第66話 選んだ温度
夜は、もう深い。
ルカリウスの腕の中で、呼吸がゆっくりと整っていく。唇の熱はまだ残っていた。微かな痛み。そこから広がる、甘い余韻。
ルカリウスの胸に頬を預ける。鼓動は強く、安定している。それだけで、分かる。
揺れていない。
さっきのキス。セラフィオンの震え。あの青い瞳の崩れ。理解はした。痛みも、伝わった。
でも。胸の奥が向かう先は、ここだ。この鼓動。この匂い。
ベチバーと冷えた木の香りが、ゆっくりと肺に落ちる。甘いダマスクローズが、そこに溶ける。自然に混ざっていく。
ルカリウスの指が、髪を撫でた。
問い詰めなかった。責めなかった。嫉妬を飲み込む代わりに、ただ、上書きした。
それが、どうしようもなく好きだと思う。
胸の奥で、静かに言葉が落ちる。
(私は、この人を愛してる)
揺らぎはない。セラフィオンのことを思うと、痛む。でもそれは恋ではない。罪を知ってしまった痛み。ひとりで抱えた孤独への共鳴だ。
ルカリウスの指が、顎に触れた。
「考え事か」
紫の瞳が、真っ直ぐ見下ろす。隠せない。でも誤魔化さない。
「ううん」
ローゼリアは、指を絡める。
「選んだだけ」
小さな声。でも、確かだった。
ルカリウスは何も聞かない。理由も。誰のことかも。ただ、絡んだ指を強く握る。
左目の奥で、赤はもう灯らない。安定している。血も、鼓動も。
ローゼリアの呼吸が、さらに深くなる。安心。ここが、帰る場所だ。
窓の外、月は欠けていた。三点構造は遠くで静かに動いている。セラフィオンはまだ震えているかもしれない。でも、ローゼリアの中心は動かない。
愛しているのは、ルカリウス。それだけは、確かだ。
その確かさが──
これから来る嵐を、より残酷にするとも知らずに。




