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梔子色の古神  作者: ウチダ勝晃
第五章 邪宗滅びて……

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邪宗滅びて…… その二

 迎えた再開初日、まだ傷跡の癒えない真樹に、久しぶりに顔をあわせた蛍ははじめこそ驚きはしたが、釣りをしていて転んだんだ、という言い訳に納得し、もう若くないんですから無茶はしないでくださいね、と呑気にあしらわれたのだった。かたや坂東医師は、戻ってきて顔を合わせた看護師たちから怪我の手当てをした山の医者はなんと下手くそなのだ、とか、医者の不養生は信用に響きますよ、と、ずいぶん冷やかされたようだったが、まさか本当のことは言えず、笑ってごまかしておくのが精いっぱいであった。

 あの出来事から二週間ほど経って、事件以来久しぶりに外で会うことになった二人は、行きつけの居酒屋の個室で盃を交わしていたが、ふとしたはずみに坂東医師が呟いたある情報に、真樹は酔いがだんだん抜けてゆくのを覚えた。

「――じゃあ、いちおう出頭はしたんですか」

 猪口を手元へ置いたまま、真樹は坂東医師が警察で仕入れたというある情報に、目を見張っていた。

「ちょうど三日前のことだそうです。あの医院で見つかった遺体は、おれがやったことだ、って言ったきり、黙り込んでしまって……。らちが明かないから、ひと晩経ってから取り調べをしようと、留置場に入れて置いたら、明け方に、着ていたシャツで首をくくって死んでいたのが見つかりましてね……。どこの誰かわかるような手がかりもないから、元々精神に異常があったのか、それとも正常だったのかもわからなくて、報道向けには公表してないそうです」

「……なるほどなあ」

 手にした猪口を宙に浮かしたまま、真樹はここまでの間に知りえた、一連の出来事についての世間の反応を思い浮かべていた。

 結果から言えば、事件の扱いはひどく凡庸なものだった。あの直後、崖に面していたホテルは地盤を巻き込んで日本海へ崩れ落ちたらしく、世間一般には単なる老朽建築の崩壊事故としてのみ報じられており、新聞にはダイバーや海上保安庁を出してまで調査を行うべきか否か、という判断を迫られている地元警察や、管理を請け負っていた国の関係者の談話が載っているきりで、奇妙な遺体が見つかった、というような一文はどこにも見当たらなかった。

 おまけに、発端となった傘岡市内でのバラバラ遺体発見も、無縁仏として寺に納められた、というマッチラベル大の記事が昨日の朝刊に載ったのを最後に、煙のように消え失せてしまったのだった。

「あの二日間の出来事が全部夢だったとしたら、この怪我はいったい何だと言うんでしょう。寝ぼけて転んで切ったにしては、いくらなんでも重症だとは思いませんか、真樹さん」

 額にうっすらと残る、ガラスの破片で切った傷をつつくと、真新しいキャメルに火をくべた坂東医師は、丸眼鏡のレンズ越しに鋭いまなざしを光らせた。

「知らぬは世間ばかりなりけり、ってとこなんでしょうね。僕だって、あれが夢ならどんなによいか、と思っていたんです。ただ……」

「ただ……?」

 しばらく、真樹は手元をにらんだまま黙り込んでいたが、何を思ったのか、猪口の中身を飲み干すと、濡れた口元を手の甲で拭い、先生、出ましょう、と言い、坂東医師の手を引っ張った。

「どうしたんです、真樹さん。さっき入ったばかりでしょう」

 だが、抗う坂東医師を気にも留めず、真樹は会計を済ませてから、そのまま往来へ出るまで一言も発さずに口を真一文字に結わえていた。

 ようやく彼が口を開いたのは、坂東医師の腕を引いたまま、「真珠堂」の裏口へとたどり着いたころだった。

「――坂東先生、あなたあの晩、僕が八ミリ映画を回していたのを覚えているでしょう」

 書斎へあげた坂東医師へ、買い置きの缶ジュースをグラスへ注いで出すと、真樹は机の隅に置いてある、あちこち痛んだ映写機と、現像から戻り、真新しいアルミのケースに収まった八ミリフィルムを目で指した。

「暗がりでも写せるようなフィルムでも、多少は無理があるだろう――。僕はそう思いながら、あの晩はフィルムを回していたんです。ところがどうです、現像から戻ったフィルムを、編集用のエディターにかけてみたら、なにかがおかしい……」

