3-1:新たなる人生へ
とある少女の、物語のはじまり。
それを支えた青年は、えも言われぬ罪悪感に苦しむ。
フェアリア郊外、巨大樹の森。
高濃度の魔素が滞留する超自然的な空間で、サキがたったひとり、直径十メートルはあろうという針葉樹の、幹と幹の間をとてつもない速さですりぬけていく。
(上空の眼・・・この監視網から逃れる術は?)
上空から文字通りに降り注ぐ視線をかわしながら、高濃度の魔素によって阻害される魔力の流れを頼りに、目標を探して飛び続ける。
雨のような魔力の槍を、ひらり、ひらりと回避しては、全身に魔力を巡らせて爆発させ───密集した樹木の中にある、可能な限りの直線を、音にも迫る速度で。
「っ!」
木の幹をすり抜けた先、僅かに死角となっていた位置から彼女の進行を止めるように置かれた、ひとつの刃。
彼女はすぐさまバリアを展開すると、速度が乗ってしまって回避起動を取ることが困難な自分の身体を、まるで弾丸の入射角を浅くして跳弾を狙う時のように、僅かな傾きを用いて移動のベクトルを変更。
これと同時に放たれたビームによって綺麗にたなびくブロンドの髪が少し焼けてしまっても、彼女はそれを一切気に留めることなく、再び加速して魔力の反応を辿っていく。
(魔法を使った以上、この状況、この魔素の濃度であっても、ほんの少し見えるくらいの魔力の残滓が残っている。
私はそれを辿るだけでいい。文脈を読み取るように)
魔法を用いた戦闘というのは、小さな戦術の集合体である。
攻撃ひとつひとつに意図という情報が乗り、それを読み取って人は戦い、勝利を目指す。
そして、魔法というのは情報の塊でもある。
今の彼女にとって、その「情報」は必要不可欠。
(呼吸が僅かに軽い・・・ということは、魔素の濃度が低くなった)
情報を飲み込み、分析を続けて、しかし油断はせず。
ほんの少しだけ魔力を滾らせた彼女は、それを纏って上空からの攻撃をしつつ、速度を上げて明順応を待たずに外へ飛び出した。
澄んだ空気が漂う開けた空間、その先、遠くに佇む純白の狼。
細身の筋肉質で二足歩行をしているその狼───グリムは、飛び出してきた彼女の姿を見るなり、感心したように牙を剥く。
「おお・・・早かったっすね」
それと同時に上空の眼は消失し、グリムの肉体から炎のような魔力が噴出、空中で静止したサキに対して敵意を向けた。
これを感知した彼女はすぐさま魔力を全身に充填、放出とともに肉体が耐えられるギリギリの速度まで加速し、虚空からひとつの、刃渡り十八センチのナイフを取り出し、構えた。
「ヒューリー・ファング!」
「前線装具」
対するグリムは浮遊する刃を一本だけ召喚すると、一歩も動くことなく彼女のナイフを受け止めて静止。
すると彼女の背後で、ひとつの魔力反応が動いた。
「後ろっ!」
すぐに姿勢をねじって背後からのビームを回避。
間髪入れず差し込まれる挟み込むような二本のビームを、彼女は掌から魔力を放出した反作用で回避すると、そのまま地面に両手をついてこれを押し出し、高く飛び上がる。
そのまま姿勢を上下反転させて両手を上に掲げると、両手の間に魔力を練って魔法を生成。
阻止するように差し込まれた射線に微笑んだ彼女の身体を、一本のビームはするりと抜けていってしまう。
(敢えての溜め・・・ということは)
分身との位置の入れ替えによる撹乱。
これは彼女がつい昨日の鍛錬で会得した、戦術における「嫌がらせ」の最高峰にあたる組み合わせ。
グリムはこれに、彼女の作戦が成功してコンマ数秒後に気がついた。
とどのつまり、戦場なら既に狼の首は飛んでいる。
「一本、お見事っす。サキさん」
両手を上げ、武器を収納するグリム。
そんな彼女の背後で刃を突きつけていたサキは、ふっとため息をついて武器を収納した。
「・・・はい。なんとか課題クリアです。
これでようやく・・・見えてきました」
師匠の妹分に向けて、可愛らしく笑みを向けるサキ。
