第三十二話「諦めかけたその時に」
―ドゴォオオオオオン―
今日でもう何度目かになる水路の崩落の末、瑠璃と紅葉は今までとは違う広い通路に出た。
そこは本来は船などが通る場所なのだろう。両側には手摺の付けられた細い足場が存在し、架線柱などによる銀鏡線が張り巡らされている。
また、奥は造船ドッグの類らしく、幾つもの廃船と思われる船が無造作に放置されているのも目に見える。
そうした状況の中、高さおよそ100mからの落下をものともせず華麗に着地した瑠璃は、発信機を見ながら周囲を確認する。
「と、生命反応ゲージが振り切れましたね。そろそろこの辺りにシロちゃんがいるはずなんですが……」
しかし、周囲は伽藍堂。
落下の際の砂埃が晴れても見渡す限り何もない水路が続き、あるのは廃船のみ。
「いませんね?」
何より、この場所は先程までの水路と違って生物の気配がしない。
周囲にある生物の気配は観測する瑠璃自身の気配と紅葉の気配、そして先程の崩落の際に一緒に落ちて来た水路生物の中でもしぶとく生きている何匹かの分の気配だけだ。
そんなしぶとい水路生物達を警戒しつつ、落下の衝撃で垂直に首以外全て地面に埋まっていた紅葉は穴から這い上がりつつ、瑠璃に近付いて話しかける。
「じゃあ、廃船の中とかかな?」
そうして紅葉は砂埃をはたきつつ、廃船を指差すが、瑠璃はそれに対して首を捻る。
「うーん、どうでしょう? そっちから生物の気配はしないんですよね。むしろいるとしたら、たぶんこっち」
「ふぅむ?」
だが、そうして瑠璃が指し示した方向は見渡す限り何も無い水路の方角。
ここまでその何らかの空間把握能力で進んで来た瑠璃が話す事なので信憑性は高いが、ぱっと見ではその意図するところが紅葉にはわからない。
(水路の……、先、って事?)
意図が掴めないのであれば探究するのみ。
瑠璃の考えを模索しつつ、紅葉は水路の先に目を凝らし、そして気付く。
この水路、見かけ上は直進に見えるものの、その実、緩やかに弧を描いている。
「あぁ、そういう事。カーブの先にいるのね」
「恐らく? いえ、知りませんけど」
「おいィ?」
「目で見てないものは知りません」
「なる、現実主義。んじゃ、いこっか」
そうして、紅葉は周囲の息のある水路生物から瑠璃を守りつつ瑠璃の指し示す水路の奥へ向かおうとする。
―ゥォォォン―
と、そこで、通路に一陣の風が吹いた。
「……風?」
「……地下、ですよね? 何かの施設でも動いてるんでしょうか?」
「見てないから知らない、でも予測は出来る。そうかも」
「なる。観測主義」
実際、地下であるのにいままで息苦しさを感じる事などは一切無かった事からも、何らかの循環系の施設が生きている可能性は大きい。
(といっても、周りの埃は停滞して動いてないんだよね……)
また、その風音と共に、周囲にいた、まだ息のある水路生物達は音とは反対側に撤退していった。
/(あれだけしつこかった水路生物が撤退……ですか。……何があるんでしょうね、この先……)/
そんな不可思議な風に、瑠璃と紅葉はそれぞれ多少の不穏を感じながらも水路の奥、音のした方向へと向かう。
そうして歩く事、数十分。
代り映えのしない水路に辟易としつつ、発信機を見ながら瑠璃が呟く。
「おかしいですね……、もうそろそろ見つかってもいいと思うんですけど」
そして見る、瑠璃の視線の先。今回の依頼用に手渡された発信機のゲージは既に振り切れており、この周辺にシロがいるという事を如実に表しているが、やはり何処を見ても生物の影も形も無い。
時折、先程の怪しげな風の音がするが、その音も進むにつれ少しずつ大きくなれどもその発生源は掴めない。
また、発信機にしても魔力感知式のものらしいので、ゲージが振り切れている以上はそんな何kmも先にいるはずはないのだが、これだけ開けた空間を数km探しても見当たらない。
