2話
午前中の家事を手際よく一通り片付けた佐藤シズエ(65歳)は、ご近所の田中のぶ子(67歳)の家へと向かった。
「のぶちゃん、おはよう! これ、昨日言ってたやつ。ちょっと使ってみて」
シズエが手渡したのは、昨日ダンジョンのスライムから手に入れた『極上出汁の素』。小瓶の蓋を少し開けると、ふわっと濃厚で上品な出汁の香りが玄関先に広がる。
「あら嫌だ、なにこのいい香り……! どこかの料亭のお出汁みたいじゃない」
「でしょ? 昨日のスライムから取れたのよ。これでお味噌汁作ったら、うちの人おかわりしたんだから」
「まあ! あの滅多におかわりしないお父さんが!?」
のぶ子は目を丸くしながらも、ふと我に返ったように心配そうな顔を浮かべた。
「でもシズエさん、ダンジョンなんて……危なくないの? テレビで若い子たちが怪我したとかやってるじゃない」
「危ない? 何言ってるのよのぶちゃん、私たち何年包丁使ってると思ってるの?」
シズエはうふふと余裕の笑みを浮かべる。
「あんなの、お魚の三枚おろしに比べたらなんてことないわよ。筋さえ見極めればサクッと落とせるんだから。大丈夫、あなただって絶対できるわ」
「私にも……?」
「そうよ! というわけで、今度一緒に行ってみない? 今日は『スーパーふじの』の特売日だけど、買い出しのついでにサクッと覗いてみましょうよ」
「ええ……? 買い出しのついでにダンジョン……?」
半信半疑ののぶ子だったが、手の中の『極上出汁の素』の香りと、シズエのあまりの頼もしさに押し切られ、ついに「……じゃあ、ちょっとだけなら」と頷いてしまうのだった。
『スーパーふじの』で特売の卵パックと大根をカゴに入れたあと、シズエとのぶ子はそのまま隣の立川第3ダンジョンへと向かった。
ダンジョンの入口前は、相変わらず物々しい雰囲気が漂っている。
全身をゴツゴツした鎧で固めた若い冒険者たちが、唸り声を上げながら門を取り囲んでいた。
「くそっ、今日も入れねえのかよ!」「Sランクのパーティすら弾かれたってマジかよ!」
殺気立った若者たちの脇を、両手に買い物袋を下げたシズエとのぶ子が通りかかる。
のぶ子は、巨大な剣を背負った青年に気圧され、シズエの袖をキュッと引っ張った。
「ね、ねえシズエさん……やっぱりやめない? あんな強そうな男の人たちが入れないのよ? 私たちみたいな素人が入れるわけ……」
「大丈夫よのぶちゃん。肩の力を抜いて、スーパーの自動ドアに入るくらい立ち位置を意識するの」
「まあ、まずはダンジョンに認識してもらうところからね」
シズエが慣れた手つきで、Gate前にポツンと置かれた「入場判定測定器」の前へと歩みを進めた。
若手冒険者の一人が「おいおい、ババァたちが何してんだ?」と嘲笑混じりに呟いた、その瞬間――。
ピンポンパンポーン、とスーパーの開店告知のような軽快なチャイムが鳴り響いた。
『対象者検知。適合条件クリア。適合資格:満60歳以上の女性(アクティブシニア層)』
『佐藤シズエ様、田中のぶ子様。新規登録および入場を承認します』
測定器が綺麗なエメラルドグリーンに発光し、のぶ子の目の前で電子カードが「ペロッ」と1枚吐き出された。
「……は?」
固まる若手冒険者たち。ギルド職員の手から書類がハラハラと落ちる。
そして、これまでどんな破壊魔法も弾き返してきた漆黒の結界が、スーッと滑らかに左右へ開いた。まるで「いらっしゃいませ」と言わんばかりに、内部の心地よい冷気がふんわりと吹き抜けてくる。
「あら、本当に開いたわ……! 私、カードまで貰っちゃったわよ?」
のぶ子は吐き出された『冒険者証(ゴールドカード風)』を両手で受け取り、目を丸くした。
「ほらね、言ったでしょう? 入場資格、バッチリ通ったわよ」
シズエは満足そうに頷くと、買い物かごを持ち直した。
「さあ、のぶちゃん。今日は美味しい『お出汁』を、のぶちゃんの分もたっぷり仕入れに行きましょうか!」
「え、ええ……! 私、包丁なんて持ってきてないわよ!?」
「大丈夫、スーパーで買ったステンレス製のトングと、その特売の大根があれば十分よ!」
顔を青くしながらも、お出汁の誘惑には勝てないのぶ子。
若者たちの絶叫と呆然とした視線を背に受けながら、60代主婦コンビは軽やかな足取りでダンジョンの中へと消えていった。




