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梔子色の古神  作者: ウチダ勝晃
第四章 蓮鳥教との対決

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蓮鳥教との対決 その四

 夜釣りに出てくるから、と言って、ホテルの近くの釣具屋で借りた、使う見込みのない釣り道具とともにカメラバックを持つと、真樹啓介と坂東医師は夕食後、ホテルの車寄せへ呼びつけたタクシーで、例の廃宿へ向けて出発した。

 磯の香りが混ざる潮風が、煌々と光る満月の空を流れる、ひどく静かな頃合いのことである。

 妙な気を起こされて引き留められてはかなわないから、ということで、宿の手前で車を降りた二人は、しばらくの間、昼間の排ガスの匂いが染みついているトンネルを荷物を抱えて通り抜けたのち、ついに目的地である郵便保険の宿へとたどり着いた。

「ここに転がしておくのは、いささか心もとないなあ」

 昼間、ブックマッチを拾ったあたりへ竿やルアーの入ったケースを置く真樹に、釣り好きである坂東医師がキャメルをふかしながら、怪訝そうな顔をしてみせる。

「気持ちはわかりますが、ほかに方法もありませんからね。我々の目的は、やつらの活動実態をフィルムへ納めることにあるのですから……」

 肩から提げたカメラバックの口を開け、年季の入った八ミリ映画のカメラを出すと、真樹は入念に電池やモーターの具合を確かめ、替えのフィルムを詰めた特注のベストをそっとさするのだった。

 真樹が持参した、煙草の箱ほどの大きさの懐中電灯をそれぞれ手に持つと、二人は豆電球のぼんやりとした明かりを頼りに、そっと玄関の戸へ手をかけた。頻繁に信徒たちの出入りがあるのか、扉はストレスもなく、すっと奥へ動き、二人はそのまま、かつてロビーだった、ひどくかび臭い場所へと躍り出た。

 正面に見えるラウンジの窓から差し込む月明かりに目が慣れてゆくと、背中合わせに辺りの様子を伺っていた坂東医師が真樹さん……と、そっと声をあげた。坂東医師の視線を追うと、元々は「非常口」と描かれた緑のプレートがはまっていたらしい鉄の扉の下の方から、ちらちらと淡い光が漏れているのが真樹にはわかった。

「階段、でしょうか」

「どうもそうらしいが……ちょっと失礼」

 豆電球の光線をあちこちへ振り回し、真樹はしばらくなにかを探していたが、目当てのものがすぐ近くの柱にあったのに気付くと、その箇所を手早く、手帳へと書き写すのだった。

「この下にあるのは、昔の洞窟風の大浴場ですよ。そこでおそらく、『何か』が行われているわけです……」

 真樹の言葉に、坂東医師は感慨深そうに、いよいよ、ですか……とつぶやき、懐中電灯の光量をそっと絞りながら、くだんの扉へと近寄り、そっと把手に手をかけようとしたが、

「先生、ちょっと……」

 制止する真樹に居場所を譲ると、坂東医師は真樹が懐から出した何かを、大きな鉄扉の上下にあてるさまをしばらく傍から静かに見守っていたが、真樹が勢いよく鉄扉に体当たりしたときには流石にその沈黙を破りそうになった。

「真樹さんッ、あなた何を……」

 そう言いかけた坂東医師の前で、真樹が左肩で当たった扉は、音もなく、すうっと開き、ぼんやりとした光の差し込む中へ入りこんだ真樹はそっと、医師を手招きするのだった。

「いったい、何をしたんです」

 後を追って、最後にそっと扉を閉めながら坂東医師が問うと、真樹は豆電球の輪の中で軽く、

「――なあに、ちょいとスピンドルオイルを数滴注したまでですよ」

 と、粋に目配せをして、通路の奥の方からぼんやりと差す、橙色の明かりの方角に向かって、坂東医師ともども、角の取れた階段を一歩一歩、丁重に踏んでゆくのだった。

 二人が地下二階まで、相当な距離を階段で降りたころには、廊下の隅に置かれた古めかしい石油ランプのために、辺りはすっかり明るくなっていた。といっても、白熱球や蛍光灯のような鮮明な明かりではなく、煤けたホヤの中でゆらゆらと瞬くような光であったため、二人は時折目をしばつかせながら、かつて女湯だったらしい入口のところまで来てから、その場へしゃがみこんだ。

