出会う
つまらない学校生活を過ごしていた。毎日好きでも、嫌いでもない先生の話を聞いて、ノートを書いて、たまには机に突っ伏してみたりして、少し怒られたりして。でも、周りが騒がしくて退屈していなかった。友人は決まって、陽キャという分類。なぜ私に関わろうとするのか不思議だったけれど、いつしか考えるのをやめていた。
「亜弥、今日放課後カラオケ行くんだけど、来る?」
でた、この急な誘い。行く気は正直ない。明日は確か小テストがあるし、とりあえず予習ぐらいしておきたいものだ。けれど、誘いを断って、なんて思われるかも不安だ。
「うん、行こうかな」
「よっしゃ、じゃあ現地集合ね!後でマップ送っておくからねー!」
嵐のようだ人だ。比喩ではなく、本当にそう思ったりする。私は次の授業準備をして、教室を出た。移動教室はなんだか特別な気もする。教室ではない、でも行った場所も、広いだけで、やっぱり教室って感じがする。前に友人、利殊にそんな話をしたけれど、頭を傾げるだけで共感は得られなかった。
席に着いてから、先生を待つ時間は暇だ。利殊は他の友人がいるし、席の周りには特別仲良い人もいない。静寂に包まれている私の席の周りは、私が椅子を微かに軋ませる音のみが響く。
そんな音をかき消すように、チャイムが鳴った。席の真上の出っ張った壁にスピーカーがついているので、なんとなく毎度驚いてしまう。私は驚いてから五十分、特に変わったことは無かった。
またチャイムが鳴る。二度目は驚かない。周りの人たちは、もう終礼だと騒いでいる。そうだな、それが終わったら、私はカラオケに行かないといけない。その前に、学校を出たらスマホで場所を確認する。頭の中でシミュレーションをしている間に、教室に戻ってきていた。
席に座って、先生の連絡を聞く。姿勢、礼の声が聞こえたら、もう全員が自分の世界に帰る。さようならも間もなく教室から去る者もいれば、残って喋り続けるものもいる。とりあえず、私は学校から出る。スマホを見るためだ。
裏門を出てから、すぐにスマホの電源を付けた。一度付けっぱなしにしていて、クラスの中で犯人探しが始まったのは今でも覚えている。結局、私のではなかったけど。利殊から送られてきたマップに目を通した。幸い、バスでいつも通る道だった。三つほど前のバス停で降りるだけだった。
「…疲れた」
きっと、バス停にいる人々が、こんなに疲弊した私が、今からカラオケに行くなんて思っていないだろう。私だって思っていなかった。
しばらくしてバスが到着する。下校の生徒で多くなるので座れるはずもなく、私は出口側に立った。スマホは見ない。落としたら怖いし、面倒だし、目立つから。どんどん景色が移り変わっていくのを見ながら、バスの中の会話を盗み聞きする。恋人がどうだとか、テストがどうだとか、今日の嬉しいことだとか。別に聞いても飽きは来ない。目まぐるしく変わる話題は、尽きないものだ。
しばらくしてから目的のバス停に着いた。カードをタッチして、すとっ、と少し軽快に降りる。かっこつけたわけでもなく、長らくバス通学なので体がリズムを覚えてしまった。私は歩きながら、音楽を聴いていた。ロックもバラードも、ポップスも洋楽も、平均的に聴く。好みはかなりバラバラだ。
目的地が近付くたびに、声が聞こえてくる。何人いるのだろうか、とその場所に歩み寄ろうとしたとき、思わず足が止まった。皆が集まっている、ちょっと離れた場所。一人の男子が佇んでいて。同じく誘われたような雰囲気だった。でも、何か言いたそうで。私が今度こそ歩き出そうとすると、近くの店の店主が私の前に、ザッと立ちはだかった。背中しか見えないけど。
「うるさい!店の前で騒ぐんじゃないよ!君たち、今度やったら学校に電話するからね!」
店主はそう言って、後ろにいた私に全く気付かずに店の中に戻っていった。すごく、不快だ。その場にいなかったから、なんとなくセーフだと思いたかった。
私はまた男子に視線を向けた。彼は何だか、「やっぱりな」と言いたそうな顔をしていた。怒ればよかったのに。
カラオケに着いて二時間半ほど。雰囲気はかなり楽しめていた。けれど、やっぱり息苦しくなって、トイレに行って来ると言って部屋を出た。向かうのは、ソファのあるドリンクバーエリア。そこに、また、彼はいた。コップを抱えたまま、顔を歪めている。
「どうしたの?」
気付けば、声をかけていた。彼は驚いて、それから口を少し動かして言った。
「君は、えっと、さっき店主さんの後ろにいた人…だよね?」
「…あ、うん。見てたんだ」
見てたんだ。それ以外の感想が、どうも出なかった。語彙力が枯渇したようだった。彼は、今は関係ないけど、と前置きして言った。
「さっき、怒られただろ、俺達。先に、怒ればよかったな、って思ってずっと考えてた」
「うん、見てたよ。君のこと、あの人怒ればよかったのに、って思ってた」
彼はより、どんよりとした顔になった。私は必死にどうしようか考えて。
「えっと、その、許しちゃう気持ちも、なんとなく分かるよ。私も、そういうときあるし…本音が言えないみたいな。怒りたいけど、みたいなときある」
そう伝えたとき、何かが頬を伝った。彼はぎょっとした顔で、私の顔にハンカチを押し当てた。私が困惑していると、彼は言った。
「本音を言うと泣いちゃうときって、あるよね」
その言葉を聞いたとき、私の側頭部が痛んだ。一瞬の激痛。でも、すぐに治まって原因が分からなかった。彼は言葉を紡ぎ続ける。
「俺はさ、なんというか。怒れないのよ。許しが先に出るみたいな…さっきの場面を思い出してくれれば、分かるでしょ?」
確かに、分かる。彼は許してしまっているようだった。しかも、困った顔はしていたが、許す、という感情が本音に見えた。彼は、怒れなかった。もう、許してしまっていたから。
「…うん」
「まぁ、そういうこと」
彼は私の目からハンカチを退かした。まだ視界が滲むが、彼の顔がよく見えた。快活そうな、少年って感じの顔。でも口調は優しい。
「俺、羽口零合。君は?」
「…能瀬亜弥」
「亜弥、この話は、俺達だけの秘密な?」
彼は私の目の前に、小指を差し出した。やっぱり、どこか子供じみている。
「…もちろん」
私は彼よりも少し細い小指を、彼のそれに絡ませた。一瞬の約束、切る約束。けれど、どこかずっと、繋がる気がしていた。




