第72話 刻まれる温度
寝台の上。絡んだ呼吸が、まだほどけない。
ルカリウスの腕は離れない。離してくれない。
腕の中に閉じ込められているのに、なぜか安心してしまう。その感覚が、いちばん危うい。
体温が重なり、ゆっくりと馴染んでいく。それでも、まだ足りない。
身体は深く繋がったまま、ルカリウスの動きがふっと、止まる。視線が落ちる。首元へ。
そこに何もないことを、確かめるように指が首筋をなぞる。
そして、一瞬だけ迷う。
──残すか。──残さないか。
その迷いはすぐに消える。静かに選び取っていく。
首筋に静かに唇が触れる。呼吸がかかる。ほんのわずかな温度差が、やけに鮮明だった。
そのまま、わずかに牙が触れる。押し込む前に、ほんの一瞬だけ止まる。
──ここに刻めば、戻れない。理解しているはずなのに。
次の瞬間には、沈んでいた。
「……っ」
ローゼリアの息が震える。
痛みは、ある。でもそれより先に、熱が広がる。
深く牙が沈む──そして、吸う。消えない印をつけるかのように。
身体が、ほどけていく。ただ、受け入れる。それが、さらに危うい行為だとしても。
ルカリウスの呼吸がわずかに乱れる。唇に赤が滲む。
壊すためではなく、刻むための熱。
首元からゆっくりと離れたあと、今度は絡んでいた指を解いていく。
両方の手首を頭の上に押さえつける。白い手首の内側、脈が打っている場所。
「……ここもだ」
低く、確信するように。
迷いはもうない。唇が触れる。
そのまま──同じように、印を刻む。牙が手首の皮膚を裂く。
今度は迷わない。牙が沈む。脈の上で、熱が跳ねた。
「甘いな……」
「……んっ」
ローゼリアの身体が小さく震える。
首元と、手首。たったそれだけ。──それで十分だった。
数じゃない。意味だった。
ここにいる。ここに繋がっている。それを身体に刻まれる。
「ル……ルカ……」
名を呼ぶ声が、甘く崩れる。呼んだつもりなのに、縋るような音になる。
ルカリウスは答えない。ただ、強く抱き寄せる。
今度は、完全に自分の腕の中へ収めるように。
「……これ以上は無理だ」
掠れた声が落ちる。
理性の限界かもしれない。それとも、──もう止める気がないという告白なのか。
どちらでも、同じだった。
「もう、残させない」
低く、確信するように。
ローゼリアの唇にルカリウスの唇が重なる。自分の血の味がした。それなのに、不思議と嫌ではなかった。
「俺の匂いだけでいい」
囁きは静かだった。けれど、それは命令よりも深く、身体の奥へ落ちた。
拒めない。──もう遅い。
ローゼリアの胸の奥が、静かに満たされていく。
ここにいる。ここに繋がっている。選ばれている。それだけで。
「……ルカがいい」
ルカリウスの指が、強く絡む。離さない。手放さない。
一度ほどけた呼吸が、また重なる。
触れられるたび、また熱が戻る。
ルカリウスは何度も確かめるように身体を繋ぐ。
消えたかどうかではない。
もう、ほかの気配が入り込む余地はない。
そう身体に覚えさせるように。
ローゼリアはそのたび、ルカリウスの名前を呼ぶ。
ルカリウスの腕の中へ、何度も戻るように。
夜はさらに深く、静かになっていく。天蓋越しに欠けた月が浮かぶ。
匂いも、温度も、小さな傷も、繰り返し上書きされていく。
意識が薄くなっていく中でも、──終わらない。
舌先に残る甘い痛み。
首元に残る熱。手首に残る微かな疼き。
どれも、嫌ではなかった。むしろ不思議なほど、溶けていく。
ルカリウスの指が、ローゼリアの長い髪を梳くように撫でる。
「……痛むか」
「少し」
その痛みさえ、心地よく胸の奥へ沈んでいく。
「……まだ、眠れると思うな」
窓の外、欠けた月は静かに沈んでいく。
夜が明けるころには、最初の痛みが何だったのかさえ、もう分からなくなっていた。
もう、戻り方を思い出せなかった。
──ただ、この温度だけが残っていた。




