第7話 黒
第7話 黒
月曜日。
「佐藤」
「はい」
「これ」
大島から渡されたのは、
新品の入部届――ではなかった。
「何ですか」
「部費とか大会登録とか。保護者に書いてもらうやつ」
三枚ある。
「入部した途端、現実的だな……」
かなが笑った。
「部員になったからね」
「見学って楽だったんだな」
「戻る?」
栞が聞く。
「戻らねえよ」
即答してから、
拓真は少し恥ずかしくなった。
山口が肩を叩く。
「ようこそ、空手道部へ」
「お前、先輩面するな」
「入部一日先輩」
「一日だけだろ!」
いつものように練習が始まった。
*
基本。
移動。
ミット。
組手。
拓真は相変わらず左ばかりだった。
――パンッ!
「佐藤、もう一本」
大島。
踏み込む。
左。
――パンッ!
「もっと遠く」
「はい」
下がる。
「そこから届く?」
「たぶん」
「やってみ」
踏み込む。
一歩。
もう一歩。
左。
――パンッ!
熊谷が横で見ている。
「それ、だんだん遠くなってない?」
「先生が遠くしろって」
「どこまで行くんだろうな」
神戸が言った。
「そのうち武道場の外から来るんじゃない?」
「無理ですよ!」
山口が笑う。
「佐藤の必殺技」
「やめろ」
「名前つけようぜ」
「絶対やめろ」
「超――」
「やめろ!」
栞が言った。
「普通の逆突きでしょ」
「金子、もっと言ってやれ」
「ちょっと遠いだけ」
「そうそう」
大島も頷く。
「今はそれでいい」
必殺技なんかじゃない。
ただの左。
それで一本取る。
今の拓真には、それしかなかった。
*
休憩。
かなが大会要項を持ってきた。
「先生、これ届いてました」
「ありがとう」
大島が受け取る。
山口が覗く。
「大会?」
「地区の春季大会」
大島が答えた。
「近いうちに出る」
「マジっすか!」
山口の顔が明るくなる。
拓真も覗いた。
高校名が並んでいる。
知っている学校。
知らない学校。
その中に、
妙に目につく名前があった。
城徳学園高等学校。
「城徳」
拓真が読む。
熊谷が言った。
「強いよ」
「どのくらい?」
「普通に全国」
山口が反応した。
「全国!?」
神戸が笑う。
「お前、全国って言葉好きだな」
「だって全国ですよ!」
「霞北も昔行ってたじゃん」
「昔じゃなくて今の話です!」
大島が要項を閉じる。
「城徳だけじゃない」
「ほかも強いんですか?」
「県内なら兵学館もいる」
「兵学館」
拓真も名前は知っていた。
学校として有名だからだ。
「めちゃくちゃ頭いいところですよね」
「そう」
「空手も強いの?」
「強い」
「ずるくない?」
「何がだよ」
「頭良くて空手も強い」
山口が真顔で言った。
「どっちかにしてほしい」
栞が呆れた。
「何その理屈」
大島が続ける。
「ほかにも毎年いい学校は出てくる。学校名だけで勝敗決めるなよ」
「はい」
拓真はもう一度、
城徳の文字を見た。
*
数日後。
授業が終わった。
拓真と山口が武道場へ向かっていると、
正門前に一台のバスが停まっていた。
黒。
窓も暗い。
側面に文字。
城徳学園
「噂をすれば」
山口が言った。
「なんでいるんだ?」
拓真が見る。
バスから高校生たちが降りてくる。
黒いジャージ。
黒いスポーツバッグ。
胸に校章。
統一されていた。
「黒いな」
「黒い」
山口が頷く。
そこへ大島が来た。
「何してる」
「城徳いますよ」
「いるよ」
「なんで?」
「今日は練習試合」
二人が同時に振り返った。
「聞いてない!」
「今言った」
