友達だから…なんて、
放課後のチャイムが鳴ると、教室の空気が一気に緩んだ。
机を動かす音や、友達同士で交わす声が重なっていく。私は教科書を鞄にしまいながら、窓の外を見た。
今日は特に予定がない。
いつもなら莉奈や美月と一緒に帰ることが多くなってきたけれど、今日は二人とも用事があるらしい。
『由奈、ごめんねー! 今日は委員会あるんだ』
『ううん、大丈夫だよ』
『明日は絶対一緒に帰ろ!』
莉奈はそう言って、手を振りながら教室を出ていった。
少しして、美月も鞄を持ち上げる。
『私も部活行ってくる』
『うん。頑張ってね』
『ありがとう。また明日』
二人がいなくなると、急に教室が広く感じた。
……なんだろう。
別に、一人になることなんて珍しくない。
中学の頃は、いつも一人だった。
だから、本来なら何とも思わないはずなのに。
(……慣れるって、こういうことなのかな)
最近は誰かといる時間が増えたせいで、一人の時間が少しだけ違って感じるようになっていた。
私は鞄を持って、教室を出た。
***
昇降口へ向かっている途中、廊下の向こうから結衣が歩いてくるのが見えた。
『あ、由奈』
『結衣』
『今帰るところ?』
『うん』
『じゃあ、一緒に帰ろうか』
自然な言い方だった。
私は少し驚いたけれど、すぐに頷いた。
『うん』
二人で靴を履き替えて、校門を出る。
まだ四月の終わり。
少し前まで肌寒かったのに、最近は歩いていると少しだけ暑く感じる。
『そういえばさ』
結衣が隣で言った。
『莉奈が、今度みんなで遊びに行きたいって言ってたよ』
『みんなって?』
『由奈たちと。美月も誘うって』
『いいね』
思わず笑う。
休日に友達と遊ぶ。
それは、中学の頃の私にはほとんど縁のなかったことだった。
『どこ行きたい?』
『うーん……』
少し考える。
映画。
ショッピング。
カフェ。
色々思いつくけれど、なかなか決められない。
すると結衣が笑った。
『じゃあ、今度みんなで決めようか』
『そうだね』
『玲奈も誘ってみようよ』
その名前を聞いた瞬間、私は少しだけ黙った。
『……玲奈を?』
『うん』
結衣は不思議そうにこちらを見る。
『仲良くなりたいって、莉奈も言ってたし』
『そっか』
私は歩きながら前を見る。
玲奈。
あの子とは、まだほとんど話したことがない。
なのに、どうしてだろう。
私はあの子のことが、ずっと気になっていた。
最初に会ったときからそうだった。
綺麗な子だと思った。
静かで、近寄りがたい雰囲気があって。
でも、それだけじゃない。
『どこかで会ったこと、ある?』
あの言葉が、頭から離れない。
『由奈?』
『えっ?』
『どうしたの? ぼーっとしてたけど』
『あ、ごめん。ちょっと考え事してた』
『玲奈のこと?』
『……え?』
結衣が笑う。
『分かりやすいね』
『そ、そうかな』
『うん』
からかわれている気がして、私は少しだけ頬を膨らませた。
『別に、変な意味じゃないよ』
『ふふ。分かってる』
結衣はそれ以上何も言わなかった。
でも、その横顔がどこか楽しそうに見えた。
***
次の日。
昼休みになると、莉奈が勢いよく私のところへやってきた。
『由奈! 聞いて!』
『どうしたの?』
『今度の日曜日、遊園地行かない?』
『遊園地?』
『うん!』
突然の提案に、私は目を瞬かせる。
『みんなで行こうよ!』
『いいね!』
美月がすぐに賛成した。
結衣も頷く。
『私も大丈夫』
『やったー!』
莉奈が嬉しそうに笑う。
私は三人を見ながら、なんだか不思議な気持ちになった。
遊園地。
友達と。
……本当に?
そんなことを考えていると、莉奈が私の肩を軽く叩いた。
『由奈も行けるよね?』
『うん。行きたい』
『じゃあ決まり!』
『あとは玲奈ちゃんだね』
結衣がそう言った。
四人の視線が、少し離れた席へ向く。
玲奈は一人で本を読んでいた。
莉奈が立ち上がろうとした、そのとき。
『……私、誘ってくれるの?』
玲奈が顔を上げた。
『聞こえてたの?』
『うん』
玲奈は本を閉じる。
『……いいよ』
『ほんと!?』
『うん』
『じゃあ五人だ!』
莉奈が喜ぶ。
私はその様子を見ながら、玲奈と目が合った。
ほんの一瞬。
玲奈は何か言いたそうにしていたけれど、結局何も言わなかった。
その代わり、小さく笑った。
『楽しみだね』
『……うん』
私も笑い返す。
その瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなった。
***
放課後。
遊園地の話で盛り上がりながら、みんなで教室を出る。
『絶対ジェットコースター乗ろう!』
『私はちょっと……』
『えー! 美月、怖いの?』
『怖くない。好きじゃないだけ』
『それを怖いって言うんだよー!』
莉奈と美月が言い合っている。
結衣は笑いながら二人を見ていた。
少し後ろを歩く玲奈と私は、自然と二人になった。
『……遊園地、楽しみ?』
玲奈が聞いてくる。
『うん。こういうの、久しぶりだから』
『私も』
『玲奈も?』
『うん』
少し意外だった。
もっと一人で静かに過ごすタイプだと思っていた。
『玲奈って、遊園地とか行くんだ』
『……私だって行くよ』
『あ、ごめん』
思わず笑ってしまう。
玲奈も少しだけ笑った。
その笑顔を見て、私はまた思った。
やっぱり綺麗だな、と。
でも、今までとは少し違う。
綺麗だから見ていたい、というだけじゃない。
もっと話してみたい。
どんなことが好きなのか知りたい。
どんなときに笑うのか知りたい。
そんなことを考えている自分に気づいて、私は慌てて前を向いた。
(……何考えてるんだろ)
友達だから。
玲奈も、みんなも。
ただ仲良くなりたいだけ。
それだけだ。
そう思おうとした。
でも、玲奈がふいに私の名前を呼んだ。
『……由奈』
『え?』
『日曜日、二人で少し見て回らない?』
『二人で?』
『うん。みんなで回るのも楽しそうだけど……』
玲奈は少しだけ言葉を探すように黙った。
『由奈と、話したいことがあるから』
心臓が、どくんと鳴った。
『……話したいこと?』
『うん』
玲奈はそれ以上何も言わなかった。
前を歩く莉奈たちが振り返る。
『二人ともー! 早くー!』
『今行く!』
私が返事をすると、玲奈も歩き出した。
その横顔を見ながら、私は考える。
玲奈が話したいことって、何なんだろう。
もしかして――。
中学のこと?
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ冷たくなった。
もし、知られていたら。
もし、全部知られていたら。
私はどうすればいいんだろう。
それでも。
『……日曜日、楽しみだね』
玲奈がそう言った。
私は少しだけ迷ってから、頷いた。
『うん』
今はまだ、考えなくていい。
日曜日になったら、そのとき考えればいい。
そう自分に言い聞かせる。
そして、みんなのところへ走っていく。
五人で歩く帰り道。
少し前まで、一人で歩くことが当たり前だった私は。
今は誰かの隣を歩くことが、少しだけ当たり前になり始めていた。
――その「少しだけ」が、嬉しかった。
でも同時に。
まだ私は知らなかった。
友達と呼んでいるその距離が、いつか自分を悩ませるほど近くなることを。




