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第一章 風の港、はじまりの一歩【中編】

草原から街へ戻る道のりは、来た時よりも短く感じた。


身体には疲労が残っている。


それでも足は止まらない。


さっきまでの出来事が、まだ完全には現実として落ちきっていなかった。


風の音が遠ざかる。


代わりに石畳の感触が戻ってくる。


エルシートの喧騒が、少しずつ輪郭を取り戻していく。


人の声。金属音。焼けた匂い。


それらが重なりながら、さっきとは違う意味で胸に届いた。


「……帰ってきた」


自分の声に、わずかな実感が混ざっていた。


ギルドの扉を押し開ける。


変わらない熱気。


酒と鉄と革の匂い。


だが、感じ方は違う。


ただ圧倒されるだけだったさっきとは違う。


ここにいる人たちと、同じ場所に立っている。


まだ小さくても、確かに一歩踏み出した。


シエリは受付へ向かう。


「薬草、採取してきました」


袋を差し出す。


受付の女性――ミリアがそれを受け取り、中身を確かめる。


葉を一枚ずつ手に取り、状態を見ていく。


落ち着いた手つきだった。


急がず、でも迷わない。


やがて小さく頷く。


「うん、いい状態ね」


顔を上げる。


「問題ありません」


一呼吸置いてから、続けた。


「依頼完了です。お疲れさまでした」


その言葉は穏やかだった。


けれど、ただの形式ではない。


ちゃんと見た上で返されたものだと分かる。


それだけで、胸の奥が少し軽くなる。


ミリアがカードを差し出す。


「これが、あなたの冒険者カード」


受け取る。


指先に伝わる硬さ。


刻まれた名前とランク。


Fランク。


それでも、確かに自分のものだ。


「……ありがとうございます」


ミリアは軽く頷いた。


「最初の一歩としては十分よ」


少しだけ間を置く。


「最初は、みんなそんな顔するもの」


その言い方には、余裕があった。


何人も見てきた者の落ち着き。


それが自然に伝わってくる。


掲示板の前へ向かう。


人の流れは相変わらず激しい。


それでも、今は少しだけ見える。


どこに手を伸ばせばいいのか。


どう動けばいいのか。


手を伸ばす。


紙を押さえる。


目で追う。


その中で、一枚に視線が止まる。


『風の草原 一角兎の角 五本』


指先に、わずかに力が入る。


スライム一体で、あれだけ動けなかった。


それなのに五体。


やれるのか。


その考えが胸に引っかかる。


その時だった。


「それ、気になってるのか?」


声がかかる。


すぐ横。


振り向く。


金色の髪の青年。


青い瞳がこちらを見ている。


落ち着いた視線だった。


急かすでもなく、探るでもない。


ただ、見ている。


「……はい」


答えると、青年は掲示板に目を向ける。


「一角兎か」


短く言う。


「初心者だと、少し手間取る相手だな」


声に無理がない。


ただ事実を置いている。


「一人でやるつもりか?」


視線が戻る。


シエリは少し迷ってから答えた。


「……迷ってて」


青年は小さく頷く。


「だろうな」


ほんのわずかな間が空く。


それから続ける。


「俺もそれ、受けるつもりだった」


自然な流れだった。


「組むか?」


短い言葉。


押し付ける感じはない。


「俺が前に出る。無理に攻めなくていい。動ける時だけでいい」


役割がはっきりしている。


それだけで、不安が少し整理される。


「……いいんですか?」


「一人よりはやりやすいだろ」


それだけだった。


「俺はユウリ。二十歳」


「シエリです。十八歳です」


名前を交わす。


それだけで、空気が少し整う。


「で、どうする?」


問いは短い。


急かされている感じはない。


でも、待たされている感じもない。


シエリは依頼書を見る。


五体。


不安は残っている。


それでも——


一人ではない。


その事実が、背中を押した。


「お願いします」


言葉は、自然に出た。


ユウリは軽く頷いた。


「決まりだな」


二人はギルドを出る。


再び風の草原へ向かう。


さっきと同じ道。


けれど、景色は少し違って見えた。


隣に人がいる。


それだけで、空間の感じ方が変わる。


「一角兎は速いが、動きは単純だ」


歩きながらユウリが言う。


「突進をどう処理するかで大体決まる」


「ユウリは、受けるの?」


「基本はな」


短く返る。


無駄がない。


「戦い、慣れてるよね」


思ったまま口に出た。


ユウリはすぐには答えなかった。


ほんのわずかに間が空く。


風が草を揺らす音だけが、その隙間に流れる。


「……まあな」


短く返る。


それ以上は続かない。


シエリが何も言わずにいると、ユウリはほんの少しだけ視線を逸らした。


それから、ぽつりと続ける。


「家の事情で、少しな」


付け足すような言い方だった。


「……そうなんだ」

シエリはそれ以上聞かなかった。

ユウリの言葉の切れ方が、静かに線を引いていた。


風が揺れる。


草の流れが変わる。


ユウリが足を止めた。


「いるな」


しゃがむ。


シエリも続く。


草の倒れ方。


わずかな跡。


「近い」


その一言で、空気が張り詰める。


心臓が速くなる。


剣を握る。


「来るぞ」


草が揺れる。


白い影。


一角兎。


目が合う。


次の瞬間、地面を蹴る。


速い。


シエリの反応が遅れる。


その前に、ユウリが動いていた。


前に出る。


盾を構える。


衝突。


鈍い音。


完全に止めない。


流す。


角の軌道をずらす。


一角兎の体勢が崩れる。


「今!」


声。


シエリが動く。


踏み込む。


剣を振る。


当たる。


浅い。


それでも動きが止まる。


ユウリが追撃。


一角兎が光に変わる。


シエリは息を吐いた。


肺の奥に溜まっていた空気を、ゆっくり外に出す。


まだ心臓は速い。


けれど、さっきとは違う。


「……すごい」


自然に言葉が漏れた。


ユウリは短く言う。


「一体目だ」


視線はもう次を探している。


「まだ終わりじゃない」


その背中を見ながら、シエリは息を整える。


速い。


無駄がない。


迷いがない。


それでも——


「……ついていける」


小さく呟く。


怖さは消えていない。


けれど、それだけでもなかった。

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