「急すぎる!」
「前から決まってた」
「俺らに言ってくださいよ!」
大島は笑った。
「言ったら山口が昨日からうるさいだろ」
「失礼な!」
「違う?」
「……たぶんうるさいです」
「だろ」
拓真は城徳を見る。
この前の相手とは違う。
バスから降りるだけなのに、
なんとなく揃っている。
*
武道場。
霞北側が準備する。
熊谷が黒い集団を見る。
「相変わらず多いな」
神戸が言う。
「一軍だけ?」
「今日はたぶん」
拓真が聞く。
「一軍?」
「城徳、人数多いから」
「二軍もあるんですか?」
「ある」
山口が呟く。
「プロ野球みたいだな」
「大げさ」
栞が言った。
「でも選手層は厚いよ」
「金子、知ってる?」
「中学の大会で見てるから」
かなが霞北の荷物をまとめる。
向こうでは、
黒いジャージの選手たちが整列した。
先頭にいる男。
五十歳くらい。
鋭い目。
大島より明らかに監督らしい。
その男が武道場へ入る。
大島が頭を下げた。
「本日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」
男は答えた。
そのまま霞北側を見る。
そして一瞬、
入口付近に立っていた風呂と目が合った。
ほんの一瞬だった。
男が小さく頭を下げる。
風呂も、
ほんの少しだけ頷いた。
それだけ。
男はすぐ城徳の選手たちへ戻った。
拓真はそのやり取りに気づかなかった。
*
「城徳学園、監督の島田です」
挨拶。
島田晋作。
城徳学園一軍監督。
「今日はよろしくお願いします」
「お願いします!」
両校の声が響く。
拓真は向こうの選手を見る。
大きい。
一人、
明らかにでかい選手がいる。
熊谷ほどでは――
「……でか」
拓真が呟く。
山口が言う。
「熊谷先輩ほどじゃなくね?」
「でも横もでかい」
城徳の三年。
田川秀吉。
百九十五センチ。
その隣。
前田利行。
さらに田川秀長。
石田成樹。
そして。
一番端に、
自分たちと同じ一年生がいた。
そこまで大きくない。
拓真よりは高い。
だが城徳の中では普通に見える。
「一年いる」
山口が言った。
栞がそちらを見る。
「加藤正輝」
「知ってる?」
「去年の全中」
「全中?」
「全国中学生大会」
栞が言った。
「個人優勝」
山口が固まる。
「……優勝?」
「うん」
拓真も加藤を見る。
細い。
大男ではない。
筋肉で膨れているわけでもない。
普通の高校一年生に見える。
「こいつが?」
「こいつって言わない」
「いや、だって」
山口は加藤から目を離さない。
「一年だろ?」
「同じ一年」
栞が言った。
「でも、高校空手界じゃもう有名だよ」
「なんて?」
「スピードスター」
拓真が少し笑う。
「なんか恥ずかしい呼ばれ方だな」
「本人が名乗ってるわけじゃないでしょ」
「そりゃそうか」
*
合同練習。
最初は基本。
城徳の選手たちは、
意外なほど普通だった。
声を出す。
汗をかく。
注意される。
失敗もする。
拓真が小声で言う。
「普通だな」
山口も頷く。
「もっとなんか、すごいのかと思った」
「何を想像してたんだよ」
「全員オーラ出てるとか」
「漫画じゃねえんだから」
その直後。
対人練習が始まった。
*
「……速」
拓真が呟いた。
違った。
基本では分からなかった。
相手がついた瞬間、
城徳の速度が変わった。
田川秀吉。
巨体なのに遅くない。
前田は軸がぶれない。
田川秀長は何を出しても対応する。
石田の蹴りは左右から来る。
そして加藤。
――パンッ!
