第68話 秒針は待たない
研究塔は、静かだった。
だがその静けさは、以前とは違う。セラフィオンは盤の前に立っていた。指先が、わずかに震えている。
見ているのは数式だ。波形だ。構造だ。だが──それだけではない。
「……近すぎる」
三点構造。ローゼリア。ルカリウス。そしてセラフィオン。
距離が、縮まっている。数値では説明できないレベルで。共鳴が強すぎる。
まるで──自分が中心に引き込まれているような。
「違う」
小さく吐く。理論上ありえない。自分は触媒だ。調整役だ。均す側だ。
中心になることはない。それでも。胸の奥が、焼けるように熱い。
指先に力が入る。
視界が、ほんの一瞬だけ揺れた。
「……っ」
息を止める。机に手をつく。崩れない。まだ。
盤が脈打つ。いつもより強く。反応している。──ローゼリアに。
そして。ルカリウスに。同時に。
「……やめろ」
誰に言っているのか分からない。止まらない。共鳴が深くなる。自分を通って。流れていく。
そのとき。盤とは別の感覚が走った。
直接。血が、反応する。距離を越えて。ローゼリアの鼓動。ルカリウスの熱。それが、はっきりと“分かる”。
ジュニパーの青さの奥に、知らない熱が滲む。
「……っ、は……」
息が乱れる。観測ではない。これはもう。体感だ。
──混ざり始めている。
観測者ではいられない。それを、身体が先に理解していた。
◇◇◇
庭園は、昼の光に満ちていた。白薔薇のアーチの下。
エリオはベンチに座り、懐中時計を弄んでいた。
カチ。
カチ。
音は正確だ。いつも通りに。それなのに。
「……ズレてる」
ぽつりと呟く。時間は進んでいる。けれど。何かが、先に行っている。
秒針が一拍遅れた。また戻る。またズレる。繰り返す。
「うわぁ……」
笑う。楽しそうに。でも目は冷たい。
「これ、待たないやつだ」
満月はまだ来ない。本来なら、まだ時間はある。準備も。選択も。全部、間に合うはずだった。
なのに。もう間に合わない。そんな感覚がある。
「最初に壊れるの、誰かな」
軽い声。けれど、その問いは正確だった。
ルカリウスか。セラフィオンか。それとも。ローゼリアか。
「……研究者さん、かな」
カチ。
秒針が、強く鳴った。その音だけが、やけに大きく響いた。
満月は、まだ来ない。けれど。もう、始まっている。
誰も止めないまま。
誰も止められないまま。
均衡は、静かに限界へ近づいていた。




