第二章 風の街のにぎわいと影【後編】
防具屋を出る。
通りの音が、また戻ってくる。
人の声。荷車の音。遠くの呼び声。
その中を、シエリは歩いた。
目的はない。
ただ、もう少しこの街を知りたかった。
通りを抜ける。
やがて、視界が開けた。
広場。
中央には、大きな噴水。
水が高く吹き上がり、光を受けてきらめいている。
子供たちが、その周りを走り回る。
笑い声。
水しぶき。
それを見守る大人たち。
穏やかな時間。
(……いいな)
自然と、そう思う。
噴水の縁に手を置く。
水の音が、やわらかく耳に届く。
顔を上げる。
建物の合間から、港が見えた。
船が揺れている。
帆が風を受け、ゆっくりと動いていた。
風が吹く。
潮の気配を含んだ風。
頬をなでる。
髪を揺らす。
(……気持ちいい)
目を細める。
そのとき。
視界の端に、白い建物が映った。
高い塔。
静かな佇まい。
教会だった。
(……行ってみよう)
考えるより先に、足が動いた。
広場を抜ける。
にぎやかな空気が、ゆっくりと遠ざかる。
石畳の道。
人通りも少ない。
教会の前に立つ。
扉を押す。
きぃ、と音がして開く。
中に入る。
空気が変わる。
ひんやりとした静けさ。
外の音が、かすかに遠く聞こえる。
長い椅子が並び、奥には祭壇。
そして――
ステンドグラス。
光が差し込む。
赤、青、淡い金色。
シエリは、ゆっくりと歩く。
光の前で、足が止まる。
(……きれい)
見上げる。
そこに描かれているのは――
風に包まれた少女と、光のような存在。
「この町は、初めてですか?」
後ろから声がした。
振り向く。
白い衣の女性が、静かに立っていた。
無駄のない所作。
落ち着いた瞳が、まっすぐこちらを見ている。
「……はい」
「どうして分かったんですか?」
女性は小さく笑う。
「年の感、というものですよ」
「足取りや、見ているものの順番で分かります」
やわらかな声。
シエリは、もう一度ステンドグラスを見る。
「……この絵は?」
女性は隣に並ぶ。
「この大陸の、古いお話です」
静かに、語り始める。
「かつて、この大陸には“闇の種族”がいました」
シエリは、わずかに息を止める。
「人々は、長いあいだ戦い続けていましたが――」
「勝ち目は、ほとんどなかったのです」
「……そんなに」
思わず、声が漏れる。
「ええ」
女性は静かに頷く。
「少しずつ、追い込まれていったといわれています」
光が、わずかに揺れる。
シエリは、言葉を失う。
「そのとき、一人の少女が現れました」
自然と、顔を上げる。
「少女は――精霊の声を聞くことができた」
「精霊……」
小さく、繰り返す。
「ええ」
「精霊と語り、そして――力を借りたのです」
その言葉に、胸がわずかにざわつく。
「精霊は少女に力を貸し」
「少女は、その力で闇に立ち向かった」
「……一人で?」
「一人ではありません」
やわらかく訂正する。
「精霊と共に、です」
その言い方が、どこか印象に残る。
「激しい戦いの末――」
「闇の種族は“禁忌の森”へと沈められました」
「禁忌の森……」
「ええ」
「誰も近づかない場所です」
短い沈黙。
「今、どうなっているのかを知る者はいません」
シエリは、無意識に息を飲む。
「その後、精霊たちはこの大陸に恵みをもたらしたとされています」
「風は穏やかに流れ」
「自然は豊かに巡るようになった」
ゆっくりと、言葉が落ちてくる。
「昔は、精霊の声を聞ける者がいたといわれています」
「ですが――今は、そのような話はほとんど聞きません」
「それでも」
女性は、わずかに微笑む。
「精霊は、今もいると信じています」
「だからこそ、人々は風に感謝を捧げるのです」
静かな声。
「ですが……」
女性は、ほんのわずかに視線を落とした。
「近頃は、風の加護が――以前ほどではないと感じる方も増えています」
そこで、言葉が途切れる。
何かを確かめるように、わずかに目を細める。
すぐには続けない。
ほんの短い沈黙。
「……気のせいだと、よいのですが」
その言葉だけが、静かに残る。
教会の中は、変わらず静かだった。
(……精霊)
その言葉に、記憶が触れる。
――精霊の灯はね、世界を巡るのよ。
――それぞれの大陸を守るために。
母の声。
やさしい響き。
風に乗る、小さな光。
気づけば、口を開いていた。
「……精霊、か」
ほんの少し、間が空く。
「……私も、会ってみたいな」
小さな声。
独り言のように、静かにこぼれる。
女性は、やわらかく微笑んだ。
「きっと、風は応えてくれますよ」
シエリは、小さく頷く。
扉の前で、足を止める。
「ありがとうございました」
「ええ」
女性は、静かに一礼する。
「風の加護が、あらんことを」
その言葉が、やさしく背中に落ちる。
扉を開ける。
外の光が差し込む。
風が、頬をなでた。
広場の方から、子供たちの笑い声が聞こえる。
同じ景色。
同じ風。
それなのに。
胸の奥に、何かが残っていた。




