04.ずっと会いたかったのに
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「そのお願いというのは、シリルとの婚約解消、でよろしいかしら」
「そ、そうよ!」
ルクレツィアとエディスのやり取りを聞いた瞬間、シリルは頭の中が真っ白になった。
もちろん、顔には出さない。シュトラール侯爵の嫡男として育ったシリルは、幼い頃から「感情を表に出すな」と厳しく教え込まれてきた。感情は情報、相手に不必要な情報を与えるべきではない。心を読まれては社交界で生き残れない。おまえが相手にするのは、狡猾な大人たちだ、と。
シュトラール家は王家の盾と呼ばれる由緒ある家柄のひとつであり、シリルはその家を守り次代に受け継ぐことを義務付けられている。
そうして育った結果、自分を律することだけは誰より得意になった。
だから目の前で何が起きても、たいていのことは顔には出ない。
たとえ最愛の婚約者から婚約を解消したい、と言われても。
――どうしてだ。
だが、ショックは受ける。
人生で最大級のショックだった。
何がいけなかった? いや……何もかもがいけなかったとは思う……。
エディスとの初対面は、最悪といってもいいほどのもので、そこから二人の関係はほとんど改善できていない。
努力はした。でも、エディスには届いていない。
***
幼い頃から、自分には婚約者がいると聞かされていた。
相手は父親の旧友の娘だという。名をエディス・フォルタン。
婚約者とは何ですか、とたずねたシリルに、父は「ずっと一緒にいてくれる人のことだよ」と教えてくれた。「私とお母様の関係といったらわかるか?」と。
確かに父と母は一緒にいる。母は父にもシリルにも優しい。
母のような優しさをくれる人が自分にはすでに約束されていることが、とても嬉しかった。大切にしようと思った。その、まだ会ったこともない婚約者の名前を、父は時折口にした。
「今日はフォルタン卿から手紙が来た」
そんな日は夕食の席で、その少女の話を聞かせてくれた。
父からその娘の話を聞くのが好きだった。
自分と同い年で、自分と同じように魔法が使える女の子。明るくて賑やかで、まわりを笑顔にさせる子。
手紙の主はエディスの父親だから多少は親としての誇張も入っているのだろうが、それにしてもエディスは楽しそうだった。
どんな子だろう。どんな顔をしているのだろう。どんな声で笑うのだろう。
「お父様、エディス嬢とはいつ会えますか?」
聞いてみたことがある。
「大人になったら、だな」
ずいぶん遠いじゃないか。
「エディス嬢に尊敬してもらえるように、立派な大人になりなさい。尊敬が伴わなければ一緒にいてもらえないよ」
父がそう言うから、シリルは立派な大人になることを目標にした。
自分は将来のシュトラール侯爵。尊敬される立派な大人にならなければ。父のように。
エディスに会える日が楽しみだ。
十二歳のある日のこと。
「エディス嬢は魔法学校に行きたいらしい。シリルも魔法学校への進学を希望していたな?」
フォルタン卿から届いた手紙を見ながら、父がそう口にする。
「父上、同じ学校に行きたいです」
シリルは初めて自分から父に頼み事をした。
魔法学校は国内に二校ある。本来なら自分で選べない。
「なぜだ?」
「それは……」
会ってみたいからだが、
「シュトラール家にふさわしい娘かどうか見極め、もし至らない場合は俺のほうで正しく導くためです。成人を迎えたのちにシュトラール家にふさわしくないと婚約解消に至れば、その娘の評判は傷つくでしょう。そんな事態にならないためにも」
「ふむ、なるほど。シリルの言い分には一理あるな。努力はしてみよう。……君の思惑通りにいくといいね、シリル」
付け加えられた一言がどうにも気になったが、もっともらしい理由を並べたら父は納得してくれた。
手紙からうかがい知るエディスがそんな人間だとはとうてい思えないが。
その数日後、父からエディスと同じ学校に進学することを知らされた。感情を表に出してはいけないと言われて育ったシリルだが、そのことを知ったときはさすがに「よっしゃあ」と叫びガッツポーズを決めてしまった。もちろん自分の部屋で、である。
興奮は冷めやらず、入寮前日なんてほとんど眠れなかったほどだ。
ようやく会える。
六年間、一緒に学べる。
婚約者として大事にする!
そんな期待を胸いっぱいに抱いて入寮日当日、シリルは女子寮に足を運んだ。
彼女を呼び出している間にルクレツィアが通りかかる。幼なじみというか昔馴染みというか、以前から交友がある人物だ。特に親しいわけではないが挨拶と世間話くらいはする。
「理事長先生に聞きましたわよ、シリル。あなた、南から急遽こちらに変わったのですってね。なんでも、こちらにあなたの婚約者がいるとか」
いったい何をどうしたらそんな情報を手に入れられるんだ。
「ああ。まだ一度も会ったことがない。至らない娘を妻に迎えるのはいやだから、もし至らない場合は俺自身が導くという話になったんだ。卒業後、結局、シュトラール家にふさわしくないと婚約解消になったら、彼女もつらいだろう?」
父にしたのと同じ説明を口にする。
もちろん建前だ。
「こんなに早くから婚約するくらいだから、両家ともに成立しなければ困る縁談なのでしょうけれど、あなたの婚約者さんにとっては」
コロコロと笑いながらルクレツィアはそこで言葉を区切った。シリルが睨みつけたからだ。
そこに、シリルに呼び出されたエディスがやってきた。
初めて見るエディスは、シリルが想像していたよりもずっと、ずっと、かわいらしい女の子だった。
背中を覆う豊かな赤い髪の毛、大きな緑色の瞳。顔立ちはかわいらしく、大きな目は少し釣り目で気が強そう。
一瞬、我を忘れた。
いけない。ここはシュトラール侯爵の息子らしく、きちんとした態度を取らなくては。
そうして出てきた言葉が、
「君が俺の婚約者か。シュトラール家の人間になるんだから、相応の振る舞いをしてくれ」
だった。
言った瞬間、すぐ傍らのルクレツィアが半眼になったのがわかった。
エディスの表情がみるみる険しくなっていく。
「よろしく!? ちょっと待って! あなた、私と結婚する気なの!?」
エディスの驚く声に、もしかしてエディスは婚約の事実を知らないのではと気付く。
もしかして父親の思い違いだったのでは? エディスの父親は昔の約束など忘れ、単純にシリルと同い年の娘の成長を手紙に綴っていただけなのでは。もしそうなら、自分はとんでもなく恥ずかしいことをしているのでは……。
ここで狼狽して失態をさらすようなことは、シリルにはできなかった。
「そりゃそうだろ、婚約してるんだから」
婚約をしている体裁で話を終わらせ、事実を確認するために急いで寮にとって返した。
自分の勘違いだったら、恥ずかしいどころではない。
とりあえず婚約は事実なのか、入寮日のうちに使い魔の水竜を呼び出して手紙を持たせ、実家に飛ばした。本来、使い魔は魔力で攻撃を受けた時に自分を守るために呼び出すもので、連絡手段としての使い魔は別にいるのだが、そちらを使う手続きをしている時間も惜しかった。
翌日には水竜が返事を持って戻ってきた。




