第四話『現実逃避と代償』
突然だが、俺――ケンダルは、この世界で悠々自適な生活を送っている。
金にも時間にも困らず、やりたいことだけをやって生きていける身分だ。
……だが、暇だ。
できることは前世と大して変わらない。
家に引きこもり、飯を食って、寝るだけ。違いといえば、たまに娼館へ行くくらいのものだ。
(見た目がどれだけ変わっても……中身は変わらないんだな)
洗面所の鏡に映る自分を見る。
そこにいるのは、前世とは似ても似つかない、やや小柄な白人の少年。
けれど、その表情は――
どんどん暗く沈んでいく。
(……16歳)
前世で、俺が死んだ年齢だ。
ぞわり、と全身に寒気が走る。
思考が、軋むように歪んでいく。
このままではまずい、と本能が警鐘を鳴らした。
――なら、やることは一つ。
「現実逃避作戦だ!」
俺は勢いよく家を飛び出した。
到着したのは――勇者の英館。
勇者クラフトの伝説を祀る場所だ。
正直、この過剰な持ち上げ方はあまり好きじゃない。
だが――
俺は勇者の弟、という立場のおかげで入館料はタダ。
しかも、やたらとチヤホヤされる。
……だから、なんだかんだでちょくちょく来ている。
この館の一番の目玉は、これだ。
勇者が討伐した竜のレプリカ。
本物と見紛うほど精巧に作られており、今にも動き出しそうな迫力を放っている。
「いつ見ても……圧巻だな」
この世界における生態系の頂点――それが竜種だ。
各地において頂点捕食者として君臨し、その生物としてのポテンシャルは他種とは比較にならない。
その圧倒的な強さと恐怖ゆえに、
成体の雄竜は“竜王”と称されることが多い。
⸻
【ロックドラゴン(岩の竜)】
体長:6〜8メートル(成体)
体高:約4メートル
岩のような外皮を持つ竜種。
その防御力は極めて高く、矢や剣ではほとんど傷を与えられない。
一方で俊敏性は低く、他の竜に比べると動きは鈍重である。
竜大戦後に誕生した種であり、背には退化した翼の痕跡が残っている。
⸻
正直、こんなのを倒すなんて――
「……す」
「すごい!」
俺が口にしようとした言葉を、背後にいた少年が嬉しそうに先に発した。
思わず、振り返る。
「お兄さん、勇者様の弟さんなんだよね! やっぱり強いの?」
――純粋ゆえの、無慈悲。
心にひびが入る。
「そうだ」と言えない自分が、悔しかった。
おそらく顔に出ていたのだろう。
隣にいた母親と思しき女性が「すみません」と頭を下げ、子どもの手を引いてその場を離れていく。
この感覚……溢れ出る、身に覚えのあるものだ。
優秀な兄と比較され、褒められるのはいつも兄ばかり。
周囲との温度差に晒され続けて――
努力してもどうせ無駄だと、自暴自棄になり、
そのままズルズルと堕ちていった前世。
……結局、俺は異世界に来ても――
「クソが!」
やり場のない感情が溢れ、俺は理性を手放した。
レプリカの周囲を囲っていた木製の柵。
その一部を力任せに引きちぎり、投げつける。
放たれた破片は、頭上に飾られていたシャンデリアへ直撃した。
――次の瞬間。
シャンデリアが落下し、レプリカへと激突。
砕けた破片が、周囲へと盛大に飛び散った。
つまり――大惨事である。
館内は騒然となり、客たちが慌てふためく。
……だが、一番焦っているのは俺だ。
「あぁ〜! やべぇ!!!」
怪我人は出なかったが、英館はしばらく休館することになった。
精巧なレプリカは、修復にせよ新造にせよ、かなりの時間がかかるらしい。
そして――俺はまた、兄にぶん殴られた。
「うぅ、すまねぇ……兄ちゃ……」
「もういい。……やめろ」
鼻血を垂らしながら、必死に謝ろうとしたが、途中で遮られる。
「お前の謝罪に意味がないことは、嫌というほど思い知らされたからな。
実の弟だし、才能もあるからと許してきたが――もう愛想が尽きた」
そう言って、兄は一枚の紙を差し出した。
それを受け取りながら、俺は間の抜けた声を漏らす。
「うぇ……?」
内容を理解するより先に、嫌な予感だけが胸を締めつけた。
「――お前には、この国を出ていってもらう」