「一服しましょう。ちょっと、根を詰めすぎたらしい――」

 キャメルの箱へ手を伸ばすと、坂東医師はそばの松明から火を受け、深々と煙を吸い込んだ。煙草を吸わない真樹は、ベストの中に突っ込んであった旅行用のウィスキー瓶を開け、出る前に入れておいた水をグッと含んだ。敵陣を前にしての、束の間の休息である。

「おや」

 立て続けに二本ばかり、フィルターの根っこまで煙草をふかしていた坂東医師が声を上げたので、真樹はギクリとして、ウィスキー瓶をポケットへ押し込めた。

「真樹さん、なにか聞こえませんか……」

 吸いさしを絨毯の禿げた隙間から出ているコンクリートへ押し付けながら、坂東医師がそっと耳をそばだてるので、真樹もつられて、その方角へ聞き耳をむける。すると、今まで耳鳴りばかりしていた鼓膜の中へ、リズミカルな皮太鼓の音がじわじわと、染みわたるように入り込んできたので、真樹は坂東医師の肩をつつき、

「――もっと、そばへ行ってみましょうか」

 と、カメラ片手に、脱衣所の奥へと進もうと、坂東医師を促した。

 腐りかけた床を踏み抜かぬよう、足元へ懐中電灯の頼りない明かりを向け、そこにびっしりとつけられた足跡におののきながらもどうにか音の方角へ進むと、真樹と坂東医師は、鮮明になってきた太鼓の音と、その陰で消え入るように聞こえてくる、日本語とも、外国語ともつかぬ低い声の存在に、シャツにじわりと汗を染ませた。そして、乱暴に取り外された浴場と脱衣所のサッシ戸の跡をくぐり、風呂の熱気が抜けないように建てられた土塀の隅からそっと顔をのぞかせたとき、二人の緊張は最高潮へと達するのだった。

 目の前に広がる光景は、異常、という二文字で片づけるにはあまりにも安直な、しかし、他に妥当な字句も見当たらない、常識を逸脱した、凄みのようなものがあった。

 土塀越しに見えた、元は湯船だった場所には、三本の大きな十字架様のものが立ち、年齢もまちまちな男女が死に装束のような白い衣装を着、荒縄でしばりつけられている。その周囲を囲むように配置された松明からは、鼻を突くような松ヤニの香りが漂い、しゃがみこんだまま祝詞か何かのような文句を吐く大勢の信徒たちが、その揺らめく炎の下に控えていた。

「――真樹さん、今のうちです。太鼓の音が大きくなってきた」

「どうもそうらしい……」

 専門家に調整させ、かなり音を静かにした八ミリカメラのレンズを十字架の方へ向けると、真樹はシャッターボタンを押し、フィルムを回しだした。徐々に高まりだすドラムロールに、意味の分からぬ祝詞――。同時に録音まではできないことをやや恨みつつ、真樹は儀式の様子をファインダー越しにじっと睨んでいた。

 そのうちに、奇妙なことが起き出した。風など入り込むような隙間のない地下の風呂場へ、髪の毛をなでるようなそよ風が吹きだしたのである。そして、

「――ハストリサマハストリサマオンミニササグクモツココニアリケリイザソノミエザルヤイバヲ――」

 という、やっと日本語らしき語句がどこからか聞こえた途端、二人の目の前で奇怪なことが起こった。

 十字架に括りつけられた三人が、悲しみとも喜びとも取れぬ嬌声を残し、その四肢がバラバラに飛び散ったのである。

「真樹さんっ、今の……」

 フィルムが終わりに差し掛かったのに気付き、体を壁の奥へ翻した真樹へ、坂東医師は顔を汗一杯に濡らして、今しがた目の前で繰り広げられた受け入れがたい現実をどう受け入れてよいか、青い頬をみせていた。

