10話 危ない賭けだったぜ
森の結構奥の方から聞こえた感じがしたが、気のせいじゃない、よな?
「────グオオオオォォォォォォォン!!」
聞き覚えのある叫び声が鼓膜を振動させ、心を揺さぶる。
トロールだ!
「いや、いやあああぁぁぁぁぁっ!!」
視界の中心で、女の子がトロールに追われている。
人を喰らう化け物の顔がそこにある。
脳裏に焼き付いて離れなかったあの顔だ。
不気味に嗤い、俺をぐちゃぐちゃに潰して食べようとしたあの顔だ。
(怖いか?)・・・そりゃそうだろう。
(逃げたいか?)・・・もちろんだ。
だが───
「──足は動く!!」
俺は剣を構え、一気にスピードを上げる。
トロールは膝をついた女の子を見下ろしてはまた嗤い、舌なめずりしたその口から消化液をダラダラ垂れ流している。その醜悪さからくる、圧倒的な恐怖。俺もあの子も、それに憑りつかれているのだ。だからこそ今、俺は自分のためにも、心に渦巻く途方もない恐れを抑え込まなければならない。
(間に合え!間に合え!!!)
異形のそれは木の幹を振り上げ───
「間に合えええぇぇぇぇ!!!」
──俺を視界に納めて腕を止める!身動きが取れない獲物と迫りくる敵、殺す優先順位が高いのは・・・俺だ!!
「よく見ろ、馬鹿野郎!!」
振り上げられた木の幹は、標的を俺に変える。あの巨木に潰されそうになった俺は、最近になってようやく、自分は心身ともに貧弱であることを知った。
死ぬ前の景色が蘇る。学校に侵入した不審者を倒せると油断した結果、俺は相手の攻撃を見ていなかった。自分が油断しやすいことを再び実感して、悔しさが身を包んだ。
しっかり見ろ俺、すくいあげるような横振りだ・・・!跳ぶタイミングは・・・ここっ!
トロールが木の幹を振り始めると同時に跳び上がる。
森での記憶が蘇る。相手の攻撃を避けられて自惚れた結果、相手の実力を見誤った。その時の俺は自惚れやすいことを再確認するほかなかく、あるのはやるせなさだけだった。
相手だって力を持っているというわけだ。俺は奴の木の幹を剣で受け、勢いを利用して跳躍する!!
「──グオオオォォォアア!!」
剣を振りぬいた彼女の姿が、鮮明に蘇る。俺はそのあたりでようやく、自分は一人では生きていけない奴だと、人を助けることは難しく、それでいて美しいことだと、ようやく分かった。
・・・だからこそ俺は、強くなりたいと願う。
ラウラみたいに!!───
トロールの首元で感覚を研ぎすませ、回転する体を利用しつつ、剣を振りぬく!
「──これが、今の俺だ・・・!!」
─────────!!
その瞬間、剣は閃光を放ち、そのまま流れるように肉塊を断つ。
極光の世界と化した森から弾かれるように、宙を舞うトロールの首は光の中に消えた。
「・・・ようやく・・・・・・勝った。」
遂に俺は恐怖の根源を絶ち切り、己で剣を振るえるようになったようだ。様々な感情がこみ上げるが、今は震える女の子を安心させるのが最優先だろう。
原因を絶っても、残留する恐怖は心を蝕むから。
「間に合ってよかった。君、怪我はない?」
この一言でどれだけ心が軽くなるかを、俺は知っている。
「だ、大丈夫、です。・・・あ、あの!───」
「礼ならいらないよ。むしろ、俺が言いたいくらいだ。それより、手、握ってもいいかな。一人でこの森出るの、ちょっと怖いし。」
握った彼女の手はひどく冷たく、小刻みに震えていた。その姿は否応なく過去の自分と重なり、勝手に感情移入してしまったが、今の俺は彼女の救世主であるべきなんだ。素でやってのけるラウラには敵わないから、俺は懸命に言葉を探した。
「すぐ暖を取ろう。歩ける?」
「あれ。あ、腰抜けちゃって、歩けないっス。」
痛々しく笑う彼女に胸が締まる。一刻も早くこの森を出て、心身を癒してやらなければ。
「じゃあ、おぶってくから、乗ってくれるか?こんな奴の背中嫌だろうけど、そこは我慢してくれ。」
彼女を背負って草原に向かっているのだが───
