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ヘブンズ・ゲート  作者: 西木宗
黒の雷編
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ライニッツVS覇王



夕闇にポツンと浮かぶ黒い人影はライニッツに名を呼ばれると肩を竦め、直後、それまでなかった重力が突然働いたかの如く地面に急降下した。



音もなく着地した人影にこの場全員の視線が集まる。



「こいつが覇王……」



意外と言えば意外。ディランがイメージしていた筋肉が服の内から膨れ上がったような剛腕のイメージとは、全く対極的な姿をしていた。



一切の曇りがない明るい黒の瞳に、何の特徴もなく、前髪は眉にかかる程度で耳を出した堅めの黒髪。



おまけに羽織っているものが黒い薄手のコートというだけあって、前の闇属性狩り達を思い出される。



少なくともかなりの年上ということは確かなはずだが、細身の手足に子供のような綺麗な肌。



一言で言うと、ハンサムなお兄さんだった。



「おいメリー、何ボーッとしてんだよ」



「えっ!? べ、別に見とれてなんかいないわよ」



現に緊迫感が薄れている者だっている。それほどこの覇王からはどこか落ち着いてしまう──安らぎの雰囲気が漂っていた。 




「何か想像と違うっていうか……」



「名前の割には覇気がほとんど感じとれん」



「本当に親玉なのか?」



終始、訝る視線を覇王に向けているゼロ、ゼオン、ヴァンがそのような印象を持ってしまうのは仕方のないことだった。



限りなく無に等しい敵意に、明らか親しい者にしか見せないであろう緩んだ頬。



「どうやら二人が世話になったようだな」



元々の声が高かったのだろうか。聞く者に少しの不快感も与えないよく通った声音。



覇王が軽く手招きすると、リュウとウラヌスが覇王の両脇に立った。



「久々のライニッツさんの個人レッスンは楽しかったか?」



「変なこと言わないで下さいよ、まだ僕たちの力では及ばないって知ってるでしょ?」



「でも本当に助かりました……」



「俺は当然のことをしただけだ」



この三人のやりとりを見ていて、益々ディランの脳は混乱していた。




──この真ん中にいるのが覇王。


リュウとウラヌスが敬語を使ってライニッツさんもそう呼んだから間違いねえはずだ。


けどこれは主人と家来の関係ではなく、どっちかと言うと先輩後輩みたいだ。 




今目の前にいるのが、学園に入学してから散々自分達を苦しめてきた元凶だということは理解している。



この男のせいで大切な友人──サウスの精神もズタズタに引き裂かれた。



それらは全て、頭の中では分かっていることだった。



ディラン以外の者も皆同じことを心の中では思っている。



人として越えてはいけないラインをこの覇王と部下達は易々と渡ってきた。



「お前ら、気は抜くなよ」



やはりここ一番で情に流されず、的確な判断を下せるのはゼオンである。



なぜディラン達は覇王に対してそれほど怒りが湧いてこず、感傷的にならないのか。



答えは簡単。



覇王が覇王に見えないからだ。



これは心理的な問題で、悪の根元とも言える覇王が実際は顔のいい安らぎを与えてくれる男だった。



そんな人を──まるで戦いに素人、または丸腰の者を襲うのと同じ感覚に彼らは苛まれていた。



戦うことだけが生きがいのヴァンにとっては、ガッカリ以外の何物でもなかっただろう。



興味が失せたというべきなのか、このまま帰ろうとしても気にもとめない勢いだ。



「なあゼオン、お前はあの覇王ってやつ相手に全力出せるか?」



「どういう意味だ」



「オレには覇王が全然強そうに見えねーんだよ、それだったらリュウのやろうと続きをしたいぜ」



「わざと振る舞っているだけかもしれないだろ」



ゼオンとヴァンの会話はちゃんと覇王にも届いていたが、当の本人は作り笑いのような微笑を浮かべているだけ。




「──皆さん、人を見かけだけで判断してはいけませんよ」




それまで押し黙っていたライニッツが強い口調でそう言う。



覇王とは正反対の危機迫るような顔をして、いう何が起きてもいいように神経を尖らせている。



「そんなにピリピリするなよ、俺は別にお前達と戦いに来たわけではない。──一つだけ伝えたいことがあったんだ」



「伝えたいこと……?」



「ああ、今回のところは帰るが……二週間後あの場所で全てを終わらせよう──と、エフのやつによろしく言っといてくれ」



覇王はそれだけを言い残すと、挨拶のつもりか右手を顔の前まで上げてリュウとウラヌスを引き連れ立ち去ろうとする。