「坂東先生、あの十字架、血はついてますか?」

 替えのフィルムを詰め、撮り終えたフィルムマガジンを服の内側へ突っ込みながら問う真樹に、坂東医師はおそるおそる、壁際から儀式の様子を覗き見た。そして、すぐさま顔を引っ込めると、

「なにもありませんっ。今、やつらは四肢の落ちたあたりに群がってます」

 と、持ってきたカメラを首から提げたまま、支度の済んだ真樹へと壁越しの様子を伝えるのだった。

「……先生、素人の考えと笑ってもらいたいが、傘岡のあの廃医院から出た四肢に何の切れ跡もなかったのは、切断に使われたのがそもそも、刃物ではないからじゃないでしょうか」

「どういうことですか」

 坂東医師の言葉どおり、わらわらと腕や足が落ちたあたりへ群がっている、KKK団のような格好の信徒たちへ再びフィルムを回しながら、真樹はぼそぼそと呟く、

「どういう原理かわからないが、今しがた僕らの前で起こった、一種の「かまいたち」のような現象で、あの連中はバラバラになってしまったわけですよ。だから、あなたが検死なすった四肢にも、刃物で切ったような跡がなかったわけです」

「そ、そんなことって……!」

「じゃあ、いったいあれをどう説明するって言うんです。ごらんなさい、奴らが手にしているのはマネキンや蝋人形なんぞじゃない……」

 カメラを止めると、真樹は松明の灯りが照らす、フランス革命で打ち殺された貴族のように、竹やりの先に掲げられた首や足を坂東医師に指し示した。商売柄、死体に見慣れている坂東医師はたじろぎこそしなかったが益々ひどい汗を吹き、真樹の影へと引っ込んだ。

「――さすがに、殺されて間がないのは初めてです」

「でしょうね。僕だってそうだ」

 これ以上カメラを回す気になれなくなったのか、鞄の中へカメラを引っ込めると、真樹は帰りましょう、と坂東医師を促し、脱衣所の方へ身をひるがえした。気分を整えようと、坂東医師はキャメルの箱を出し、抜き取った一本へと火をつけ、むっとする紫煙を宙へ吐き出した。

 と、まさにその時であった。何か太いものを無理やりねじったような音がしたかと思うと、つられて振り返った真樹と坂東医師の顔へ生暖かいものが飛び散った。反射的に、顔へ手を当てた坂東医師はその正体に気づくと一歩のけぞり、真樹の鼻先へ指を近づけた。

「――こ、これは……!」

 真樹啓介は、坂東医師が鼻先に近づけたものの正体に気づいて、全身の毛という毛が逆立つのを覚えた。

 顔へ飛び掛かってきたのは、体温ぐらいの熱を帯びた、真っ赤な鮮血だった。

「真樹さんっ、何か様子がおかしいですよ――」

 坂東医師の言葉は、そこで遮られてしまった。立て続けに同じ音がしたかと思うと、それまで松明のはじける音しかしなかった風呂場一杯に、女の叫び声が上がり、あたりがざわざわと騒がしくなりだした。

「いったいなんなんだ――」

 戸惑う二人をよそに、音の感覚はますます縮まってゆき、今度は自分たちの足元も危うくなるような、激しい地鳴りがその場を包みだした。洗い場の鏡が外れて割れる音に、石の崩れる音――。

「真樹さん、いい加減に出ましょう。このままじゃ逃げられなくなるかもしれない……」

 脱衣所の天井から降り注ぐ埃を懐中電灯で照らしながら、坂東医師は真樹の肩を震える手で促している。だが、真樹はその場にしゃがみこんだまま、ぴくりとも動かない。何かに戸惑い、眉をしきりにひくつかせているのだった。

「――真樹さんッ、あなた死にたいんですか」

「そんなわけないでしょ……」

 そこまで言いかけた真樹と坂東医師のところへ、何か大きなものがごろり、と、狙いの外れたドッジボールの玉のように転がってきたので、口の荒くなっていた二人の視線はそちらへと注がれた。

