圧倒
なぜか師匠であり、父親代りともいえるライニッツ本人の声が聞こえた気がしたが、例え空耳であってもゼロにとっては、それだけで十分だったーーのだが。
「貴様……なぜここにいる」
ジリッと小さく後退する砂利の音が耳を伝う。
「大切な教え子を助けるのに理由などいるのですか?」
「俺が訊いているのはそういうことではない……!」
今度ははっきりと聞こえた。
これで突然焦りだしたユーリッドの説明もつく。
「全く、おとなしく村で寝ているかと思いきや……とんでもない無茶をしましたね。それでも今は状況が状況なので何も言いませんが、帰ったらキツいお仕置きが待っていると思っていて下さい」
ゼロはてっきりライニッツが心配して駆け寄ってきてくれるかと思っていたが、全くの正反対だった。
いつもより冷たい口調で、力が籠められている。
しかし燃えたぎるような激しい怒気を帯びたその瞳の先にあるのはーーユーリッドだ。
「ろくでもない弟子を持つと苦労するな……」
「はい、ですがあなたはゼロ以上に、私を怒らせましたーー」
ユーリッドは一度ライニッツの強さを直接肌で感じているのだが、不思議とやられる気はあまりしなかった。
頭の中が空っぽになり時折視界がブレるが、その分体内から力が沸き上がってくる。
「貴様がどうしてここに来れたのかなど、もうどうだっていい。今の俺は相手が誰であろうと負ける気はしないからな」
「……あなた、そんなにお喋りでしたってけ?」
「貴様に馴れ馴れしい質問をされる筋合いはない」
「言われてみればそうですね」
相変わらず余裕たっぷりのライニッツは、輝きを放って白みを帯びているユーリッドのイヤリングを見ると、途端に顔つきが険しくなった。
「そのイヤリング、今すぐに外して下さい」
「なぜ?」
「それはあなたが……いや、人が扱うべきものではないからです」
「知った風な口を……」
首を竦めて軽く横に振るユーリッドに「知っていますよ……」と、ライニッツ心の中で静かに反論した。
ライニッツの持つ情報と、さっきパーカーの男が言っていたことを合わせると、ユーリッドはもうかなりの段階まで、イヤリングの力に飲み込まれていた。
今もこうして会話の最中にも関わらず、ユーリッドの身体からは蛇口から溢れ出すように深い闇のオーラが大量に漂っている。
時間が残されていなかった。ゼロにしても、ユーリッドにしても。
「悪いですが、少し全力を出させていただきますよ」
【光速移動】
「チッ……いきなりか」
決して増幅した己の力に溺れていたわけではないが、やはりこの男は別だった。
目で追える追えないの問題ではない。
何の前振りもなく消えるのだ。そしてそれは突如姿を現す。
元からかわすことは諦めていたユーリッドは、可能な限り闇のオーラを身の回りに集めて囲い、盾を作る。
仮に目で捉えることができたとしても、先ほどのゼロ同様、手足の反応はどうしても鈍くなってしまう。
そのコンマ0,何秒かの時間を補うために自らの視界を殆ど閉ざすまでオーラを集約させたのだが、
「光速移動だけが、私の使う技ではありませんよ」
ユーリッドは知っていた。この金属を擦り合わせるような不快な音の正体を。
音の発生源は真正面からだった。
空気が、空間が、大地が、振動するーー。
光音波
「がっ…………」
何かがすり減るような音が犇めく中、ユーリッドの五体は遙か後方へと吹き飛ばされた。
今の一撃で随分と地面が歪な形に変わってしまった。
ユーリッドが立っていた足下は隕石が落ちたかのように、ぽっかりとひびの入った裂け目が広がっている。
「さすがに死んではいないでしょう」
ライニッツとしてはかなりの手加減をしたつもりだったが、至近距離ということもあって喰らった本人は案の定、傷を負った類のもので済まされていなかった。
「ハアー、ハアー、ハアー………、でたらめすぎる……」
「まだ意識がありますか」
ライニッツは驚くのではなく、やや怪訝そうに目を細める。それはユーリッド本人の力で意識を保っているわけではないと知っていたからだ。
本来ならスリーブ状態に入るべき身体に無理やり鞭を打っているようなものだ。
故に、崖に衝突して強制的に停止した反動で、背骨とあばらが数本、そして両肩の骨は無惨にも砕けてしまったにも関わらず会話ができてしまう。
唯一まともに動かせるのは最早両足のみ。幸い折れた骨が肺などの内蔵に突き刺さってはおらず、治療さえすれば何とかなりそうだ。
ダラリと垂れ下がった両腕。もう腕を使った技が出せないのはもちろんのこと、降りかかった崖の細かい石や砂粒さえ払い落とせない。
「分かりましたか? これがあなたと私の実力の違いです。理解したなら負けを認めなさい。今ならまだ、その怪我も間に合いますよ」
ライニッツの最後の一言で、色を失いかけていたユーリッドの瞳が僅かに揺らいだ。
これは生きるか死ぬかを問われているのと同じだ。ここでもし降参すればライニッツは本当に怪我の治療をしてくれるであろう。
だがしかし……。
「俺は…………」
ユーリッドが何かを言いかけたその瞬間ーー
高温の熱を宿した爆風が荒波のように二人に押し寄せ、一気に通過していった。
「どうやらメリーさんの所には彼が行ったようですね……」
ライニッツがその方向に目をやりながら独りでに納得をする。
次に視線をユーリッドに戻すと、
「今のはゼロ達の仲間のものですよ。ゼオン・アルバート。知っているでしょう?」
その名を耳にしたユーリッドの呼吸が一瞬止まった。
今回の計画を実行するに中って、念入りに言われてきたことは、注意すべき二人の人物について。
ライニッツの言い方からして、そのうちの一人がコフかレイミンの元に駆けつけたと推測できる。どう足掻いても勝てる相手ではない。
そしてライニッツがここにいるということは、もう一人の要注意人物もどちらかの所にいるとい考えるのが妥当だ。
「ここまで……か」
ユーリッドは唇を噛みしめながら両膝をついた。
「力を求めることは悪いことではありません。けれでもそれはあなた、あなた達本来の力ではないでしょう。強くなりたいのなら努力しなさい、そして欲しいものは自分で手にいれなさい」
「ーーーーっ!」
ライニッツの言葉にユーリッドは何も答えなかったーーのではなくあまりにもライニッツの鬼気迫る語気に圧倒されて口が開かなかったのだ。
それは自分にではなく、ここにはいないまるで別の誰かに対して言っているーーとユーリッドは感じた。
が、ライニッツがそんな素振りを見せたのも一瞬のことで、
「ではそのままじっとしていて下さい」
ライニッツが人差し指をユーリッドに向ける。一筋の光線が二度瞬くと、パリンッという音と同時にイヤリングの水晶が弾けた。
ユーリッドが少し心もとなさそうにその残骸を見つめていると、
「約束通りあなたの傷を治しましょう。それと色々訊きたいこともありますしね」
ゼロを肩に乗っけたライニッツが言い終わると、問答無用でユーリッドも同じくもう片方に乗せる。
「おい……俺は全身の骨が粉々……」
と言うユーリッドの言葉に耳を貸さず、ライニッツはある一点を見つめていた。
ーーメリーさんの所は終わったようですね。後はあの子だけですが……まあ、もう一度彼にお任せしましょう。
ゼオンに決して届かない願いをこめながら、ライニッツはルーブ村へと帰還した。




