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第三章 夜風に紛れる呼び声【前編】

 教会の扉を押す。


 


 外の光が、やわらかく差し込んだ。


 


 空を見上げると、いつの間にか日が傾いている。


 


 橙色の光が屋根をなぞり、石畳に長い影を落としていた。


(……もう夕方)


 広場の方から、穏やかな声が流れてくる。


 


 昼の賑わいはほどけ、帰り支度の足取りが増えていた。


 


 店の軒先には灯りがひとつ、またひとつと点り始める。


 風が吹く。


 


 昼よりも、少しだけ冷たい。


 そのとき、ふと気づく。


(……宿)


 立ち止まる。


(取ってない)


 胸の奥が、わずかにざわついた。


 周囲を見渡す。


 


 人々はそれぞれの“帰る場所”へ向かっている。


(……探さないと)


 シエリは歩調を上げる。


 


 来た道を戻り、広場を抜け、通りへ出る。


 夕方の街は、昼とは別の顔をしていた。


 


 店じまいの声と、これから開く店の呼び声が混ざる。


 


 荷車の軋む音。鍋をかき混ぜる音。誰かの笑い声。


 


 それらが重なって、“夜へ向かう街”の気配を作っていた。


 やがて、ギルドの近くまで戻る。


 宿らしき建物はいくつか目に入るが、どこも人の出入りが多い。


(……空いてるかな)


 小さく息を吐く。


「ねえ、冒険者さん?」


 不意に、声をかけられた。


 振り向く。


 そこにいたのは、一人の少女だった。


 


 自分より少し若そうで、目がよく動く。


 


 人懐こい笑みを浮かべて、こちらを見ている。


「もしかして、宿探してる?」


「え、あ……うん」


 頷くと、少女の顔がぱっと明るくなる。


「やっぱり!」


「うち、まだ空いてるよ!」


 ぐっと距離を詰めてくる。


「ご飯もおいしいし!」


 


「一泊50メル、夜ご飯付き!」


 言い切る声に迷いがない。


 


 慣れた客引きの口調だった。


 シエリは少しだけ通りを見渡す。


(……ちょうどいいかも)


「じゃあ、お願いしてもいい?」


「もちろん!」


 少女は勢いよく頷く。


「ついてきて!」


 くるりと背を向け、軽い足取りで歩き出す。


 


 シエリもその後を追った。


 ギルドの前を抜け、少し進む。


 


 やがて通りを外れ、裏道へ入る。


 人通りは減るが、灯りは途切れない。


 


 壁際のランプが静かに道を照らしている。


「ここだよ!」


 少女が指さす。


 そこには、小さな宿があった。


 派手さはない。


 


 けれど、窓から漏れる灯りが温かい。


 扉を開ける。


 木の香りが、ふわりと広がった。


「ただいまー!」


「お客さん連れてきたよー!」


 少女が声を上げる。


 奥から、女性が顔を出す。


「いらっしゃい」


 落ち着いた声。


 


 視線がこちらを確かめるように動く。


 少女はそのままカウンターに身を乗り出す。


「ね、今日のおすすめ魚でしょ?」


「さっき港でいいの上がってたもんね!」


 店主は苦笑する。


「はいはい、あんたはちゃんと手ぇ動かしな」


 少女は、くるっとこちらを振り返る。


「ね、絶対おいしいよ!」


「え、うん……」


 思わず頷く。


 店主がぴしゃりと言う。


「いいから行きな」


「はーい」


 少女は肩をすくめる。


 


 でも、どこか楽しそうだ。


「あとでね!」


 そう言って、ぱたぱたと奥へ消えていった。


 その背中を見送り、店主が改めてこちらを向く。


「泊まりでいいのかい?」


「はい」


「……とりあえず、二泊お願いします」


 店主は頷く。


「二泊ね、了解」


 帳面に目を落としながら、淡々と続ける。


「部屋は二階の突き当たり」


 


「食事処は、受付の右を抜けた先だよ」


「夕飯はもうすぐだから、荷物置いたら来な」


「ありがとうございます」


 そう答えた、そのとき。


 二階の方から、足音がした。


 誰かが階段を降りてくる。


 


 軽い足取り。


 


 慣れているような動き。


 シエリは、なんとなくそちらを見る。


 階段の途中で、その人物がふと足を止めた。


「……あれ」


 視線が合う。


「シエリ?」


 一瞬、胸がどきっと跳ねた。


(……ユウリ)


 さっき教会で感じたざわめきが、ふっと和らいだ気がした。


「・・・ユウリ?」


 少しだけ戸惑うように、名前がこぼれる。


 ユウリは軽く目を細め、それから笑った。


「なんだよ、こんなとこで会うとか」


「ユウリこそ」


「ここ、泊まってるの?」


「ああ」


 軽く頷く。


「飯うまいからな、ここ」


(……ほんとなんだ)


 ユウリはそのまま階段を降りきり、こちらへ歩いてくる。


「お前も?」


「うん、今来たところ」


「へえ」


 短く笑う。


「じゃあ、しばらくは顔合わせるな」


 気軽な言い方。


 


 その距離感が、ちょうどよかった。


「おや、二人は知り合いかい?」


 店主が顔を上げる。


「まあな」


 ユウリが答える。


「一緒にパーティ組んだんだ」


「へえ、そうかい」


 店主が感心したように頷く。


 そのとき、奥から声が飛んできた。


「おかみさーん!そっち手ぇ空いてるー?」


「ああ、今行くよ」


 店主はそちらへ目を向ける。


「もうすぐでご飯ができるからね」


 


「準備ができたら、席についてておくれ」


 そう言い残して、奥へと消えていく。


 店の中に、料理の匂いが広がり始めていた。


「ちょうどいいな」


 ユウリが言う。


「荷物、置いてきなよ」


「え?」


「一緒に食おう」


 


「ここで待ってる」


 さらっとした言い方。


「……うん」


 シエリは頷く。


「すぐ戻るね!」


 ユウリは軽く手を上げる。


「おう」


 シエリは階段へ向かう。


 一段ずつ上がる。


 二階の突き当たり。


 


 言われた通りの部屋の前で足を止める。


 扉を開ける。


 小さな部屋だった。


 


 簡素だが、きちんと整っている。


 


 壁に掛けられた小さな灯りが、やわらかく室内を照らしていた。


 荷物を置く。


 


 軽く息を吐く。


(……よし)


 すぐに踵を返す。


 部屋を出て、階段を降りていく。


 下から、食事の匂いと人の声が上がってきていた。


 そして――


 開いた窓から入る風が、シエリの頬をそっと撫でた。


 まるで、何かを運んでくるように。

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