「え?」
拓真が目で追う。
もう終わっている。
入った。
離れた。
構えている。
「今何した?」
山口が聞く。
「分かんねえ」
栞が言う。
「刻み」
「見えなかった」
「見なよ」
「無茶言うなよ」
加藤がもう一度動く。
今度は見ようとする。
前足。
肩。
腰。
「来る」
拓真が言った瞬間には、
もう拳が届いていた。
「……」
山口が呟く。
「速え」
*
練習試合。
大島がオーダーを見る。
「今日は勝敗より経験」
全員が頷く。
小松崎。
熊谷。
神戸。
山口。
拓真。
「俺も?」
「部員だろ」
大島が言った。
拓真は少し笑った。
「そうでした」
「やっと自覚したか」
「ちょっとだけ」
組み合わせが決まる。
拓真の相手は、
城徳の二年生。
加藤ではなかった。
なぜか少し安心した。
同時に、
少し残念だった。
*
試合開始。
「始め!」
相手が来る。
速い。
拓真は左。
外れる。
返される。
「青!」
また。
左。
今度は届く。
しかし浅い。
旗が上がらない。
「見せろ!」
栞の声。
位置を変える。
左。
「赤!」
一本。
「よし!」
だが、
そこから続かない。
相手はすぐ修正した。
拓真の左が来る距離を外す。
入れば返す。
右を見せても反応しない。
蹴りも怖がらない。
負けた。
*
山口も負けた。
熊谷も苦戦した。
神戸も取られる。
小松崎だけは互角に近い。
霞北側が静かになる。
城徳は騒がない。
勝っても、
普通に戻る。
次の練習へ移る。
それが余計に、
差を感じさせた。
*
最後。
加藤が試合場へ入った。
相手は小松崎。
「マジ?」
山口が前へ出る。
拓真も見る。
一年。
三年。
全中王者。
霞北の中心。
「始め!」
加藤が動く。
小松崎は動かない。
一瞬。
加藤が入る。
小松崎が外す。
「お」
初めて加藤の攻撃が簡単に決まらなかった。
もう一度。
加藤。
小松崎。
互いに入らない。
拓真が息を止める。
三度目。
加藤が踏み込む。
小松崎が返す。
「止め!」
旗。
赤。
小松崎。
霞北側から声が上がる。
「小松崎先輩!」
山口が叫ぶ。
小松崎は喜ばない。
もう構えている。
加藤も表情を変えない。
*
試合は続いた。
取る。
取られる。
最後まで僅差。
そして終了。
拓真は点数を見る。
勝敗より、
二人の速さに目を奪われていた。
「すげえ」
思わず出た。
隣で山口も頷いた。
「な」
同じ高校生。
同じ道着。
同じルール。
なのに、
自分たちとは全然違う。
*
合同練習終了。
「ありがとうございました!」
両校が礼をする。
城徳の選手たちは黒いジャージへ着替える。
荷物をまとめる。
整列。
バスへ向かう。
拓真はその背中を見る。
山口が言った。
「なあ」
「何」
「黒って、強そうだな」
「色の問題か?」
「ちょっとあるだろ」
「じゃあ俺ら何色?」
かなが答えた。
「赤」
「赤?」
山口が振り返る。
「霞北は赤だよ」
拓真も校章を思い出す。
霞ヶ浦。
帆掛け船。
沈む太陽。
赤。
山口が笑う。
「じゃあ負けてないじゃん」
「何が?」
「色」
「今日めちゃくちゃ負けたけどな」
「これからだろ」
山口はあっさり言った。
拓真は少し笑った。
「お前そういうとこ楽でいいな」
「褒めてる?」
「半分」
*
城徳のバスが出る。
島田監督は最後まで選手のそばにいた。
風呂のところへは来なかった。
バスが見えなくなってから、
風呂が呟く。
「晋作も、すっかり監督だな」
大島が隣を見る。
「知り合いなんですか?」
「教え子」
近くにいた拓真と山口が同時に振り返った。
「え?」
風呂が二人を見る。
「何だよ」
山口が聞く。
「城徳の監督、霞北なんですか?」
「昔な」
拓真が言う。
「先生、それ先に言ってくださいよ」
「聞かれなかったから」
「大島先生と同じこと言ってる!」
風呂が笑った。
「似たんじゃない?」
大島が嫌そうな顔をする。
「それはちょっと」
「何だよ」
また笑いが起きた。
*
帰り。
拓真は自転車を止めて、
学校を振り返った。
霞北の校章が見える。
赤い夕日。
帆掛け船。
今日見た城徳は、
黒かった。
強かった。
同じ一年に、
全国中学王者までいた。
負けた。
かなり。
でも。
怖くはなかった。
むしろ、
もう一度やりたい。
今度は、
一本じゃなく。
もっと。
拓真は自転車へ乗った。
春は、
少しずつ大会へ近づいていた。
第7話 黒 了