「一体何の話をしてるんだ?」


「さあ……」



知らないうちにどんどん事が進んでいき、互いに首を傾げ合うディランとメリー。



とりあえずは助かったんだと、ゼロはホッとした表情で胸を撫で下ろし、ゼオンとヴァンも覇王を含む敵三人の帰還に手出ししようとしなかった。






──これこそが、感覚が狂わされたというのだろう。


なぜ何も感じない。


今ディラン達がやろうとしていることは、目の前にいる敵の大将を何もせずに見過ごすことである。






「だからあなた達を彼と接触させたくなかったのです」






怒鳴ってカツをいれる代わりに、ライニッツから莫大な量の光のオーラが溢れだしてきた。



「このまま私が何もせずにじっとしているとでも思っているのですか、ユークさん?」



両手を合わせたライニッツは完全に戦闘モードに入った。



触れ合った掌が離れる時、全ては光に埋め尽くされる。






【九成宮醴泉銘】









覇王だけでなく近くにいた者全てを巻き込んだ、ライニッツが作り出した光の疑似空間。



異端者はもちろん覇王、リュウ、ウラヌスの三人。



「この中に入るのもあの日以来か」



覇王は射し込んでくる目映い閃光に目を細めながら、辺りを見回す。



しばしの間一人でぶつぶつと昔話に花を咲かせていたのは単に図太いだけではない。



あの日以来ということは、覇王はこの技の能力を知っているということになる。



言うまでもなく、己が異端者だということも。



だがこの空間をてっとり早く破壊する手段はある。



現にさっきやってのけた──ということにディラン達はようやく気づいた。



「来ますか……」



いよいよライニッツからも小さな殺気が徐々に膨らみ始める。その顔にいつもの穏やかさはどこにも残っていない。





「何だこの嫌な感じは……」



「さっきと雰囲気が違いすぎる」



ライニッツの指示を待たずして、ディランとゼオンはぎりぎりまで後ろに下がるよう他の者に促した。






「なあライニッツ……お前が、いやお前らが一度でも俺に勝ったことがあったか?」






覇王が静かに息を吐いた。



──瞬間、空気が変わる。



構えるライニッツを余所に、覇王は落ち着いた様子で右手だけをゆっくりと上げ──



【夜の鎮散】



──あの技は!



見覚えのある輝きに、ディランが心の中で大きく叫んだ。



他にもゼロとメリー、そしてゼオンが驚愕の表情を浮かべている。



蒼術を無効化する空間内で、更に蒼術を無効化する技での応戦。



歪み合った能力同士の激突──結果がどうなるかなど、覇王の技が発動した時点で決まっていた。



「あなた達が以前戦った闇属性狩りの技はすべて、元は覇王の技なのです」



ライニッツのため息が入り混じった解説が終わった頃には、【九成宮醴泉銘】で作り出した疑似空間は跡形もなく消滅していた。



「ここで俺を止めたければ、殺す気でこないと勝ち目はないぞ」



息一つ乱していない覇王は涼しげにライニッツを見据えていた。




たった一度の攻防。



ライニッツの技を覇王が破った。



たったそれだけなのに──この二人の実力の違いはこの場にいる誰もが容易に感じ取ることができた。



「私だって少なくともあの時よりは強くなってますよ……!」



【光速移動】



地面を一蹴りで覇王の懐に潜り込んだライニッツが、拳を強く握って後ろに引いた。



そしてようやく覇王が方眉をピクリと動かしてライニッツの接近に気づく。



「相変わらずスピードだけは冗談にならない速さだな」



淡々としながらライニッツと正面から目を合わせ、そのままひょいと上に跳んでかわした。しかも両手にはそれぞれリュウとウラヌスを抱えている。



──そんな馬鹿な……。



手の甲が覇王の漆黒のコートに触れる直前で、攻撃の的が消失する。



完全に捉えたかと思われた一撃。瞬発力がどうこうの問題ではない。



「──っ」



ライニッツは歯を軋ませると、今度は覇王の背後に移動した。




しかし──それも覇王の方が速かった。



「全く、一度死んだ人間相手に無様だなライニッツ。 二週間後ちゃんと全員連れて来いよ。そこの子供達はきちんといただく」



覇王とライニッツを隔てるようにして黒い闇の渦が出現する。




【闇極穴】




「──じゃあな」






「ユークさん! 待っ──」






ライニッツが何かを求めるような手つきで腕を伸ばす。



その手に収まったのは、実体のない空気だけだった

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