──ドキドキしてんじゃあないぞ俺。そんな場合じゃないだろう。手を握って顔を見た時からすごく可愛い子だとは思っていたが、たまにキュッとブレザーの襟を握る白く小さな手や、肩にかかる明るい金髪の破壊力がここまですさまじいとは思わなかった。髪の長さはラウラと同じくらいだろうか。ふわっとした金髪からふわっと香るいい匂いに動揺が隠せない。彼女の不安をぬぐい去ることに集中しなければ・・・
「俺も九ヶ月くらい前、トロールに襲われたんだ。それで、ある女の子に助けられた。その子すごい強くってさ、真似しようとしたけど、全然強くなれなくて。剣を振ることすら出来なかったんだぜ?笑っちゃうだろ。」
「で、でもさっきは、えと、あなた?お兄さん?あ、先輩。先輩剣振ってたような・・・それに、目とか凄い光ってたし・・・」
先輩。趣深い響きだ。俺には縦の繋がりがなかったから、一度も呼ばれたことがなかったが、いいものだな。
「実は、剣が振れたのはさっきが初めてなんだよな。最悪相打ちになっても刺し殺せればラッキー程度の感覚だったから、ほんと良かったよ。あの光については、俺も何が何だか・・・・・・っと、出口だ。」
森を抜けてすぐに火をたき、暖を取る。
「ここに座っててくれ。・・・結構冷えるな。」
城下町で購入したコートを彼女に羽織らせると、綺麗なシアンブルーの瞳が輝いて揺れた。俺は反射的に彼女の頭に手を乗せ、クシャクシャとその髪をなでた。
「男の俺も腰抜かしたのに、よく頑張ったな。もう、ほんとに大丈夫だ。」
「・・・・・・うん。・・・」
そう一言返した彼女は、しばらく口をつぐんで静かに泣いた。徐々に元気を取り戻していったのは嬉しかったが。泣いている彼女が物凄く綺麗で尊いと思った俺は、趣味が悪いだろうか。まあなにはともあれ、
良かった。拒絶されなくて。
汚い!とか言ってはたかれたら、絶対立ち直れなかったと思う。・・・ほんと、危ない賭けだったぜ。
「あ、自己紹介してなかった。俺はシオト=カザマ、五月で十八になる。君の名前も聞いていいか?」
「自分はアリス=スプリング。十六っス。魔導士ギルドから抜け出してきて森をさまよっていたら、マナ切れしちゃいまして。」───
──魔導士ギルドを出た理由は話さなかったが、たくさん話をした。基本「○○っス」というしゃべり方のアリスは、元気で優しく話していて楽しい。
魔導士ギルドは魔導士の精鋭が集まるコミュニティで、マナは精霊に干渉するためのエネルギーだ。彼女は腕の立つ魔導士なんだろうが、それでもこの森を抜けるのは危なかったらしい。
というか、また家出娘でございますか。しかも行く当ても通行証もないときた。
ラウラにお願いして何とかしてもらおうにも、最近はラウラが外に出ているところを見ない。練習台が増えたと思って全然苦には感じないが、増え続ける魔物の数を減らすのは俺の役割になっているのだ。
門番にお願いすると、君と一緒に暮らせばいいと言って突っ撥ねられた。
まあ、仕方ないか。
「悪いアリス。ここで暮らすしかないみたいだ。俺のキャンプ道具をあげるから、それで我慢してくれ。食料が足りなくなったら俺を探して───」
「嫌っス。先輩と一緒がいいっス。」
多分俺の生活を気遣ってくれているんだろう。なんていい子なんだ。かわいい子はいい子って決まりがあるのか、この世界。
「気遣ってくれてありがとうな。ぶっちゃけキャンプ道具ないとかなりきついから、まじ助かる。俺も早く王様倒すために剣の腕を鍛えるから、それまで辛抱してくれよ。」
「先輩。ずっと気になってたんスけど。」
「なに、どしたの。」
「先輩、『魔導士適性』っスよ。」
「え?」
「先輩の適性職は魔導士で、それ以外の職業にはなれないはずだったんス。この国は剣士適性しか生まれないので、あんまりそこんとこ言われないっスけど、基本適性職の武器以外は精霊が嫌がって全く使えないっス。」
「え、ええええええええええええええええ!!??」
この町に武器屋が少なかったのも、俺に剣が使えないのも、そういう事情だったのか。
星空がニヤニヤしながらこちらを見ていると思ったのは、当然その時が初めてだった。
ルーンカレンダーは、その日の日付の場所が光るので、日付が一目瞭然だ。予定を入力しておくと、赤く光って教えてくれる。
アリスの誕生日の一月一日とラウラの誕生日の三月三日には、意味もなく印をつけておいた。




