第59話 揺れる視線、独占の温度
王族の船は、ゆっくりと水路を進んでいた。白い船体に施された金の装飾が、淡い光を受けてやわらかく輝く。花びらが水面を流れながら赤い帯を作り、王都の橋の上には花見を楽しむ貴族たちの姿も見えていた。
その視線が、次第にこちらへ集まり始める。
「……見られているな」
低い声。ローゼリアは水面を眺めたまま笑う。
「王族の船だもの」
「違う」
ルカリウスは短く言う。
「お前を見ている」
ローゼリアは少しだけ肩をすくめた。確かに、橋の上の若い貴族たちがこちらを見て何か話している。好奇心。羨望。そして少しの無遠慮。その視線が、ルカリウスの神経をわずかに逆撫でした。
「王女が乗っているのだもの。見るのは当たり前よ」
「……気に入らない」
即答だった。ローゼリアは驚いて振り向く。ルカリウスの瞳は静かなまま、少しだけ鋭い。
「理由は関係ない」
短く言い切る。
「お前を誰にも見せたくない」
その言葉に、ローゼリアの胸が少しだけ鳴った。
風が吹く。花びらが舞い、二人の足元へ落ちる。ローゼリアはふっと笑った。
「ルカ。嫉妬してる?」
ルカリウスは一瞬黙る。それから、わずかに息を吐いた。
「……そうだな」
あまりにもあっさり認めたので、ローゼリアの方が驚いた。
「否定しないの?」
「する理由がないだろ」
少しだけ近づく。距離が消える。船の上には、今この二人しかいないみたいだった。
「お前は、自分がどれだけ目立つか分かっていない」
「王女だもの」
「そういう意味じゃない」
指が、ローゼリアの頬に触れる。温かい。
「……綺麗だな」
小さな声。護衛騎士ではなく、ただの男の声だった。
ローゼリアの心臓が一拍遅れる。風に髪が揺れる。
「急にどうしたの」
無言のまま、ルカリウスはローゼリアの顎を軽く持ち上げる。
「ルカ?」
問いかける前に、唇が触れた。静かなキス。奪うようなものではない。──確かめるような。
水面が揺れる。花びらがゆっくりと流れていく。橋の上のざわめきが、遠くで小さく聞こえた。
ルカリウスは少しだけ離れる。けれど手は離さない。
「……これでいい」
「何が?」
「見せてやった」
低く、ほとんど聞こえない声で。
──触れていいのは、自分だけだと。
橋の上へちらりと視線を向ける。
「お前が誰のものか」
その言葉が、少しだけ重すぎることに、まだ気づいていない。
ローゼリアは思わず笑ってしまった。
「王女に言う台詞じゃないわ」
「今は、恋人だろ」
静かに言う。
その瞬間、左目の奥でほんのわずかに赤が灯った。一瞬だけ。すぐに消える。満月は、まだ遠い。それでも血は、静かに騒ぎ始めていた。
◇◇◇
舟はゆっくりと水路を進む。その先の橋の上で、ひとりの青年が足を止めていた。
金色の瞳。その隣には、絵筆を持った若い画家。
エリオだった。
「……へえ」
小さく呟く。
「楽しそうじゃん」
カチ、と秒針が鳴った。




