聞きたいことが、増えていく…
金曜日の放課後。
教室に残っていた生徒たちも、少しずつ帰り始めていた。私は鞄に教科書をしまいながら、スマホに届いたメッセージを確認する。
莉奈から、週末に行きたいカフェの写真が送られてきていた。どうやら新作のパンケーキが目当てらしい。
『……ほんと、甘いもの好きだなあ』
思わず呟くと、隣から声がした。
『由奈も好きでしょ?』
顔を上げると、玲奈が立っていた。
『あ、玲奈。いつからいたの?』
『今来たところ。何を見てたの?』
『莉奈がカフェの写真送ってきて。今度みんなで行きたいんだって』
『そうなんだ』
玲奈は私のスマホを覗き込むこともなく、隣の机に鞄を置いた。
『由奈は行きたい?』
『うん。パンケーキ、おいしそうだし』
『じゃあ、行けるといいね』
それだけ話して、玲奈は帰り支度を始めた。
最近、玲奈と二人で話す機会が増えた気がする。
中学のことを知っているからなのか、それとも単純に一緒に過ごす時間が増えたからなのか。私にはまだ分からなかった。
『……ねえ、玲奈』
『ん?』
『今日、一緒に帰らない?』
口にしてから、少し驚いた。
いつもなら、誰かに誘われるのを待っていた。自分から誘って、断られるのが怖かったから。
けれど、玲奈は迷うことなく頷いた。
『うん。帰ろう』
その返事にほっとした自分がいて、少しだけ気恥ずかしくなった。
学校を出て、駅とは反対方向の道を歩く。
途中にある小さな公園の前で、玲奈が足を止めた。
『少し座っていかない?』
『いいよ』
ベンチに並んで座ると、風に揺れた木の葉が足元を転がっていった。
しばらく、二人とも何も話さなかった。
気まずい沈黙ではなかった。無理に話題を探さなくてもいい時間というのは、思っていたより居心地がいい。
『……由奈ってさ』
先に口を開いたのは玲奈だった。
『うん?』
『高校に入ってから、変わった?』
『えっ、何が?』
『いろいろ』
曖昧な質問だった。
私は少し考えた。
『……変わったと思う。髪も、服も、メイクも』
『うん』
『でも、中身はそんなに変わってないかも』
『そうかな』
玲奈は私を見た。
『私は、変わったと思うよ』
『……どんなふうに?』
『前より、自分から話してくれるようになった』
その言葉に、私は膝の上で指を組んだ。
玲奈が知っているのは、今の私だけじゃない。
そう考えると、少し怖かった。
もし中学の頃の私を知っている人が、今の私を見たら、どう思うだろう。
無理して変わろうとしていると思うのか。それとも、別人みたいだと思うのか。
『……変じゃない?』
気づけば、そんな言葉が出ていた。
玲奈は首を傾げる。
『何が?』
『私が、急にこんなふうになったの』
玲奈はすぐには答えなかった。
そして、ゆっくりと口を開いた。
『変わりたいって思うことは、変じゃないよ』
『……』
『それに、今の由奈が無理してるかどうかなんて、私には全部分からない』
意外な答えだった。
何もかも見透かされているような気がしていたのに。
玲奈は、分からないことは分からないと言った。
『でも』
玲奈は続けた。
『由奈が今、楽しそうに笑ってるのは知ってる』
私は顔を上げた。
『……そう見える?』
『うん』
玲奈は少しだけ笑った。
『だから、それでいいんじゃないかな』
胸の奥にあった、固いものが少しだけ緩んだ気がした。
昔の私を知っている玲奈だからこそ、今の私を否定されるのが怖かったのかもしれない。
でも玲奈は、昔の私と今の私を比べて、どちらが本物なのか決めようとはしなかった。
『……玲奈は、どうして私のことを覚えてたの?』
聞くつもりはなかった。
けれど、言葉は自然と出ていた。
玲奈の表情が、ほんの少し変わる。
『……それは』
そこまで言って、玲奈は口を閉じた。
私は慌てて首を振った。
『ごめん。今、答えにくかったらいいよ』
『ううん』
玲奈は前を向いた。
『いつか、ちゃんと話すね』
『……うん』
それ以上は聞かなかった。
知りたい気持ちはある。
玲奈が何を覚えていて、あの日の私をどこから見ていたのか。
けれど、答えを急がせたくはなかった。
自分が話したくないことを、無理に聞かれたくないのと同じように。
帰り道、駅の近くで玲奈と別れた。
『また月曜日ね、由奈』
『うん。またね』
玲奈が人混みに消えていく。
私はその背中を見送りながら、ふと思った。
私は玲奈のことを、どれくらい知っているんだろう。
中学時代の私を知っていること。
静かだけれど、二人きりだとよく話してくれること。
そして、何かを隠していること。
まだ、それだけだ。
玲奈が何を好きで、何に悩んで、どんなときに笑うのか。
私はほとんど知らない。
知りたいと思った。
過去のことだけじゃない。
今の玲奈のことも。
スマホを開くと、グループチャットに莉奈から新しいメッセージが届いていた。
『日曜日、カフェ行こー! みんな空いてる?』
私はすぐに返信した。
『行きたい!』
送信してから、もう一度画面を見る。
玲奈からも返事が来ていた。
『私も行けるよ』
たったそれだけのメッセージなのに、なぜか少し嬉しかった。
私はスマホをしまい、家への道を歩き始めた。
知らないことがあるから、不安になる。
でも、知らないことがあるから、知りたいとも思える。
今の私は、その気持ちを怖がらずにいたかった。




