第51話 秒針と砂糖菓子
庭園の噴水脇。ローゼリアとルカリウスが去ったあと、しばらく静寂が残った。
やわらかな光が石畳に薄く伸びている。白薔薇のアーチから、かすかに甘い残り香が漂っていた。
エリオは、ひょこっと植え込みの影から顔を出した。
「いや甘っ」
ぽつり。懐中時計をくるりと回す。
瞳は、ちゃんと観測している。
ローゼリアの波形。前より軽い。削れている。けれど、裂けてはいない。
ルカリウスの左目。一瞬、赤が出た。それでも暴走はしない。吸っている。けれど、奪ってはいない。
「うわぁ……」
小さく笑う。
「ちゃんと“同調”してる」
あの満月の夜、世界は壊れかけた。今は違う。静かに均衡している。それが逆に怖い。
エリオはベンチに腰を下ろし、空を見上げた。柑橘の皮を弾いたような軽い香りが、自分の周囲だけに漂う。甘い庭園の空気の中で、そこだけが少し醒めていた。
「ねぇリア」
誰もいないのに、話しかける。
「君、わかってる?」
わかってないよね。
恋人の血は甘い。抱きしめられると、楽になる。
──それだけだと思ってる。
その甘さの分だけ、未来は削れてるのに。
カチ。
秒針が鳴る。エリオの表情が、ほんの一瞬だけ変わった。
あの夜。ルカリウスが死んだ未来。ローゼリアが禁忌を使った瞬間。セラフィオンが合理を選んだ夜。全部、見ている。全部、覚えている。
だからこそ。今の甘さが、尊い。
「……でもさぁ」
ふっと笑う。
「削り合う恋愛は、趣味じゃないんだけどな」
立ち上がる。軽やかに。
「まあいっか。今はまだ、死なないし」
その言い方。まるで未来を知っているみたいに。
ふと。懐中時計が、微かに震えた。
エリオが止まる。
「……え?」
ほんの一瞬。秒針が、通常より遅れた。一拍。それだけ。でも。
「これ、僕のせいじゃない」
時間が揺れた。干渉していないのに。血の式が、時間軸に触れている。
エリオの金の瞳が、静かに細くなる。
「……あーあ」
楽しそうに、でも少しだけ真面目に。
「これ、ちゃんと育つやつだ」
式は、もう“自律”している。
遠くで、ローゼリアの笑い声が響く。ルカリウスが低く何か言っている。幸せで、甘くて、静かな声だ。
でもエリオは知っている。秒針は、嘘をつかない。静かに削れていくものまで、ちゃんと刻む。
エリオは、にっこりと笑った。
「まあ、壊れるなら綺麗に壊れよ? 中途半端が一番ださいから」
くるりと時計を閉じる。
今日は止めない。──止めなくても、もう進むから。




