語り合う
思ったより、亜弥は面白い人間だった。あのカラオケ店で初めて出会った時は、大人しそうな、俺と同じタイプだと思っていたのに。
「零合、次はあっち行ってみようよ」
「もう動くの?休憩を知らないんだな」
「だって楽しいからね」
そう笑う彼女の目元は、小さく光の玉が見える。それは、本音から出る涙だ。それもあの時知った。そのときから、よく話すようになったのだ。お互いの悩み…俺だったら、「怒れない」こと。それを色々話していた。カラオケにいるときは、途中でお互い呼ばれて、微笑みながら部屋に戻ったんだけど。
俺より彼女の方が、生活が面倒そうだと思った。本音が言えたら涙が出るなんて、心を見透かされるようなものだ。でも、逆で考える人もいるのだろう。本音で言えないから、涙が出る、みたいな。俺も最初はそう思った。でもあのとき、俺の気持ちが分かると言ってくれた彼女の涙は、嘘とは思えなかった。だから俺は、そのとき彼女のことをようやく理解した。
「亜弥」
「ん?」
「楽しい?」
「楽しいよ、色んなお店あるもんね。流石商店街」
でも、俺にはどうしてもやってしまう癖があった。この先も治らないであろう、癖。
「…本当は?」
「…んー、もうちょっと、あそこ周りたかった」
「じゃあ行こう。時間はいくらでもある」
「よっしゃ」
彼女の目元を見ることだった。今、彼女の目元は何もなっていなかった。ただ、俺のためにメイクしてきてくれたのか、アイシャドウのラメがキラリと見えただけ。でも、指をさして、もっと行きたかった場所を言うと、彼女の目にじわりと水玉が浮かんだ。
彼女の本心を、目元を見ないで知りたい。けれど、上手くいかない。これまでも何度も空振りをしてきた。空振りを続けて、もうあの日から三カ月ほどだろうか。すっかり秋の風が俺たちを仰ぐ。
「零合ってさ」
「なんだ?」
「許してるの?単純に、気付いていないの?」
急にそんな話題を投げられて、キャッチできるわけなかった。バレーで相手のサーブを横目で見るかのように、首を傾げる。アウトだ。
「今日私が、わざと振り回していることに」
言葉の意味を理解したとき、もっと首が曲がった。眉もついでに顰められていく。
「わざと?」
「うん。確かに零合の前ではいつもの自分じゃないかもしれないけど」
「うん」
「今日はいつも以上に振り回してるよ。だってさっきまであそこにいたのに、もうここにいる」
彼女はさっきまでいた、洋菓子店を指さした。商店街の奥の方だ。でも、今はその反対側の服屋に俺らは立っている。全然意識していなかった。許している、気付いていない…怒らない。どれも、違った。
「…怒る理由、ないし」
「そうなの?」
「だって、亜弥が行きたいって言ったし。俺はそれに【応えたい】って思った。許しとか、気付いていないとか、ましてや怒るとか、そういうのじゃない」
「…そっか」
彼女はそれだけ言うと、また俺に背を向けて歩き出した。目的地はもう少し先の雑貨屋。でも、何かが彼女の中で整理できたのだろう。先程よりも、足取りは軽く見えた。
俺は、許しが先に出る人間。友達が、行き過ぎた馬鹿をやっても注意できないし、弟が怒られることをしていても、許しが出る。相手のことを、どうでもいいと思っているわけではない。友達も、弟も大事だ。けれど、頭は反するものだった。
関係が壊れるのが怖かった。俺は、自分が怒れない理由を、それだと思っている。怒ったら、ノリが悪いと言われると思って。怒ったら、心が狭いと言われると思って。俺はずっとそんな調子で生きてきた。それが、一番最適解だと思って。
「零合!前見て!」
ふとした亜弥の声で、俺はハッと顔を上げた。前から男が突っ込んできて。俺は正面からぶつかった。でも、相手はよろけなくて。俺は亜弥にカバンを投げて、男を追いかけた。
「亜弥、ちょっと近くのお店入っとけ!」
許しなんか出るわけない。男の持っているカバンは、明らかに男の趣味じゃなさそうだ。明らかに、価値を目当てにして盗んだものだろう。そんなことを考えながら、走って走って、やっと追いついた。
「おい、それ返せ」
「な、なんだよ、ナヨナヨした奴だと思えば__」
「返せ」
俺はカバンを取り上げた。男は唖然とする。もう、周りのことを考えていられなかった。カバンを抱き抱えたまま、俺は店への道を歩く。過ぎ行く人々の視線が怖い。なんだか、皆潤んでいて、まるで、俺を怖がっているようだった。
「零合…零合?」
「…あぁ、亜弥。ごめん、走り出して」
俺は店員にカバンを返してから、亜弥の隣に着いた。亜弥は何だか言いにくそうに俯いていたかと思えば、人気のない公園まで歩いてくると、顔を上げた。
「零合が怒れてよかった」
「…え?」
「もしあんな強盗まで許しちゃったら、どうしようかと思ったよ」
彼女はハンカチを片手に笑っていた。あぁ、彼女なりの、俺に対する試練だったのか。流石に怒らない理由がない。怒る理由しか見当たらなかった。俺は亜弥に寄り掛かって、一息ついた。
「初めて見たけど、意外と怖いんだね」
「何が?」
「零合が怒った顔。なんか、新鮮だったな」
そう涙を浮かべながら笑う彼女に、俺は心臓が変な動きをした。変なこと言うな、そう言って、怒ってやりたかった。けれど、俺から出たのは。
「…あまり、怒らせるなよ」
本心からの、許しと愛おしさの混ざった言葉と微笑みだった。




