06.嫌いになりきれない自分が、一番厄介
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その日の夜、屋外の練習場にエディスの姿はあった。
魔法の練習場は、建物や人に影響を与えないため、校舎からも寮からも離れている。あたりに広がるのはだだっ広い丘陵地帯、遠くに見えるのは森。丘陵地帯は学校の敷地だが、森は学校の敷地ではない。
真っ暗な中に、明かりとして火の玉をいくつか浮かべる。エディスの属性は炎なので、火の玉を出すのはお手の物だ。
そのエディスの傍らに控えるのは、炎のゆらめきをまとった赤い毛並みを持つ虎。エディスの使い魔である。頼もしい相棒だが、出しっぱなしにするだけで魔力をごっそり食う大食らいだ。
使い魔の実技試験は実力が近い者同士があたるトーナメント形式で、相手がこれ以上戦えない状態に追い込んだら勝ち。
ルクレツィアが操るのは小型の猛禽類の形をした使い魔だ。一羽ではなく複数を操る。
エディスの得意技は、精密さより力押しだ。大振りの一撃で仕留めるのは得意でも、こういう小さくてすばしっこい獲物は、正直、苦手だった。
一年生の時、実技で一度だけ対戦したことがある。
ルクレツィアの魔力自体はエディスの敵ではない。力では勝てる。でもルクレツィアは策略家だ。一年の時も、視界を遮られ死角から攻撃された。
エディスを翻弄して魔力、集中力が切れるまで待つのが彼女の戦術だ。
魔力も技術も向上している現在なら、きっと手ごわくなっている。
――私達の婚約解消の賭けに出しゃばってきたってことは、ルクレツィア様は本気よね。だったら本気出すよね。
今まで勝てたから次回も勝てるとは限らない。見えない場所からの不意打ちに対応できるようにならなくては。
練習場は天然の丘陵地帯。地面は水平ではないし、地形は凸凹だ。今は夜なので、火の玉の明かりが届く範囲も限られていて、影はどこまでも深い。不意打ち攻撃への練習にはぴったりだ。
エディスは制服のポケットから手のひらに収まるほどの丸い球体をいくつか取り出した。魔力を込めると起動し、ランダムな軌道で飛び回りながら攻撃してくる訓練用の魔導具だ。練習用に教務課から借りた。
「行くわよ」
魔力を込めて地面にばらまく。
球体たちが淡く光り、かたかたと震えだしたかと思うと、次の瞬間には四方八方へ飛び散った。
次にエディスは軽く手を振った。炎のゆらめきをまとった大きな虎が喉の奥で低く唸り、爛々と光る双眸が油断なく周囲を探る。
闇の中から攻撃弾が飛んでくる。
虎を動かして弾くが、波状攻撃には対応できない。
何度試しても背後からの攻撃弾を防ぎきれず、エディスはいったん訓練を中止して荒れた呼吸を整えた。
虎がのっそりとエディスのそばにきて寄りそう。
「あなたが分裂できたらいいのにねえ」
それこそルクレツィアの鳥のように。
分裂そのものはやろうと思えばできるのかもしれないが、エディスの能力はそこまで器用ではないのだ。複数の虎を操るくらいなら一匹の虎に魔力を集中させて一撃必殺、それがエディスの戦い方。
でもそれではルクレツィアには勝てない。
せめて反応速度を上げなくては。
――やっぱり同調しかないか。
魔力の消費が段違いなのでやりたくなかった。特に本番では、ルクレツィア戦のあとにシリルとの決戦が待っているのだ。本当にやりたくない。でもルクレツィアに負けるのは絶対いや。
四の五の言っている場合ではない。
呼吸を整え、エディスはもう一度、球体に魔力を送った。地面に落ちていた球体がふわっと蒼い光を帯びて浮かぶ。
エディスは足元にいる虎に意識と魔力を同調させた。本体ががら空きになるのがすごく気になるけれど、ほかに策がない。
ひゅっ、と鋭い音を立てて、一体が魔力弾を放つ。
虎の体が跳ねた。前脚の一薙ぎで攻撃を弾き飛ばす。
安堵する間もなく、エディスの背後に気配を察知する。虎が跳ね、攻撃がエディスに届く前に跳ね返した。
――やはりこちらのほうが反応が速い。
これならルクレツィアに勝てる。けれど疲れる。
底力を出すべく、エディスは今朝の出来事を思い出した。怒りは攻撃力に変換しやすいのである。
――シリルの奴、今日もルクレツィア様と楽しそうに話してたわね。
思い出すだけでむかつく。ルクレツィアと並ぶと絵になるのがまた。
偉そうで、口数が少なくて、何を考えているのかわからない。
だからたまに、ごくたまーに見せる婚約者らしい態度には混乱させられる。
重い荷物をさりげなく持ってくれるところとか、失敗して落ち込んだ時、余計なことを言わずアイスクリームを奢ってくれるところとか。
優しいのか優しくないのかはっきりしてほしい。
ずっとエディスを侮って馬鹿にしてくれていたら、嫌いになれるのに。
彼の優しさを知っているから、嫌いになりきれない。
自分との結婚がいやなら解消してくれてもいいよ、と告げたことがある。一度や二度ではない。実は何度もある。
そのたびに「別に嫌じゃない」「エディス以上に適任がいるとは思えない。ほかの娘には難しいと思う」と言われるのも、なんだかな。
認められている部分はあるのだ。だから困る。
嫌いになりきれない自分が、一番厄介だった。
シリルが自分をどう思っているかなんて、知る由もない。どういう意図で婚約を解消しないのかも謎だ。家格の差から、こちらからの婚約解消は提案できないし、シュトラール家はエディスとの婚約を解消するそぶりも見せない。
――由緒ある侯爵家の嫁が私でいいのか、私としてはぜひとも再考していただきたいと思うんですけど!
虎は次々と球体をとらえる。あと三つ!
ただ虎を操るよりも三倍くらいの勢いで魔力が吸い取られていく。
体が重たくなる。ふらふらする。体の力が抜けていく。
「あーもう、しんどい!」
叫んだ拍子に集中が切れる。不意に、右後ろ、すぐ近くから攻撃弾が飛んできた。
「舐めないでよ!」
エディスは同調を解いて自分の魔力で攻撃弾を叩き落とした。これで全部!
その瞬間、視界がぐらりと傾ぐ。
――しまった……!
膝から力が抜け、エディスはその場に頽れた。でこぼこで雑草だらけの地面に突っ伏す。べっちゃあ、といやな感触がした。最悪だ、暗いから気が付かなかったけれど、雑草の下はずいぶんぬかるんでいたみたい。制服が泥だらけになっちゃった。
かがり火代わりの火の玉も維持できなくなって消え、空にかかった大きな月だけがあたりを照らす。
指先ひとつ持ち上がらない。魔力切れの、あの底から根こそぎ持っていかれる感覚だ。
――やっちゃったぁ……!
ここにいることは誰にも告げていない。魔力が回復するまで転がっていなくてはならないのか。ぬかるんだ地面の上に? 回復まで時間がかかりそうなんですけど。朝までかかるかも。もしかして朝が来てもここに?
――虫に噛まれてしまうなあ……。
それだけならいいが、森が近い。獣が現れないとも限らない。