この課題を吹っ掛けた師匠の姿は見えぬまま、一人と一匹はこの場を去る。
「私が思う『強さ』が・・・ようやく」
───── 三節:欲しかったものがそこにある
忙しさが減れば減るほど、時間は早く過ぎていく。
万が一、億が一に備えた諸々の対策も済んで、とくにやる事もなく体を動かしては寝てという日々。
サキは確かに強くなったものの、それでも俺の本気を受け止められるほどじゃないし、むしろ最近は「正しい才能」というものをまざまざと見せつけられて少し嫉妬ぎみ。
俺の才覚、それは元いた世界の知識あってのことだ。
知識と応用、唯一きちんと誇れる発想力だって、既存の情報を組み合わせて最適解を選んでいるに過ぎない。
その点、サキは偉いどころの話じゃないと思う。
一を聞いて十を知り、それに飽き足らず百を返す。
「私からすれば同じに見えるんだけど」
王宮の屋根の上、近づけば察知できると思っていたのに、易々と気取られず登ってきたティア。
呆れた様子で俺の思考の邪魔をしながら俺の隣に座ると、俺の頬をつついてくる。
「言ったろ、凄いのは認めると。
でも俺はなれなかった。自分の選択とはいえ」
こそばゆいから振り払いつつ、俺はそういう事じゃないと反論する。
俺はべつに、サキの才能そのものに嫉妬しているわけじゃない。
ただ別の要因で、ちょっと心が不安定なだけ。
「口にできるだけマシになった、って言えばいい?」
「・・・そうかもな。俺は褒めて伸びるタイプだ」
心を読まれるから隠し事をしていても無理はない。
正直な話をすれば、褒めたって貶されたって変わらない。
もしかしたら昔と違って、影響するようになっているかもしれないが───それでも、影響していないつもりなんだ。
きっとまた、俺の心を読んでいるのだろう。
やたらと山勘で察知してくる性分なのは知っている。
「心にもないことを言ってさ」
「・・・・・正直ジェラってる。サキは天才だから」
僅かにズレた本音を吐露しながら、俺はティアから視線を逸らす。
やっぱり思考を見られているし、ティアがグイグイ来るということは、俺がこの場から無理に移動することはできないと考えるべき。
もう、諦めるしかないか?
「きみを褒めなかった日はないのに?」
わざと思考を無視して、あざとい声色で問いかけてくる。
前はこんな事してこなかったのに、やっぱりティアは他人の情緒の扱い方が上手くなっているんだ。
致し方ないが、もう、本心で話すしかない。
こうなれば隠し事はできないと決まっている。
「そこは・・・感謝してる。でも俺は───」
「最近、強がってた頃のきみに戻ってる。昔より酷くなったかも」
心臓が明らかに脈を急いだのがわかった。
言い訳を遮られ、薄々感じていたことを、今いちばん言われたくないことをストレートにぶち込まれる。
たぶん、顔に出ているから。
ティアが追求したいのはきっと、サキについてだ。
「・・・好ましい試みだと思ったんだけどな」
本当ならサキは俺にとっての新しい刺激になるはずだった。
不純な目的として、俺と同じ才能を持っていたら俺みたいな境遇じゃなくても正しく強くなれるはず───という、不純に不純を詰め込んだような目論見もあったが、結果としては成功してほしいものだった。
しかし、過程の時点で空回ったのがわかる。
俺は肩入れしすぎたのだ。
「フェアリア事変がなかったらそうだった。
きみが空回りを起こしてるのは外的要因によるもの」
ティアはそう肯定するが、素直に受け入れることは難しい。
俺が行動を起こした先にあるものは、例外なく「俺の選択」の結果に生まれたものであって、外的要因のせいにはできないもの。
ましてや、避けようのなかった事件のせいだなんて・・・
「サキの心を見たよ。まだ『置いていった』って思ってるの?」
それ・・・は、確かに、そう考えた。
でもサキには言っていないし、ティアは・・・・・推測を述べた?
つまり俺は今、思いっきり墓穴を掘ったと?
