4話
「のぶちゃん、あっちの角! 湿気が強いわ、絶対大きいのが潜んでる!」
「任せなさいシズエさん! 予洗いは済んでるわよ!」
「黄昏の生活領域」第1層の深部。薄紫色の結晶が怪しく光る通路で、佐藤シズエ(65歳)と田中のぶ子(67歳)の主婦コンビは、獲物を狙うハンターの目をしていた。
ふたりの目当てはただ一つ――先ほどシズエが引き当てた『濃縮プレミアム極上出汁』だ。
「あの濃厚な香り……一度嗅いじゃったら、普通の出汁じゃ満足できない体にされちゃったわよ」
のぶ子はステンレス製トングをカチカチと打ち鳴らし、鼻息を荒くする。
「わかるわ。あれで煮込んだおでんの大根なんて、想像しただけで喉が鳴るものね」
シズエもペティナイフを構え直し、鋭い視線を奥へと向けた。
ふたりが目指すのは、水気が多く、より強力なスライムが蠢く「湿地エリア」。普通の中級冒険者なら足元を取られて苦戦する場所だが、長年濡れたお風呂場の掃除や雨の日の買い出しで鍛えられたふたりにとって、足場の悪さなど痛くも痒くもない。
「あら、来たわよ!」
のぶ子の声と同時に、路地の奥から「ドスドス」と重い足音が響いた。
現れたのは、通常のスライムの4倍はあろうかという、超巨大な濃緑色のスライム――『キングスライム(生活仕様)』だ。
巨体を揺らし、天井に届かんばかりの圧迫感で立ちふさがるその姿に、普通の冒険者なら足がすくむところだろう。
しかし、シズエとのぶ子の第一声は違った。
「「大きい……! 一体何人分の出汁が取れるの!?」」
ふたりの目が一瞬でドル箱を見るような輝きに変わる。
キングスライムは不快な音を立てて波打ち、二人まとめて押し潰そうと、その巨大な質量を天高く跳ね上げた。影がふたりを覆い尽くす。
「シズエさん、左へ回避! お布団を干す時の要領よ!」
「了解! のぶちゃんは右から回り込んで!」
ふたりは長年の呼吸で、完璧な左右へのステップを踏む。
ドッシーン!! と激しい音を立ててキングスライムが落とし込まれ、周囲に緑色の水飛沫が跳ね上がった。
「あら嫌だ、水跳ねガード!」
シズエはすかさずポリプロピレン製の買い物かごを傘のように掲げ、飛び散る液体を完璧にブロック。服を一滴も汚させない。
「今よ、のぶちゃん! 体が伸び切ってるわ!」
「任せなさいッ! 溜まりに溜まった30年分の埃、一気に払い落としてあげるわぁぁぁッ!!」
のぶ子は両手でトングを構え、ジャンプ一番、キングスライムの側面に狙いを定めた。
パパーンッ! パパパパーンッ!!
まるで大掃除の日に、家中のお布団と絨毯を同時に叩き上げるかのような怒涛の連続トング打ち!
打撃の衝撃がキングスライムのぷよぷよとした肉体を激しく揺さぶり、内部で守られていた「特大の赤い核」が、表皮近くへと浮き上がってきた。
「シズエさん、核が見えたわ! 決めなさい!」
「もらったわッ! 関の孫六・極み――『隠し包丁刺し』!!」
シズエは低く身を構えると、矢のような踏み込みでキングスライムの懐へ飛び込んだ。
ペティナイフの刃先が、特大の核の中心点――一番柔らかい「筋」へ向かって寸分の狂いもなく突き刺さる。
刃先を手首の返しでキュッと捻る。
魚の頭を落とし、アラを完璧に処理する手際そのままの、一撃必殺の解体技術。
ズズズ……バンッ!!!
キングスライムは風船が弾けるような音とともに消滅し、通路一杯に心地よい清涼感が広がった。
あとに残されたのは、一升瓶ほどもある巨大な金の装飾が施されたガラス容器だった。
【ドロップアイテム:幻の神級極上プレミアム出汁(キングスライムの核)】
「……や、やったわシズエさん! 一升瓶よ! 一升瓶で出汁が手に入ったわよ!!」
のぶ子がトングを投げ出し、子供のように跳ねて喜ぶ。
シズエが慎重に一升瓶を抱え上げ、木栓をそっと抜いた。
その瞬間――。
「「~~~~~っっっ!!!」」
言葉を失うほどの、至高の香りが周囲を支配した。
本マグロの頭骨、利尻昆布の寒干し、極上本枯節の血合い抜き、さらには幻の干し椎茸……それら全てが完璧な調和を保ち、一滴で命を救いそうなほどの芳醇な旨味の波動となって漂い出たのだ。
「これ……これがあったら、今度のお正月の親戚集まり、無敵じゃない……?」
のぶ子がプルプルと震えながら呟く。
「ええ……姑にも、小姑にも、文句なんて口が裂けても言わせないわ……!」
シズエも一升瓶をしっかりと抱きしめ、深く頷いた。
プレミアムな出汁を無事に確保し、大満足のふたり。
時計を見ると、時刻は午後4時10分。
「あら大変! そろそろ帰らないと、夕飯の仕込みとお迎えに間に合わないわ!」
「大変よ! 今日の『スーパーふじの』のタイムセール、4時半から卵がもう半額になるのよ!」
出汁を手に入れたふたりは、ダンジョンの奥深くで死闘を繰り広げたとは思えない軽やかな足取りで、ダッシュで出口へと向かうのだった。
「おい……出ろ、救助隊を出してくれ! もう2時間以上だぞ! おばあちゃんたちが……!」
ダンジョン入口前では、ギルド職員の鈴木が半泣きで通信機に叫んでいた。周囲の若手冒険者たちも重苦しい表情で佇んでいる。
その時、漆黒の結界がスーッと左右に開いた。
「「ただいま〜」」
現れたのは、買い物かごに一升瓶を挿し、手にトングと大根を持った、すこぶる元気なエプロン姿の主婦ふたり。
「え……あ……無事……!?」
呆然とする鈴木職員と若手冒険者たち。
シズエは笑顔で鈴木に手を振ると、のぶ子に向かって言った。
「のぶちゃん、走るわよ! スーパーのタイムセール、あと15分よ!」
「よーし、ダッシュよ! プレミアム出汁で、今夜は最高のおでんにしましょう!」
夕焼け空の下、大きな一升瓶を抱えたおばちゃん冒険者たちは、風のようにスーパーへと駆け抜けていくのだった。




