第73話 消えない残響
夜は明けていた。
つい数分前まで昂っていた熱は、ローゼリアの意識とともに静かになった。けれど、ルカリウスの中では、まだ終わっていない。
ピンクゴールドのカーテンの隙間から差し込む光。薔薇の花の香り。いつもと違う朝なのは、ローゼリアの部屋で朝を迎えたからではない。全く別の違和感。
腕の中でローゼリアが静かな寝息を立てて眠っている。白い肌が自分の痕跡で赤紫色に染め上がっていた。
規則的な呼吸。体温も、鼓動も、すべてが落ち着いている。
(──なんだ?)
ルカリウスはゆっくりと目を細める。
鼻先に残る匂い。ダマスクローズと、微量の甘さ。その奥に、自分の匂い。
何度も上書きした。確かに、完全に。──それなのに。
「……残ってるな」
声は小さく、低い。
匂いではない。もっと深い場所。血の流れの奥に、わずかに引っかかるものがある。
説明できない。だが、確かに“異物”がいる。
指先が、無意識にローゼリアの手首へ触れる。
脈は安定している。問題はない。
だが──そのさらに奥。ほんの一瞬だけ、違う流れが混ざる。
ルカリウスは自分の首元に触れる。自分の血の中にも感じる同じ違和感。
「……」
言葉にはしない。する必要がない。認めることになるからだ。
ルカリウスは、目を閉じる。
そして、何もなかったように、ローゼリアの指先に自分の指先を絡め唇を寄せた。
深い眠りにつくローゼリアを自分の身体で覆うように強く抱きしめる。
消えていないなら。──何度でも、消せばいい。
消えないなら、壊してでも。
──残るものごと。
◇◇◇
どれくらい眠っていたのだろう。
間違いなく同じ夜を何度か繰り返したような気がする。時間の感覚が麻痺している。身体中が痛くて動かせない。
何度も意識が消え、目を覚ますたびに、最初に感じたのは温度だった。
包み込まれるような、深くて安定した熱。
「……ルカ」
名前を呼ぶと、すぐ近くで呼吸がわずかに揺れる。
ベチバーにほんの少しのアンバー。この匂いと体温。それだけで、安心する。
記憶が、ゆっくりと戻ってくる。
触れられた場所。刻まれた印。塗り替えられた感覚。
すべてが、身体の内側に残っている。
怖くはなかった。むしろ──落ち着いている。
ローゼリアは、ゆっくりと息を吐く。
このままでいいと、思ってしまう。ずっとこの腕の中に閉じこもっていられたら──。
そう思った瞬間。
「……あれ?」
ほんの一瞬だけ、感覚が揺れた。
理由は分からない。
何かを思い出したわけでもない。ただ、身体の奥で、わずかに引かれるような感覚。
方向だけが分かる。青の感覚。確かに“繋がっている”。
(……これが、そういうことなの?)
セラフィオンの星詠みの盤。三点構造。ローゼリアは理解する。
(フィオが繋いでいなかったら、ルカが壊れていたかもしれない)
ルカリウスの腕が、わずかに強くなる。
その温度に触れた瞬間、さっきの感覚は、簡単にかき消された。
(だから私は──フィオを拒むことができない)
(──それでも、ルカを選ぶ)
(全部を失っても。……許されなくても)
言い訳かもしれない。酷いことをしているのはわかっている。
誰に?ルカリウスに?セラフィオンに?それとも自分自身の感情に……?
それでも──全ての優先順位はルカリウス。彼を王にするためなら、どんな悪い女にでもなる覚悟はある。
「どうした…?」
ルカリウスは小さな動きにも反応する。
「……なんでもない」
そう言って、ルカリウスの頬にキスをしてまた目を閉じる。
考える必要はない。
今ここにある温度だけで、十分だった。
それなのに。
身体の奥のどこかが、まだ“覚えている”。