いや、それはいい。
その時に苦しくなっただけで、いつも苦しいわけじゃない。
「・・・でも、そう感じたことは確かなんでしょ」
本格的に俺の思考に介入し始めてきた。
駄目だ、このままだと芋づる式に深層心理をぜんぶ引っこ抜かれる。
せめて、せめて形にして、きちんとした言葉にして渡さないと誤解が生まれてしまう。
「・・・・・自分が嫌になるんだよ。悪いことじゃないはずなのに」
「良い傾向だと思う。少なくとも私は」
それでも理解はしているというのは留意してほしい。
俺は病死で転生したわけだから、いつまでも引きずっているのは俺だけだと理屈では理解しているということを。
向こうではとっくに葬式をしていて、俺の死は受け入れられているはずだということを。
それなのに・・・俺は。
「・・・・・〜ッ」
だから嫌だったんだ・・・素直に吐露するということは。
どうせ心がモヤモヤしたまま、何も言えずに抱えることになる。
次から次へと湧き出る疑問と言葉に結論が追いつかないで、片っ端から言葉が腐っていく感覚。
自覚できるんだ、それを。
だから嫌なのに。
「くそったれ・・・・・っ」
ずっと疑問なんだ。
俺のことを「アニキ」と言って慕うグリムには、どれだけ距離が近くあっても「妹」としての情を抱くことはなかった。
どこかで線引きをして、仲間として、半分くらい家族として認識していたはずなのに。
サキに肩入れし始めた途端にこうなったんだ。
グリムの時は・・・なんともなかったのに。
「それはだって、あくまで『妹分』だったからでしょ?」
俯いて、見上げて。
そうしてみれば、いつのまにか周囲の景色は私室になっていて。
俺があれやこれやと考えているうちに、二人きりにされていた。
「サキはもう・・・私達の『妹』になった」
「・・・・・っ」
今の俺はきっと、ひどい顔をしているのだろう。
身体が震えるのがわかる。
呼吸は浅く、苦しい。
「そうは思わない?」
認めたくないと、一瞬でも思ってしまったことが恥ずかしい。
逃げることに飽き足らず、否定まで手が伸びるとは。
でも、名言さえすればいいのだろう。
逃げ道を塞ぐだけならできる。
肯定よりもずっと楽なんだ。
「・・・・・否定は、しない。もう」
後ろにはベッド、隣にいたはずのティアは、いつのまにか正面に。
見上げるのが怖くて、ずっと俯いたままになっている。
俺の答えに何を思うのか、察することはできない。
「先ずはその、結論から逃げるところから治そう?」
声は、怒っていない。
逃げることを、やめたいと。
俺もそう思っているんだ。
でもできないから苦しい。
誰も俺の事なんて責めていない。
勝手に苦しんでいるだけ。
それは・・・わかっている。
「大丈夫。私がついてるから」
今となっては、ティアに甘えてばかりになっている。
私がついている、なんて。
どれだけ幸せなことか。
「・・・・・」
・・・でも、なんか、もういい。
吹っ切れてしまおうと思えた。
思ってること全てを言葉にしてしまおう。
腐らせるのは勿体ないと思っている。
口にして伝えるのが大事だと、そう感じている。
それで今は、ティアのお陰で周りには誰もいない。
「・・・そうだよ。そう」
もう、疲れたんだ。
ここには二人だけしかいない。
ならばもう、何を躊躇う必要があるんだろう?
「・・・・・俺は、さ。ティア。サキが羨ましくてたまらない」
「俺という存在を師匠に持つあいつが、どうしようもなく妬ましい」
「一年前の俺が、喉から手が出るほど欲しかったものなんだよ?
安心できる環境で、正しく才能を使って、強くなるって」
「選択を・・・間違えてはいない。それは分かってる。
俺は望んだんだ。死にたくないって。だから、俺は・・・っ。」
「サキに・・・・・俺みたいに、血に塗れてほしくないって。
何も知らないで、幸せになってほしいと。そう・・・願った。」
「でも。いや、だからかなあ・・・・・!」
「・・・羨ましいんだよ。眩しくて見ていられない。
与えたいと望んだのも俺。行動に起こしたのも俺なのにさあ!」
・・・ぜんぶ、全てが俺の本心なんだ、これは。
欲しかったものを得られなくて、それを与えたいと願って、そのくせ与えたものに嫉妬して、俺も欲しかったのにとタダを捏ねて。
それが俺の、俺という人間の形そのもの。
紛れもない事実だ。
「・・・・・俺を、導いてくれとは言わない。
ただ、離れないでほしい。こんな幼稚な・・・ことを、願ったって」
だから、嫌わないでほしい。
ひどい本音ばかりで、見苦しいのはわかってる。
でも、言われた通りに結論から逃げなかった。
逃げなかったから褒めてほしい。
俺は頑張った。
「・・・幼稚だなんて思わないし、私がきみから離れることもない。
前も言ったはず。私には家族との死別を受け入れるための機会があったけど、きみには自分の死も、前世との決別も、家族ともう会えないという実感も、受け入れる機会がないんだって」
だから仕方ないって、そう思えたらいい。
理屈ではわかっていて、ティアに再三言われていること。
それでも納得できないのが何故なのか、自分でも理解できない。
「もちろん、私にはきみを導くことは絶対にできない。
けれど、私はきみの隣で永遠を誓った身」
膝に置いた手を、握ってくれる。
俺を安心させようとしてくれているのがわかる。
「話してくれてありがとう。
大丈夫。私はきみのこと、大好きだよ」
続く抱擁は、何故か、いつもより暖かく感じた。
言葉をいっぱい吐いたからか、感情的に───いや、理屈はいい。
嬉しいと思える。
ありがたいと思う。
「今回は私も一緒に行く。だから安心して、今日はもう寝よう?」
どんなに強がっていても、俺は逃れることはできない。
ようやく気がついたのだ。
いつのまにか、涙を流していたことに。
「・・・・・ありがとう」
自立だなんて、遠い話だ。
自分でも分からない。
いつになったら、俺は立派な大人になれる?