 そして、その正体が明らかになったとき、二人は隠れて儀式を映していたことなど忘れて、声にならない、北風のような叫びをのどからあげてへたり込んだ。

 二人の目線の先に飛び込んできたのは、目をいっぱいに見開いた、中年ぐらいの男の生首だった。

「何が起こってるんだ、いったい……!」

「逃げましょう、逃げましょう真樹さんっ!」

 かろうじて立ち上がれることに気づき、その場から離れると、二人は出口をきちんと確保し、震える両足をはたきながら、階段の方へと向けて動き出した。と、それまで風呂場と脱衣所を仕切っていた土塀が何かに吸い込まれるように崩れ、松明が立っている儀式の場が二人の目の前に明るみとなった。

 それと同時に、二人は眼前に繰り広げられる奇怪な光景に、すっかり釘付けになってしまった。

 小ぶりの体育館ほどの広さがある浴場の真ん中には、竜巻とも、陽炎ともとれる、空気の揺らぎのようなものが、松明の灯りを巻き込んで聳え立っていた。そして、その中へと吸い込まれた大勢の信徒たちは、しばらく宙を舞ってから、まるで時限装置でも仕掛けてあったかのように、ばきっ、という鈍い音とともにばらばらになり、石畳の上に鈍い音を立てて力なく落ちてゆく――。そんな光景を前に、真樹はいつの間にかカメラのレンズを向け、過呼吸気味になりながらその場へ立ち尽くしていた。

 坂東医師もつられてその様子を眺めていたが、二人の目の前に埃だらけの天井板と、巻き添えを食って飛んできた若い女の腕が飛び込んできたところでハタと正気に戻り、カメラのグリップを握ったままの真樹を無理やり引っ張り、階段を駆け上がった。

「真樹さんっ、しっかりなさい、真樹さん!」

 最初は優しく肩を揺らすだけだった坂東医師も、そのうちに整えた前髪が乱れるのを気にも留めず、真樹っ、いい加減にしろっ、と、乱暴に手が出るようになっており、そろってロビーへと着いた頃には、真樹の唇にはうっすらと赤いものがにじんでいた。

「――ば、坂東先生……やりすぎだよ」

 階下からの揺れが徐々に強まり、ラウンジの窓ガラスが割れだした音で正気を戻した真樹は、連れがめちゃくちゃに叩いたり、拳をむけたりした頬をさすると、どうにか自力で立ち上がり、降りしきる埃を払いながら、坂東医師を率い、入り口の戸へ駆け寄った。

 二人が扉を開け、車寄せの屋根から出たところで、入り口の戸は柱の歪みにつられ、粉々に割れてしまった。どうしたわけか、地下にとどまっていたはずの炎が上の階へと上がってゆき、熱気にあてられた窓ガラスが次々とはじけ、その小さな破片が満月に照らされてきらきらと輝いている。

 その様子をしばらく、二人は打ち上げ花火でも見るように、熱に浮かされた両目でじっと眺めていたが、背後から耳に飛び込んできた古いセダン型自動車のクラクションによって、その熱病は一気に醒めてしまった。

「――あんたら、大丈夫かっ」

 聞き覚えのある声に、二人がよたよたと近づくと、そこには昼間、一緒にこの場所へと来た仙田運転手が上気した顔をのぞかせて立っていた。

「せ、仙田さん、あなたどうしてここに……」

「どうもこうも、あんたらを乗せた同僚が教えてくれたんだ。迎えの車の話もないから、まさか自殺じゃないだろうな、って……」

 行くのに精いっぱいで、帰りの足のことを考えていなかったのを思い出すと、真樹はこみあがった嬉しさから、仙田運転手へヒシと抱き着いた。だが、その後ろで激しい炎に温められたコンクリートが爆発しだしたのに気付くと、坂東医師は炎で照らされたカムフラージュの釣り道具を回収し、真樹の背中を押しながら、仙田運転手の自家用車へ飛び乗った。

 昼間のように、激しいUターンとともに車が宿から離れた途端、かろうじて形を保っていた廃屋は真ん中からぽきりと折れ、崖下の日本海へと大音響とともに崩れ落ちていった。その様を食い入るように眺める真樹と坂東医師の顔は、かつてその廃屋とともに月日を過ごしていた無数のほこりや、飛び散ったあまたの信徒の血飛沫に濡れているのだった――。


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