五人で居ると、忘れてしまう
火曜日の朝。
教室に入ると、昨日より少しだけ早く来ていた莉奈が、私を見るなり手を振った。
『由奈、おはよー!』
『おはよう』
『ねえねえ、昨日話してた水族館だけどさ』
『もう決めるの?』
『だって忘れちゃうじゃん!』
そう言いながら、莉奈はスマホを取り出した。
画面には水族館の候補がいくつか並んでいる。
『ここ、クラゲがすごいんだって!』
『クラゲ?』
『そう! あとイルカもいる!』
『それ、普通の水族館じゃない?』
美月が横から口を挟む。
『でも行きたい』
結衣が笑った。
『私も。お弁当作っていこうか?』
『結衣ちゃん最高!』
朝からそんな話をしていると、昨日のことが遠い出来事みたいに感じられた。
玲奈のことも。
観覧車の中で言われた言葉も。
全部、今は頭の片隅に追いやられている。
それくらい、目の前の会話が楽しかった。
授業が始まれば、みんなそれぞれの席に戻る。
休み時間になれば少し話して、昼休みになれば一緒にお弁当を食べる。
そんな繰り返し。
気づけば、私は学校で一人になる時間がほとんどなくなっていた。
それは嬉しいことだった。
けれど――。
五時間目が終わった頃。
先生が教室に入ってきて、プリントを配りながら言った。
『来週、小テストするからな。範囲はここまで』
教室中から小さなため息が漏れる。
『えー……』
莉奈が机に突っ伏した。
『無理。私、数学苦手』
『昨日も言ってたね』
『由奈、教えて!』
『私もそんなに得意じゃないよ』
『じゃあ一緒に勉強しよ!』
『それならいいけど』
そんな会話をしていると、美月がプリントを覗き込んだ。
『この範囲なら、今日少しやれば大丈夫だと思う』
『美月はそう言うと思った』
結衣が笑う。
『玲奈は?』
莉奈が聞くと、玲奈は問題を見ながら、
『……たぶん大丈夫』
『玲奈もかぁ』
莉奈がまた机に突っ伏す。
その姿を見て、みんなが笑った。
私も笑った。
その瞬間だった。
ふと、胸の奥に小さな違和感が生まれた。
(……楽しいな)
ただ、それだけだった。
昔は、教室で笑い声が聞こえると、そこから少し離れた場所にいる自分を意識していた。
自分だけが輪の外にいる。
そんな感覚。
でも今は違う。
笑い声の中に、自分の声も混ざっている。
そのことが、少しだけ不思議だった。
放課後。
今日はみんなで図書室に集まって、小テストの勉強をすることになった。
莉奈は開始から十分で飽きた。
『もう無理ー』
『まだ十分しか経ってないよ』
『十分もやった!』
『それは勉強したって言わない』
美月が淡々と言う。
結衣は笑いながら、莉奈のノートを覗き込んだ。
『ここ、公式が違うよ』
『えっ、ほんと?』
そんな二人を眺めながら、私は問題集に目を戻す。
隣では玲奈が静かに問題を解いていた。
しばらくして、玲奈が小さな声で言った。
『由奈』
『ん?』
『ここ、分かる?』
玲奈が指差した問題を見る。
『……これ?』
『うん』
『たぶん、こうじゃないかな』
私が途中まで説明すると、玲奈は頷いた。
『なるほど』
『合ってるか分からないけど』
『合ってるよ』
『そっか』
それだけの会話だった。
なのに、なぜか少し嬉しかった。
――そのとき。
図書室の入り口から、知らない女子生徒の声がした。
『あれ、玲奈じゃん』
玲奈が顔を上げる。
『……うん』
『珍しいね。こういうところにいるんだ』
その子は私たちを見て、少し驚いたような顔をした。
『友達?』
玲奈は一瞬だけ黙った。
それから、
『……うん』
と答えた。
その言葉を聞いて、私はなぜか目を伏せた。
友達。
たったそれだけの言葉なのに。
胸の奥に、妙に残った。
帰り道。
五人で歩きながら、莉奈が言った。
『ねえ、今日楽しかったね!』
『勉強しかしてないけど』
美月が言う。
『それでも楽しいの!』
莉奈は笑った。
私はその会話を聞きながら、ふと思う。
友達。
私とこの五人は、今のところ確かに友達なんだと思う。
だけど――。
昨日からずっと気になっている。
この先もずっと、「友達」という言葉だけで、この気持ちを説明できるのだろうか。
まだ、その答えは分からない。
でも今は。
分からなくてもいい気がした。
五人で歩いていると、そんなことすら忘れてしまうから。




