくグランを見つめていた。
そして。
「お前さん」
静かな声だった。
「今日、何回断られた?」
「たぶん八回くらいです」
「ほう」
エルドは頷く。
「それでも帰らんかったの」
「帰っても何も変わりませんから」
グランは答えた。
「願いの塔へ行きたいんです」
「だから最後まで探しました」
エルドはしばらく黙る。
やがて。
小さく笑った。
「そうか」
その一言だけだった。
そして。
ゆっくり立ち上がる。
「よし」
そう言って伸びをした。
「付いて来い」
グランは首を傾げる。
「どこへですか?」
「クラン試験じゃ」
当然のように答える。
「正式な入団試験はこれからじゃよ」
そう言って歩き出す。
そして。
振り返らずに続けた。
「まあ安心せい」
「儂が認めん奴は」
「最初から連れて行かん」
その言葉に。
不思議と胸が少しだけ軽くなった。
グランは首から下げた銅製プレートを握る。
夕陽に照らされた古びた旗が揺れる。
塔の頂に輝く一つの星。
まだ遠い。
だが。
その光は確かにそこにあった。
グランはエルドの後を追った。