「なにかがおかしい……と、言いますのは?」

 アルマイトの灰皿へキャメルの灰を散らしながら、坂東医師は映写機を操る真樹へ、腰を浮かせながら尋ねる。

「それをこれから、二人で見ようと思うんです。とてもじゃないが、素面じゃいけない。ちょっとこいつをやってから、映画をかけようと考えましてね」

 書棚の一角にしつらえた、小さな収納スペースからジョニ赤のポケット瓶とショットグラスを出すと、真樹は坂東医師へグラスを持たせ、一緒になって立て続けに四、五杯、のどへ染みるのを我慢して、とろりとした琥珀色を無理やり胃へと収めた。

 そして、ふらつく手でどうにかフィルムを映写機へかけると、真樹は北向きの窓にかけた八ミリ映画用のスクリーンを畳まできちんと下ろし、部屋の灯りを落とした。

「じゃあ、行きますよ……」

 モーターのスイッチを入れると、軽快な音と共に、現像所で処理番号などを書き添えられたリーダーフィルムがスクリーンを縦に流れだした。最初の方は、テストのために撮影したらしい、ホテルの部屋や街の風景などが数秒おきに切り替わりつつ現れていたが、そのうちに画面は、薄暗がりの中でかろうじて松明の火に照らされている、三つの十字架に切り替わった。

 同時録音の出来ないサイレント式のカメラがとらえたということもあって、あの奇怪な祝詞や太鼓の音はなかったが、それが却って儀式の様子を気味悪く、ありありと写している。

「ここだっ!」

 と、時折ピントを調整しながら、スクリーンと手元をにらんでいた真樹はある場所に来るといきなり、大きな声で坂東医師を促した。その途端、坂東医師は、

「なんですか、これは……!」

 と、手から離したグラスの中身がズボンへ染みたのを気にもせず、真樹と一緒に食い入るように、スクリーンの中の光景をのぞき込んでいた。

 スクリーンに写されていたのは、二週間前の満月の夜、社崎の郵便保険の宿で見た、蓮鳥教の奇怪な儀式の光景で、すでに嫌というほど記憶に刻み込まれたもの――のはずであった。だが、今目の前で動いている、三つの十字架を囲む信徒たちをとらえたフィルムは、坂東医師も知らぬ、奇妙なものを写し取っていた。それは、黄色――というよりは、染め物に使う梔子の実のような、ぬめった色味の何かが、磔にされた信徒の体を這いまわっている、身に覚えのない光景であった。

 ――なんなんだ、このたこ足の、触手みたいなやつは。

 そう言いたげに互いの顔を見合わせると、再び二人は、スクリーンへ神経を注ぐ。どうやら信徒にもその、梔子色をした触手がわかるのか、しばりつけられた三人は、それの動きに合わせて体をよじらせている。と、それまで服の上をくすぐるように動いていた触手が信徒の体を急に覆ったかと思うと、そっと離れた触手の下から、きざんだ海苔でもちらすように、バラバラになった四肢が落ち、その下へと大勢の信徒たちが群がりだした。そのうちに、映像は終点へと差し掛かり、フィルムの粗い粒子が躍っていたスクリーンは、映写機のランプルームから出る黄色っぽい電球に照らしだされた。

「やっぱり、現像で出来た傷じゃなかったんだな」

 部屋の明かりをつけ、空回りをする映写機を止めると、真樹は今までかけていたフィルムを巻き戻し、二本目の缶へと手を伸ばした。が、ふと思い立って右手をすくめると、窓辺にかけたスクリーンを畳み、止めにした方がいいかもしれない、と、坂東医師の方へウィスキーで火照った顔を向けるのだった。

「どうしてです――」

「先生、お忘れですか。僕らはあの晩、崩れ出した洞窟風呂の中で信徒たちが次々にバラバラになってゆく光景を見たでしょう」

 坂東医師が黙って頷くと、真樹は続けて、

「で、あなたの話では、ギリギリまで僕はカメラを向けて、どんどん信徒が竜巻みたいな何かに巻き上げられて、四肢がちぎれてゆくのを写していたわけです――。と、いうことはですよ」

 巻き取りの済んだ一本目のフィルムを缶へ収めながら、書架へ背を預け、こう続ける。

「最初に撮影したフィルムのように、僕たちの目には見えなかった何かが、真正面から写っている可能性があるわけですよ。あなた、それの正体も確認するだけの気力はありますか……?」

 僕にはとてもじゃないが無理ですよ、と締めた真樹を、坂東医師はしばらく口元を抑え、黙り込んだまま見つめていたが、やがて力なく、だめです、と、消え入るように声を上げると、

「あなたの言う通り、素面で見なかったのは正解かもしれない。酒が入っていなかったら、僕は正気でいられるか、わかったものじゃない――」

 がくりとうなだれ、肩を揺らして泣き出す坂東医師にそばへ寄ると、真樹啓介はその肩へポン、ポンと手をかけ、彼を慰めるのだった。

 傘岡を含む地域に、梅雨明けの知らせがもたらされた夜のことであった。

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