(発信機の故障……っていうわけでも無さそうだしなぁ……)
紅葉としても瑠璃の探知能力を当てにし過ぎていたかと、少し思考に陰りが見える。
そうでなくても、この場所には多数の四足歩行生物が存在する。
瑠璃がどうやってシロを探し当てようとしていたのかはわからないが、そもそもにおいて、この広い地下迷宮の中で愛玩動物一匹を何の準備もなしに見つけようとしたのがまず間違いだったのかもしれない――
そう紅葉が考え始めた時。
「おーい! シロー!! 迎えに来ましたよー!! いたら返事してくださーーい!!!!」
瑠璃が突然シロを呼び始める。
その声は、声質そのものは普段通りの透き通った綺麗な声だが、何分、声量が思った以上に馬鹿でかい。
それは水路における反響も伴って、一種の音波砲とでも呼べる威力である。
それに対して、耳の良い紅葉は現実的な懸念も相まって抗議の声を上げる。
「うぉっ!? ちょっ、瑠璃!? 音、聞き付けて水路の生物達が集まって来たらどうすんの!?」
その抗議は尤もなものだったが、瑠璃としては特に問題が無かった為、瑠璃はあっけらかんと応える。
「ん? まぁその時は全部ぶちのめせばいいですよ。それにほら、なんかこのフロア、他の所と空気感が違って、水路生物が全然いませんし大丈夫なんじゃないですかね?」
確かに、このフロアは他の場所と違い水路生物に全く出遭っていない。
それ自体には紅葉も気付いてはいたのだが、今の音波砲により、それが単に出遭っていないのではなく、全くいないのだという事がわかる。
「うぅん……? いや、まぁそうだけど……。確かに全然来ないね、あれ……?」
(そんなこと……、ある……?)
来ると思っていた襲撃が無い拍子抜け感。
そして、瑠璃の膨大な声量を聞いた後に巻き起こる盛大な静けさ。
だが、それに反して紅葉の本能は絶大な危険を感じ取り、無意識に瑠璃に密着する。
「わ、え、と……? 何ですか? 紅葉さん」
「いや、うん。何か寒気がした。ねぇ、ところで瑠璃、もしこのフロアに水路生物がいないのだとしたら、その原因は何だと思う?」
「え? それは当然、何かしらの水路生物が住まない、または寄り付かない理由があるんだと思いますけど……、って、あ……」
そこまで瑠璃が言い、何かに思い当たった所で、突如として水路の右側。
弧を描く道の内側に当たる部分が勢い良く吹き飛ぶ。
―ゴゥォオオオオオオオオオオオオオン― ―シュンッ―
勿論、その襲撃は想定していた紅葉が瑠璃を抱えて後ろに跳んだ事で、粉砕された通路の土石流に巻き込まれる事は避けられたが、敵の姿が見えない。
「? 敵がいない……?」
「いや、いるはずですけど……」
とはいえ、紅葉が幾ら砂埃の中に目を凝らしても敵の姿は見えない。
それは紅葉にしがみ付いた瑠璃が地面に降りて紅葉の後ろから砂埃の中を覗き込んでも同じ事である。
が、敵の姿の代わりに、先程から聞こえていた風音と同じ様な、生暖かい吐息が二人に降りかかり、砂埃は掻き消される。
「「お?」」
―フシュゥゥゥゥゥ……―
「え、ちょっ! まさか!?」
そこに瑠璃や紅葉が想像していた敵の姿は無かった。
しかし、何かはいた。
それは、一目見ただけでは、そのあまりの大きさと質感の故に周囲の構造物との区別がつかなかった。
その二本の足は水路を支える巨大な柱と見分けがつかず、その皮膚は水路の壁に良く似た硬質で少し湿った金属の様な装甲をしており、水路の壁と区別が付かなかった。
そして、それは先程話した他の生物が寄り付かなくなる理由となり得るもの。
船舶用の広い水路の中で、それは天を衝き、天井に突き刺さるかの如き大きさを誇って山の様に聳え立つ。
砂埃も晴れた中、そこにいたのは一匹の巨大な龍の姿だった。




